自転車に乗っていると交差点で左右の信号が青になるのを、目の前が青信号になると思い込み発進していた車がいた。
強烈な勘違いだ。
そして自転車を走らせていくと、今度は右折してくる車にかなり横断歩道の白線まで割り込まれた。
歩行者などはいないと思い込んでの進入。
ふっと、そこで「他人の思い込み」というやつに気がついたのだが、こちらだって「思い込んで」注意しなければ誰かと接触したり車に引かれたりすることだってある。
もし事故が起これば当然「うっかり」ではすまなくなる。
だからこそ「思い込み」に対して注意を払う。
だけれど普通、価値観とか、慣習とか、そんな類のものには、長年安定して続けられるような条件がそこにあって、それも一種の「思い込み」によって成り立っているのではないかと、ふと考えた。
例えば、ある種の考え方に嫌悪感を抱く人、ある種の性格の人たちに攻撃的になる人、これらの人たちは「思い込み」で結構断定してくる。
「ちゃんと見てますから」というレベルでも、結構分母が少なく、別にその手の人たちに献身的に接しているわけでもなんでもない人が多い。
この「思い込み」は、どうして成り立つのか。
今のところこれは「条件反射」に近い反応で、この「条件」とは、長年親しんだ考え方・環境・知人友人関係含め、「自分がどの場所で安定してきたか」の基準でしかないように思えてきた。
「条件反射」は、同じ環境に居るものたちと、ある程度共有されてくるので、集団や組織の中で「価値観」となり、持続が長時間にわたればわたるほど「常識」となってくるのではないかと考えている。
そして「条件反射」の成り立つもうひとつの「条件」とは、必ず環境が外部からある程度隔絶される必要がある。
例外が数多く起こってしまっては「条件」が変化してしまうため、外部から強く影響を受けない環境下・影響下に置かれる必要があるわけだ。
普通自分がどの環境下に置かれ、どんな影響を受けて現在こう行動しているのか考えているのか、まず意識することはない。
どうして今の自分が成り立っているのかを客観的に、そして外部の目から見るには、今ある環境での考え方を捨てる必要があるからだ。
よほどの人間じゃないとそれができない。
でももし、「価値観」の根本に「条件反射」があるのだとしたら、色々と自分が納得できる部分が凄く多くなる。
相手の行動の「理由の根本」は何か。
意識下にある、本人でも意識できない領域に沈んでいる、長年刷り込まれてきた、刷り込んできたものは何か。
人の本質は、見えてくると、わりとシンプルだったりすることが多い。
[0回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E5%8F%8D%E5%B0%84条件反射