最近デモンストレーションで飲み屋の店員を登場させた短編をその飲み屋に持っていって見せている。
ずっと詩文調で作ってきたので、俗に言うキザったらしい表現が多用されている。
もともと文字に入り込んでいるのも詩が最初だから、なんとかして言葉を使って収めようとする。
ちょっと見せたら「くせえなあ」とか「イライラする」とちらりと言われた。
それが評価なんだろうなあとしみじみ感じる。
読んでいる人間にすっと受け入れられるような、普通に生きている、普通に感じている人たちになじむような表現をするには、自分が詩文調の表現から少々脱却しなければいけない。
そして、もっと自分が泥にまみれたような生活をしていかなきゃいけないのだとつくづく感じた。
独善的な世界を展開して、そこに溺れる。
芸術家特有の罠だろうけれど、それが吉と出たりもするので、何が正しいとも言えない部分がある。
特殊で優れた部分と、誰よりも泥臭く生きている匂いが作家には必要で、作家特有の匂いが読者をひきつけてくる。
自分らしく生きるとか簡単に言うけれど、それが本当はどれだけ辛いことなのか、自分らしく生きられないことも、自分らしく生きることも、どちらにいったってジレンマに違いない。
自分だけしか愛していない人間が、誰かに愛されるはずがない。
もっと、自分を考え直さないといけない。
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