「わかりました」
そう言って、自分のことしかしないもの。
口先だけの返事。
自分の都合のあいた時しかやらない。
行動を追っていくと、結局自分のしたいことができないから文句を言っているだけに過ぎない。
「自分がどのような環境におかれているのか」
まったく考えないで発言するもの。
最近、一番びっくりしたのはストレスの元凶から、
「あまりお酒のみ過ぎないようにね!」
と明るく、ケロリと言われたこと。
信じられなかった。
他の人はどうしてそうなっているのかすぐわかったのに、当事者だとわからないものなのだろうか。
それとも、わかってて言ったのだろうか。
そういう「無神経」ともとられがちなことを、なぜするのかもわからなかった。
当人はきっと、自分の善意と思いやりから発言したことはわかっていたけれど、「なぜそうなっているのか」を考える力が非常に欠落していると、以前からの発言を受けて、その時はっきり悟った。
何かが、欠けている。
一方、そのほかの人。
傲慢。
「自由」の名の元に、「自らの傲慢」を語る。
上辺だけの謙虚さ。
そして、行動のしたたかさ。
それに気がつかず、「この人は素晴らしい人だ」とついていく人たち。
今まで、そういう人間に出会うことを極力避けてきた。
自分の心が傷つけられるのがわかっているからだ。
誰もが大なり小なりしている。
その「大」から逃げ続けてきた。
向かい合う必要もないと思っていた。
しかし、自分が年をとり、だんだんと「自分より下の年代」が増えていくごとにふと気がつき出してきた。
「前よりも、出会う確率が多くなってきている」
今どうしたらいいのか、悩んでいる。
もしかしたら自分のほうが間違っているのではないかと考える。
「通常の感覚」
「現実できちんと人と向かい合い、それなりに傷つき思いやっていればわかること」
それが通じない。
自分もそうだったから、わからないまでもない。
でもひとつだけわからないことがある。
自分が招いたことすらも理解できないのは何故だろう。
自分が招いてそのような状況になっているのに、ひとつもわかろうとしないのは何故だろう。
状況判断能力が著しく欠如しているとしか思えない。
自分の行動がいかなることを引き起こすかまったくわかっていない。
この「読みの浅さ」はどこから来る。
浅いどころか、「何も考えていない」姿勢はどこから来る。
子供すぎる。
いい大人が「子供」で、いい大人が「学ばない」。
いいのかこれで。
いいわけないだろ。
まるで自分だけ。
自分の世界に心地よさをもたらすものだけが、正しいもの。
いいかげんにしやがれ。
[1回]
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