昔、よく「上から目線」だねと言われた。
今でもそうなのだろうが、昔は「?」だった。
自分の意見を言ったら上から目線なのだろうか。
考えたことを言ってはいけないのだろうか。
正直よく理解できなかった。
今は自分のツイッターなどを見て、自分で苦笑できる程度だから、変な話自覚は出来る状態にまで来ていると思う。
それで、ツイッターのような言論空間を眺めていると、やっぱりいますいます、上から目線の方が。
いい年の方から若い人まで。
特に不思議な事に、ちょっと勉学をかじった学生さんとか、知識をつけたいいおじさんとか、「こいつ何を知ってるんだろう」という勢いで結構言っていたりする。
この「上から」という雰囲気を持っていると、いくら丁寧な言葉を使っていたとしても、非常に「慇懃無礼」な雰囲気として感じ取ってしまう。
「何様?」発言のオンパレードである。
あー、自分もこうだったんだなー、と我が身を振り返りながら懐かしむ。
っていうか、ことあるごとに自覚しながらやっている。
結局、どうして自然と上から目線になっていたかというと、自分の場合は「自分に自信がなかった」からである。
他人に見下されることを無意識に恐怖に思っている。
酷いことに自覚できないから、症状は改善されないままなのである。
例えば、自分は部外者であるはずなのに関係者かのような発言をする。
自分は経験していないのに、経験者かのように言い出す。
自分の考えは自分の考えとしてしっかり持っている、という変な自負がある。
自分の価値観を中心にして様々な事を語りだす。
そのくせ否定されると、かなり傷つく、もしくは怒る。
そんなメンタル弱い子ちゃんだったので、成人してからも10年ほど悩み続けた。
今でさえ悩みは尽きない。
わかってる。小心者なのだ。
そのように「無意識に自信がないと思っている」「上から目線」状態である時、重大かつ厳しい現実から目を背けているか、全然体験していない、かのどちらかの場合が多い。
考えが浮いていることに客観的な考察を加えられない。
他人の品評というのは口だけで足りるので結構簡単なのだが本当にその人間のことや背景のことを理解するには結構時間が必要になる。
「結構時間がかかる」というのは「最低数ヶ月単位」だ。
見ていると、だいたいの人はそこまでやろうとしない。
重大な現実が目の前にあるのに表面上のことで終わる。
わからないことは無視する。
あげくの果てに見えるものが全てだと思っている。
そんなことやってたからこそ、自分はダメな男でした。
もし、小説を書こうなどと考えていなかったら、私はここまで考え込んだだろうかと思うところがある。
考えないよね。
だって自分には関係ないもん。
きっとそのくせ他人のことはいちいち気にする。
相手のことを知ろうとしないので、自分は決して悪くないという考えに落ち着く。
「何様?」ちゃんの誕生である。
そんな状態で40歳に突っ込んでいったら「救えない大人」として、いかにも気の毒そうな目で見つめられる。
私「なんだお前らは!」と反発する。
「最近のやつらは礼儀も知らん」と周囲に愚痴りまくり上から目線で過ごす。
50歳に突っ込んでいよいよ「だからお前は~なんだ」と嫌われる人間として君臨する。
60歳になり仕事もなくなり、引退を考えた時友達がいないことに気がつく。
なんて寂しい人生がしっかりと思い浮かんでしまいます。
上から目線で、ごめんなさい。
と、頭を下げようにも、どうにも軽い。
自分は実ってもいない稲穂であることがよくわかる。
コイツ生意気だなー。
何言っちゃってんだろうーとかお思いの方いらっしゃったらすいません。
ところどころで思い出しては反省しております。
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