よく女性を描く時や、詩を描く時、思いもよらない人からコメントをもらったりする。
意外な人が、同じことを思っていたのだと、そのことを指摘されることに恐怖しているのだと、そこで初めて知ることも少なくない。
多くの人たちの相談に乗ってきた。
女性の場合、人生相談よりも、恋愛相談のほうが多い。
何人も何人も相談に乗っていくと、妙なことに気がついた。
ほとんどの人間が同じことで悩んでいた。
「相手の気持ちがわからない」
「相手がこうなのだけどどうしていいかわからない」
この手の相談をしてくる女性は、すべて「自分を殺して」いた。
すべて「相手が前提」で「自分の気持ちが成り立って」いた。
他者の中に、自分の居場所を一生懸命見つけようとして、相手に気に入られようと懸命の努力をしていた。
それを当然のことだと思い、「主体性」だと思っていた。
自分は、この生き方をして、大きく人生が狂った。
もう少しで取り返しのつかない大きな十字架を背負うことになっていた。
もしそうなったら、自殺していたことと思う。
そこまで、周囲が滅茶苦茶になった。
自分を思い返していくうちに、何がいけないのかを自分なりに考えた。
それは自分が右往左往しているせいで、結局周りをみだりにかき乱し、自分では何も決めずに流されて生きてきたのだと、そう考えた。
人に逆らうことはとても恐ろしくて、勇気のいることだった。
今でも、胸のそこから吐き気がするほど、気分が悪くなって動けなくなりそうなことが多々ある。
相談をしてくる女性に対しては、女性がしたいことを優先してアドバイスをする。
これが先走って説教がましいことを言ってしまったら、「なにもわからないくせになに!?」となる。
たいてい自分の気持ちを認めてほしいから相談しに来ているわけで、自分の人生の行く先や、心の変化に対してなど心配して欲しくないのだ。
今、彼にどうしたら受け入れてもらえるのか。
その答えが欲しくて相談しに来る。
たとえ今のままではおかしくなっていくことがわかっていたとしても、それは女性が求めていないアドバイスなので絶対にしゃべらない。
そんな中で、ポツリポツリと自分の中に溜まってきた鬱憤のようなものを、作品として出してみる。
すると、それを見たネット上の知り合いなどから密かにメールが来る。
思い当たるふしがあるのだろう。
小説には普遍性が求められるとよく言われる。
「普遍性」「普遍性」とは言われるが、それはいったい何のことだろう。
わかって言っているのだろうか。
私は感覚ではなんとなくわかっていても、それを言葉で説明することはできない。
しかし、おかしなものだと感じるのは、たとえばバーで女性の横に男性が座ったときに展開する話の内容。
なぜああも人が違っても同じことをしゃべるのか。
女性を少し持ち上げつつ、男の持論を展開する。
セクシャルな話にも少しずつ踏み込みながら、人ってこうだよね、ということを語る。
自分は書いている手前、「そんなのまとめてやるよ!これ一本で充分!」と書きたくなる。
書くと言われるということは、出来としてはよいのだろうか。
まったく言われないよりかは「え?自分のこと?」と思ってくれたほうが作家冥利につきるわけだが。
人のことを、ありのままに捉え、書くことはとても辛い作業でもある。
この書き方でいいのだろうか。
この言葉回しで、届くだろうか。
趣味もあるから一概に言えないが、届かなかった時点で失敗だ。
そこはまさに真剣勝負といえる。
自分が踏み込み、斬る。
失敗すれば、惨めだ。
こっちの心がやられる。
しかし斬ったからといって、自分も無事ではすまない。
人の心に触れることは、ひどく消耗する。
勝手に「同化」することもあるけれど、もう癖のようになっている。
自分を保つのも大変だ。狂いたくなる。
安易な話を書きたい。
浮ついたような、ありえないような、「わあ、楽しかった。おしまい」みたいな、どうでもいいような話。
でも今の自分が生きているのは、永遠とも思える反復、その苦しみに少しでも決着をつけたいと思っている。
そうやって繰り返しながら人は成長していくのではない。
学ぶべきものが、捨て去られてしまっているから、愚かになってきたのだと思う。
十年後二十年後誰も覚えていなくて、「ああ、そういうやつもいたっけ?」という扱いを受けて、誰も自分が作ったものは持ってなくて、「ああ、捨てちゃった」ぐらいの扱いで、生活できる程度の金は充分にあって、それで死にたいときに勝手に死ぬ。
それでいいじゃないか。
でも、自分にはできない。
悲しみや、苦しみに出会うたびに憤る。
自分ですらそれを他人に与えているというのに。
自分が生きた証を残したいわけじゃない。
自分にできることを精一杯して、人類に少しでも貢献できるのならば、と思っている。
こんなヤクザみたいな人間でも、日本人の代表として、人類に貢献できたら、これほど嬉しいことはない。
「私のこと、書いているの?」
腕が上がれば、もっときついことを言ってくる、または恨みを勝手に持つ人もたくさん出てくるかもしれない。
私は、その憎しみすらも背負わなければいけない。
そういう覚悟を持って、今を生きている。
できるだけ、長く、生きていきたい。
人を描くということは、そういうことだと思っている。
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