三月三十一日消印終了二時間前に中央郵便局へ行く。
第45回新潮新人賞応募作品「無自覚な個性」、原稿用紙231枚。
推敲の時間なしで、うすっぺらな文章にはなってしまった。
一日でも京都を出るのが遅かったら、間に合わなかったろう。
この作品が通るのか通らないのか、もうそんなことはどうでもいい。
落ちようが通ろうが、いずれにせよ作品は世に出る。
完全な私小説スタイルとして京都で過ごした半年間を必要な限り詰め込んだ。
書いてみて、これほど辛いものもなかったし、これほど楽しかったものもなかった。
今まで辛いとしか思ったことがないのに、初めて楽しいと思える時間があった。
精神のアップダウンが酷く、落ち着かせるために二週間でウィスキー四本を消費した。
昼間から飲んでいたので、これが数ヶ月続いていたらアル中になるところだった。
人生初のオリジナル私小説ということで、自らの脆さをほぼ曝け出しながら書いた形になる。
これを書くには、現実をすべて受け入れ、そして己を美化せず、そして人間をありのままに描かなければいけなかった。
それができたかどうか、なるべくいつもの調子で書いたつもりだけど、どう判断されることやら。
結果よりも、この小説を書き上げたということの方が、私にとっては凄く大きな意味を持つ。
人間を描くということがどういうことなのか学べたし、現実と向き合うということがどういうことなのか学べたし、自分の等身大の姿をいかに見つめるかということの辛さも学んだ。
ぐちゃぐちゃな頭の中をまとめるために、随分と相談相手になってもらった人もいた。
思えば、この半年は確実に私のために用意された舞台だった。
小説を書いていて思った。
起こっていたことが、完全にドラマだった。
もし私が中途半端な気持ちで京都生活をしていたのなら、この小説の存在はまずなかったし、書けたとしてもテーマ性に欠けただろう。
自分の今のレベルで可能な限り人間と向き合ってきた。
「無自覚な個性」
こんな作品のテーマをしっかり貫いたタイトルなど今まで思いついたことがない。
それだけ私タイトルをつけるのがへたくそでした。
完全にこのタイトルは作品の重要な部分を貫いている。
このタイトルを思いついた時には、この作品はきちんとしたものになるだろうと思った。
完成する前から大事な部分を見抜いていた。
これほどの密度で人間を描いたことはない。
そういう意味で「小説とは何か」を再認識できた。
そりゃー作り物は適わないわ。
これから面白いものが見れる。
人間に背を向けるものと、そうでないものの違い。
愛を背負おうとするものと、そうでないものの違い。
現実を見つめようとするものと、そうでないものの違い。
自らを見つめようとするものと、そうでないものの違い。
明暗はハッキリ分かれるだろう。
書き終わったことで完全に区切りがついた。
呪縛から解き放たれたかのように心が軽い。
私はようやく次の舞台へいける。
京都で知り合った皆様、本当にありがとうございます。
重ね重ね感謝申し上げます。
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