軽度から重度まで、同じ「うつ病」なので、たとえばmixiなどで「うつ病」に関するニュースがあり、その関連記事が出てくると反応も様々である。
「甘え」と書いている人や、「理解してあげて欲しい」とか。
正直、他人の主観がぶつかり合っては解決すらもしないし、そして本人の神経の問題なので他人が理解することは難しい。
その中で薬のことをどうにも悪く言っている人がいた。
私もネット上の日記や実際の知り合いなどから「薬の過剰摂取」と、「医者の怠慢とも言える処方」の情報が入り込んだりする。
薬を急にやめて克服した人も中にはいる。稀と言えば稀だ。
自分の体験から「薬じゃなくて愛情が大事」と言う人もいる。
実際「愛情」は大事で、これがないと回復は難しい。
現在医者が「インフォームドコンセント」が不十分なことによって訴訟を起こされるケースがあるが…つまり説明不足のまま、患者の理解が得られないまま手術したり投薬したりして事故が起きたりすることによって訴訟が起きる、というケースが起きているが、精神科医もこの例外ではなくなるだろう。
投薬を急に中止したことによって自殺したり、加害者になったり、また投薬のパターン、薬の種類を変えたがためにそうなるケースもあり、明らかに医者の知識不足により、このケースが起きたと立証されれば判例が積み重ねられていくことは間違いないだろう。
これから精神医療は科学の進歩によって生理学と密接に関ってくる。
その場合、投薬も従来の「カウンセリング」とは別のケース、つまり脳波、いやもっと神経回路に直接根ざしたパターンなどからされる場合も出てくるだろう。
私が関った身近な人は脳波にまったく異常が見当たらず、何度か調べていたし、ペーパーテストもオールグリーンだった。あちらが不思議がっていたくらいだ。
書類上ではまったく異常が見当たらない人間が、明らかに接している人間からすればおかしくなる時があった。記憶も飛んでいた。
入院し、投薬をして、ほんの数年で治ったという幸運なケースだ。
当然良くも悪くも教科書どおりにいかないこともある。
だが、薬で間違えて事故を起こした場合、精神科医も投薬における臨床実験のパターンや実際の投薬例を熟知しておかないと確実に訴えられる時代になる。
他人の日記を見ていて思うことがある。
うつには軽度も重度もひっくるめて「うつ病」となる。
体が弱く風邪を引きやすい人間に対して「外で走って体を鍛えればそんなちょっとした風邪も治る」と言うのと、
風邪を引いてだいぶ進行して肺炎を起こしている人に言うのとでは、同じ言葉でも後者には罪がある。
うつ病、というキーワードだけで過剰反応し、ケースバイケースも考えずすべてを一緒にするのはバカにもほどがある。
やめてほしいと思う。
水は生きていくには必須だが、人間は水の中では生きてはいけない。
同じ水でもこれだけ違う。
何を思うのも書くのも勝手だが、特に非難は差し控えて欲しいと願わずにはいられない。
どうせ、言ったからって何もしないのだろうし、最低限学ぼうともしないのだから。
そういう行為は下劣すぎる。
少なくとも、どうなっているのかということを少しでも調べて欲しいと思う。
この日本には随分と精神病に対する偏見が根強く残っている。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」なのだろうか。
ひとつ教えておくが、この発言を残したとされる快川紹喜は、火の中で死んでいったことを覚えておいて欲しい。
精神論は自分にのみ応用すべきで他者を強制的に道連れにするべきではない。
焼け死ぬだけだ。
もし、身近な人にうつ病の人がいて、力になれるのなら、その人の話には耳を傾けないといけない。
特に「主観に満ち溢れて偏っていた」としても、その人の感じていることは「真実」であるから、それを否定してはいけない。
助ける人も、無理はしないように。
お互い、体も心も大事にしなくてはいけない。
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