自分は褒められたような生活はしていないし、自分がいまだに一人前じゃないことはわかっているし、まともな道を歩いていないことはよくわかっている。
私のやろうとしていることは常識ハズレで、他人には理解できないようなことも平気でやるし、とてもじゃないが誰かがついてこれるような行動は心がけない。
何故かというと、知るために手段を問わない時がある。
その代わり、学ぶ、書く、磨く。
その連続。
文学、芸の世界に出家する気持ちでいる人間に、命を人生を捧げようとしている人間に、他人の理解などきっと及ばない。
カーペットを見ると黄ばんでいる。
座布団を敷いているのに何年も座っているせいで、座っているところがハッキリと模ったようにお尻の形が浮き上がっている。
ああ、俺ここに何年座っているんだ。
俺ここでパソコンに何年向かっているんだ。
他人から見たら正気の沙汰じゃないかもしれない。
ずっと座って、何年も何年も同じことをしているみたいに見える。
その結果カーペットに染みまで作るほど、座り込んでいる。
ずっとここで書き続け、今に至っている。
実力がなければ、このまま自分がカーペットの染みになってしまう。
そういうことすら考える。
もういい。
ここに座り続けるのはもう充分だ。
もう散々座ったし、もう外に出ていいくらいのものは身に着けつつあるだろう。
あとは外に出て、新しい場所で学んでいく。
なのに、何故ここにいるんだ。
早くここから出なければいけない。
なのに自分は座り続けている。
そんな気持ちさえある。
考えないようにしてきたし、比べてもしょうがないことなので意識しないことにしていたが、ふと意識させられると辛いものがある。
そして、やはり理解されないことなのだろうなと思うと、もうその人とは距離を取りたくなる。
ある種の使命感すら持ってやっているが、まず世の中に出なければ何一つ達成できない。
焦燥感だけが積み重なり潰されてしまうので、なるべく風通しのよい心の状態を保っている。
たいしたことのない人間なのだ。
まだとるに足りない人間なのだ。
こういう人間の最も傍に来るのなら、相当覚悟したほうがいい。
常に破滅と隣り合わせになるのだから。
うまく付き合うコツは距離を取りながら、まずいと思ったら離れることだ。
そのほうがいいと思う。
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