五年以上もの前の作品を手直ししていると、あらまあ、よくもこんなスカスカで・・・と、いちいち過去の自分に説教しながら手直しできる。
だいたい1.5倍くらいに膨らませることができるというか、いや、もっとね、ここをこうしたら情景豊かになるじゃんか・・・とやっていくと、それくらいの文量になってくるってわけで、視点がより細かくなってきたし、物を見る目が少し変わったような気がする。
昔「社会に出て色んな経験して」というおばあちゃんたちのお説教に物凄いイライラしていて、自分のことを認めてくれない、みたいな、そんな、勘違いした、今よりももっと痛々しい子だったの・・・悲しいね。うぅぅ・・・。
そして昔は意地悪なことが描けないでいたけど、今ならいくらでも描けるようになってきましたよ。
と、なると心も相当意地汚くなってきているというか、あいつを貶めてやるにはどうすればいいのかなんて邪悪なことも考えることがあったということなんだよね。
大人になるとは汚れていくことなのか。
色々な人と接していて「大人の対応」みたいなのをやられるんだけど、物凄い皮肉たっぷりだったり、逆に子供が大人の対応しようとして「慇懃無礼」になっていたりとか、あからさまに敵意を向けられたりとか、丁寧なふりしてさりげない意地悪をされたりとか、どうにもそういう経験をしてくると手口が少しずつ身にしみてきて、こうすればいいのかと学ぶわけですよね。
それで実際自分でも意地悪な事物凄いやっていたりとか、心汚かったりとかね。
風景に対する感覚も少しずつ変わってきていて、人って実はこういうこと感じているんだっていうのが、年を取るごとに変わってきていて、例えば街の中で「人工的な音を排除したらどうなるだろう」って考えて歩いたり、人間は人間の脳や感覚があるから今の世界があるわけだから、イルカとか他の動物だったらどうなるんだろう、とか。
感覚を変えるというよりも考え方を変えて改めて接しているってところなのでしょうか。
そうすると世の中が、接している世界が少しずつ違って見えてきて、特にこれから本腰入れて、全てのお仕事を捨てて文章一本でやろうと思っているわけなのですが、頭の中も別世界に少しずつトリップしてきていて、なんかいい感じに人間離れできそうです。
小説って、特に言葉のバランスゲームみたいなものだと思っていて、小さな石ころを積み上げて強固な塔を作るような作業だと考えているんです。
積み上げ方間違えるとちょっとしたことで壊れてしまうし、やっぱりそびえ立ってないと迫力がない。
だからしっかりと高く積み上げるためにも技術や感覚や視点が必要で、汚いものも綺麗なものも同じくらい知っていないとバランスが取れないんじゃないかとかね。
そのバランス感覚が汚いものを知ることによって、上手く取れるようになったのかも。
40歳手前にしてようやく一念発起。
全ての退路を断って、三月より始めていきます。
作品が表に出てくるのは夏ぐらいになるかと思いますが、待っててね。
※今年は骨を折るとかありませんよーにっ!(願
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