職人は一生未熟だし、勉強嫌いな私が技術的にまだまだなんだということは重々承知しているから、意見や批判はひとまずは聞くわけですが、内心「やってやっかんな。今に見てろよ」と煮えくり返る気持ちを抑えつつ、そういう刺激を与えてくれる人を大事にしていきたいなと思っているわけです。
さて、思っててもしょうがないわけだし、こうしてブログに書いてても、誰かに言い続けるだけでもいかんわけです。
前に北方謙三のインタビューを読んだ時に、売れない時書きまくって原稿用紙が身長以上になったこともあった、というエピソードを見て、こりゃロックだなぁと愉快な気持ちを覚えたものです。
昔々、十年前くらいなのですが、精神的な暗黒時代がありまして、もう何をするにも少しやっただけで精神的にしんどく、少しやっては数日休むというようなことを繰り返しておりました。
今はそれに比べればだいぶいいのかなぁと、わりと精神的には相当落ち着いているので、ちょっとロックな姿勢で、ぶち壊してやるぞと、そんな攻撃の心持ちを持って生きていきたいと思っているわけです。
自分に対する怒りであったり、破壊欲求みたいなものがないと、作品制作においてはマンネリ化しがちなので、そんな反骨精神は大事にしたいと思っているわけです。
そんで話は変わるんですが、先日軽いぎっくり?腰のようなものをやってしまい、その日だけ重いものが持てなくなったのに続き、腰が姿勢によりカキッとなっているというか、反応が出るようになりましたので整体に通うことに致しました。
3月に左足を折ってからというもの、右足で庇うようにして足を使っていたのでいよいよ歪んできたのかなという気が致しましたので、放置していてもしょうがないと早めの処置を心がけるようにしたのですが、人はね、どうしても年取ると色んなところにガタが出てくるのかなとも思ったんですが、一番大事な事にふっと気がつきまして、つまり歪みって体で言うとバランスゲームのようになっていて、足が歪んでいるとその上の部位で重心を取ろうとして、足、腰、背骨、という具合にちょっとずつ歪んでくるという具合らしいのです。
つまり正しい姿勢だと長期的な眼で見ると楽だってことなんですね。
これって物事にも言える事なんじゃないかなぁと思い浮かびまして、正しいことってきっと楽になれるんだろうなと漠然とした思いを抱きながら、いかに楽ができるのかということについて思案していこうと、考え方をシフトさせていこうと思い至ってます。
「苦労は美徳じゃないから」
という年下の言葉に衝撃を受けてからというもの、楽って素敵、楽しい状態にするには、という生き方でこれからもやっていこうかなと思っているわけです。
とはいっても、クリエーターの端くれ。
懸命に作ったものに何か欠点があると、そりゃ苛立つわけです。
いい年こいて含蓄も何もない薄っぺらい言葉ばかり並べ立てても、本当にどうしようもないし、ああはなりたくないよな、という身近な例もありますから、一生勉強という気持ちと、あいつは絶対ぶちのめしてやるという復讐めいた気持ちも忘れずに、そしてなるべく楽になれるよう努力したいなと、まあ、いつものたいしたことない記事でございましたよ。
今日のまとめはこの2点ですね。
・「反骨精神を秘めておけ」
・「正しい姿勢は楽」
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