昔「料理の鉄人」という番組があった。
最近料理をしたいなと色々レシピを眺めていて、ふと昔やっていた番組を思い出した。
Youtubeで探していると3代目の和食の鉄人、森本正治のものがあった。
略歴は
Wikiにあるが、その後どうなったのかなと見てみたら、今度は「カンブリア宮殿」の番組を見つけた。
料理の鉄人はアメリカのテレビ局に売られ、アメリカ版として放送されていたが、アメリカでも彼は鉄人として活躍し続けていた。
そして今や「予約の取れないレストラン」「10億投資しても回収できるレストランオーナー」として経営の手腕を発揮している。
平均して1店舗あたり7億以上の年商を誇る。10億円以上も稼ぎ出す店舗もある。
ある店舗はおまかせコースで1万円から。決して安くはない。
福島の原発事故があり、日本の食材が海外で警戒されている中、そんな懸念を吹き飛ばすほどに流行っている。
築地から空輸されてくる魚などを扱っているのに、なんのその。
一晩で400人ものお客をもてなすのだから凄いものです。
私にとっても非常に参考になる話ばかりで、例えば「味噌汁」に対してクレームがついたことがあったという。
味噌が沈んでいて、日本人ならかき混ぜることに気がつくが、上澄みだけ飲んで「なんだこれは!味がないじゃないか!」と怒られたという。
つまりニューヨークの人たちは「第一印象」ですべて決まってしまう。
ならば、現地の人たちに受け入れられる和食は何か。
生魚を食べない人たちの「入り口」となる料理は何か。
マグロの「刺身」ではなく「カルパッチョ」としたら受け入れられるとか、その「入り口」を通してちゃんとした和食をいずれは食べてもらいたいという考えがあるという。
しかし受け入れられるためには和食の概念を崩す必要がある。
和食をベースにした創作料理とも言える、まったく別次元の和食が出てくる。
森本は言う。
「おいしいものはないと思っている。環境や気分によって同じものを作っても違ってくる。ビジネスとしての料理は3割」と。
「僕らプロだから3割に命かけます」
そんな言葉の中には徹底した「現地戦略」がある。
つまりは「誰を相手にしているのか」だ。
創作者が合わせるべきはスポンサーでも身内でもなく、「受け取ってくれる人」だ。
その人たちは誰で、どういう人たちで、何を好んでいて、どんな知識があるのか。
そこまで読み込んで作っていく。
これは自分の立場に置き換えてもよくわかる話だ。
読んでもらうまでが大変。
つまりお金を払ってもらって実際に体験してもらうまでが大変なのだ。
既に買う段階に来ている時、何らかの「期待」、言い換えれば「予測された満足」がある。
それを上回れば、また手にとってもらえるし、下回れば二度と読んでもらえない。
読んでもらってこそ「作品」として完成する。
しかし傲慢になってはいけないのは、当然「これは自分が面白いと感じるから相手も面白いと感じるだろう」とか、「教えてやろう」とか、行動を押し付けるのではなく、あくまで相手から学びつつ手法を考える、ということだろう。
「優しさだったり、おおらかさだったり、そういう気持ちならうまくいく」
謙虚に学べる姿勢と、こだわりを押し付けない気持ちこそ、発想の柔軟さを得ることになるのだろう。
何故、それが受け入れられているのか。
この視点を磨くには否定が先にたってはいけない。
ちゃんと観察し、きちんと学ぶこと。
こだわって悩みぬくより「入り口」を作ろう。
大事なのは「相手が次もワクワクするような行動」だ。
[0回]
PR