仕事に時間を多く取られると、人とじっくり向き合う時間が削られてしまう。
本当は自分にとってゆったりと相手のペースで向き合うことが大事なのに、どこか時間を勘定しながら人と接している。
自給いくらとか、労働時間が一日いくらで睡眠がどうとか、時間を計算しながら一日を生きると、何かせせこましい気持ちになりそうで困る。
低所得層。
金に追われ、時間にも追われる。
人としての最低限の余裕は社会からは与えられず、会社からも与えられない。
文明社会においての、奴隷層。
常々私が主としている「日本民族としての人情の再生」は恐らく、これから低所得層をクリアしたあとに、アメリカのように援助の手が差し伸べられなく、民間企業にあらゆる意味で苦しめられる中間層が問題になるかもしれない。
だけれど、私が本当にしたいのは「救済」ではなくて、「みんなで一緒にやろう」ということだ。
私と言う人間はとにかく時間のかかる男で、社会のスピードとはまったくかけ離れたところにいても満足しきるので常々周囲から「もっと危機感を持て」と忠告ならぬ警告ばかり受けて生きているけれど、だってさ、人間って自然のリズムの中で生きていくのが本来の生きようじゃない?
それが人工的なリズムと人工的な物質の中ばかりで生きているからおかしくなるのでしょう。
究極的な極論になるからやめるけれど、「サービス」という観点から離れて「みんなで楽しいことしよう」という新しい巻き込み型の思考でいかなきゃ、何も面白いものなんてできないと思うのだけれど。
結局何もかも時間の話なのだけれど、「最上のワインは最良の友と分かち合う」・・・どこかでこんな言葉が心に染み付いているわけですが、「幸福は常に人と分かち合うもの」と己の人生訓にしているわけです。
さらに究極的に言えば「時間は常に他者へ幸福を分け与えるものでなくてはならない」となるわけです。
この理想を実現するには、どうしても人を時間的に追い詰めるのはいけないのです。
ここを原点に考えていかないと私はいけないのです。
えっと、まずは私の低所得脱出からがんばる。うん。
[0回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E6%99%82%E9%96%93_210時間