題名をそのまま解釈すると当たり前のことなのですが、この当たり前、しばらく感覚として忘れておりました。
色々新しいことをやり始めているのですが、10歳以上年下の方から色々怒られたり注意されたりしながら頑張っております。
文章のことなら色々言うこともできるし、年の功で少しなりとも知っていることはあるのですが、文章以外の技術面となるとそうもいかず、たとえ知っていたとしても、できる技術を持っている人間の方がはるかに凄いわけです。
そして、世の中自分よりも何かしら優れた能力を持っている人たちによって支えられていて、自分ではできないことをやっている人たちの活躍によって今の自分の生活もあるわけですね。
なので、たとえいくら年上だろうと、その現場の中に自分が入ってしまえば50歳だろうと60歳だろうと「新人」として扱われ、できなければガンガン怒られるわけですね。20代の人たちに。
それで、彼らだって年上の扱い方って凄く困るはずなんです。私も最近若い人の扱いに困っております。私の場合はちょっと批判的な事を言うと敵視してくるほどの勢いで不満を抱く人が多いということですかね。君たちちょっとのこともダメなんかい、みたいな。
年下の子たちは年上の人たちをどう思っているんでしょうね。昔は私も大人を馬鹿にしておりましたが、大人になって交友関係が広がってくると、すげーーーー人が結構おりまして、足元にも及ばぬ人もちらほらいたりして、本当に視野の狭い子供だったんだなと思いますが、もしかしたら、今の子供たちも当時の私と似たような思いを抱いて見下しているのかもしれません。
でもなんなんだろうね。あの若い頃に抱く意味のない根拠のない自信。何の行動もしてないのに湧き上がる自己陶酔感。私はそういうのなくなっちゃったんですけど、不思議ですね。
今はどうしてなくなったかっていうと、そりゃジャンル一つ変えればたちまち素人になるからですよ。文章のことに関しても、もうどうでもいいって領域にまで来てますからね。作りたいもの作る。そして創作ってものに集中する。取り囲んでいるすべてのものを含めて創作ですから、他人の言葉も反応もすべて含めて創作だと思えるようになりました。だから自分なんて、ある意味どうでもいい。
今色々苦労しておりますけど、なんか泣きそうなくらいケチョンケチョンで、少し自信なくしかけております。でも、なんとなく忘れてた感覚だなぁと思い返しております。
新しいことをやれば新しい発見がある。その自己への他者への新しい発見がとても楽しいかなと思っております。
挑戦ってほどでもないけれど、苦労は買うべきだし、買わないと心の負債が増えていく気がして、心がどんどん弱くなって人にただ口先だけ動かす人間に成り果てる気がして、そういう人間にはなるべくならないように、日々勉強です。
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