自分が成長しなければ、同じ過ちを繰り返す。
それは、同じように人を傷つけることを意味する。
自分がよければいい。
自分は傷ついたから。
じゃあ、相手は?
相手のことを考えられるのか。
自分が何をして、どんな結果が引き起こされるのか、それを一生懸命自分の中で考えて、時には反省しなければ、何度も何度も同じことを繰り返して人を傷つける。
それができないのは、人を見ているようで自分しか見ていないから。
相手のことを考えている自分しか見ていないから。
壁にぶつかり逃げ続ける。
でもある日突然、ぶつかりすぎているうちに「これじゃあダメだ」と思う。
「その、自分を見直す瞬間って、いつ来るんだろうね」
「いつだろうね…」
「つくづく自分は弱いと思いました」
「俺が見る限り、自分が弱いと嘆く人は、人と向き合おうと努力している人のほうが多いと思う。きっと、向き合おうと努力するから、向き合えない自分に悔しさを抱くのだと思う。だから、弱いなと、感じるのだと思う」
どうしてだろう。
何が悪いのだろう。
それを一生懸命考える人はいつも傷つく。
いつだってケロリとしているのは、傷つけてもなんとも思えない人なんだ。
相手のために懸命に尽くそうとして、その思いが通じなかった人はいつも泣いている。
「尽くす」
「効率」の観点から言えばなんて「非効率」で「非生産的」なのだろうと考えるだろう。
人は機械ではないし、当然自分にだけいい環境があるはずがない。
いつも不安に思う。
いつも悲しく思う。
「なぜ自分が人を傷つけているのか」まったくわからない人を。
不愉快に思う気持ちで大きく人を傷つけて、自分の正当性を保とうとする。
それは、もう、アヤマチです。
たとえ、明日命が尽きることがわかっていても。
[1回]
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