自分で意識しているものの、言われると改めて思う部分があり、自分でルールを決めるということは、なんと眉唾なものであろうと気持ちのぶれを、弱さを思うのである。
人から言われると「ああそうだ。その通り」と自分の精神を補強するあたり、本当に弱いものだなとつくづく感じるのである。
こうありたい。
自分で理想の自分を思い描き、その通りになろうとする。
しかし酒の力で、気持ちの弱さで、いくらでも考えが、行動が、ふにゃふにゃと曲がりくねり、最後には自分がほとんど望まなかったところまで来て、なぜか周囲に合わせて、これでよかれと思っていたつもりが、自分が一番我慢して鬱憤をためていたという、ひどく目も当てられない状況があったりする。
「何度このようなことを繰り返せばよいのか」
自分は日記を書いて、このように記録しているので、何度同じことでこいつは愚痴を書いているのだろう、ああやれやれと、見るも無残な記録がこんこんと綴られているのだが、なんとも人間の精神の強さや人間力は、いやいや、人間などという大それたくくりではなく、己れはなんとも牛歩で、かつ何度も叩き直さなければ、どうしようもなく成長しない人間なのだなと感じるのである。
結局曲げたところで、損をしなければいけないのは自分で、不満を抱いているのだから、それは自分に対して正しいことをしていないということだ。
「流されちゃいけないよ」
よく考えてみると非常に難しい言葉で、自分が何に流されているのか把握しなければ見えてこないし、当然進むべきものと、流されているものの見極めをきちんとできなければ、まったく意味をなさない言葉になってくる。
自分の気持ちを大事にする。
自分のやりたいことを血眼になってやる。
やるべきことをきちんとしているつもりでも、どこかに流されているところがあれば、それはダメになる。
自分は何に影響されて生きているのか。
それをきちんと自分で見つめられる人間はほとんどいない。
その必要性すら感じていない人がほとんどだ。
流されているのか、掴みとろうとしているのか、この境目をきちんと把握できずに流されているのに掴み取ろうと錯覚している人間は多い。
もしかしたら、人類の活動そのものが、こんな境目のない錯角の勢いでどうにかなっているのかもしれない。
ただ、そうだとしても、個人の問題として、やはり流されるということに、自分の弱さをいちいち垣間見るという嫌な感触を抱くのである。
もし、40年後、これを読んだら、自分はどう思うのかな。
できることなら今すぐ教えてほしいくらいだ。
[0回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E3%80%8C%E6%B5%81%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%84%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%82%88%E3%80%8D「流されちゃいけないよ」