何か物事を目指すきっかけとなることに、誰かに「褒められた」とか「感謝された」とか「大いに頼られた」とかがよくあるエピソードとしてあげられる。
自分なんぞは、それは知らない人のエピソードであり、本やテレビの世界であったから、結局どこかで編集されていて美談に仕立てているのだろう、という思いがあってすんなりは受け付けていなかった。
何故なら、自分自身今の文章を書くという行為は好きだから始まったわけでもなく、褒められたからでもない。
ただ、自分がこれをしていないと心が壊れそうになったから始まったものだし、今でも自分の生命に対する最後の価値観を見出せるものとして続けている。
書いていないと落ち着かないのだ。
話を戻すが、最近様々な人と繋がっていくにつれ、一生懸命やって「また来てください。本当によかったです」と代理で出て受け持った人たちに感動されてこの道目指そうとか、小さな頃に先生に大いに褒められてクラス中の注目の的になり、その道を目指そうと決心したとか、そんな話をちらほら直接聞くようになると「あれ? やっぱり人って褒められて伸びるものなのか」と、自分とは真逆な、いやむしろ自分こそ信じられないような正反対方向から来ているのだと自覚せざるを得ない状態になっております。
っていうか、この年でようやくわかったの!? という驚きもあるのですが、本当に自分は負の力を原動力に進んでいるも同然で、だいたいケチョンケチョンに言われてきたし、この道をやるってこと自体も白い目で見られたりしてきたし、いいことあまりなかったなぁって振り返っても思います。
何度もやめようと思ったし、でも続けているのは先に書いた理由が大きい。
自分で自分の命に対する価値を完全に失ってしまう。
後は馬鹿にした人たちに対して出世して、じとっとした目で見つめてやろうと、まあその程度の理由です。
子供の頃は才能は無限大に広がっていきますから、どの分野で花開くかは大人にとってまったくわからないことです。
ですから子供に対してあれやこれやと大人の狭い見識で物事を言うことの馬鹿らしさっていうのをどこかで感じていないと、せっかくの才能の芽を摘んでしまうことにもなりかねない。
まず子供が一番最初に対峙する理不尽さって大人だと思うので、ここはじっくりと向き合わないと安易に物事を否定してしまうと一生の傷にもなりかねない。
子供って繊細ですからね。
ほとんどの人が褒められて伸びるエピソードを大事にしているし、本当にそういうエピソードを直接多数の人から聞くと、やっぱり人は基本褒めた方が断然いいに決まっている。
それでも私は態度は改めないっていうね。
何度も何度も書いておりますが、芸の道は命一つ使うってくらいじゃないとよほど才能のある人以外は人を不幸にしますからね。
基本は自分を取り囲む全てのものには自分が持っていない何かが存在するので、そういう細かなことに感動できる心の余裕というか豊かさを保っていると、本当に人生は素敵になっていきますし、まず悪いものに囲まれることがなくなってきます。
なかなか人を育てるということはできないのですが、少なくとも何かに常に感動できるような純粋な心を保てるようにはしたいですよね。
心が荒むとろくなこと考え出さないし、他者に攻撃的になったり、常にうじうじしたりするので。
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