あるバーで役者もしているマスターから昔黒沢明監督が目の前で言っていたことは「とにかく一日(原稿用紙)一枚でも書けば一年で三百六十五ページになる」と続けることの大切さを言われて、どうして自分は書かなかったのかと言っていた。
正直自分だって書くのは頭を使うからとても大変だし、疲れている時には脳は働かないから調子に乗れる時を見つけてやっているに過ぎない。
でもこれも自分としては頷けた。
ビートたけしさんが昔番組で長嶋茂雄さんのことを言っていた時、人間は頑張って泳ぐのに対して魚は自然と泳いでいる。
長嶋さんはバットを振らないと眠れないんだから、魚と同じだ。
長嶋茂雄という人物はバットを振らないと、とにかく落ち着いて眠れなかったらしい。
今自分はとても落ち着いている。
とにかく何でもいいんだ。
書いておくと、ほっとする。
日頃の鬱憤が晴らされた気がする。
「暗闇での銀バットが虚空でうなりを上げて振り下ろされた後、真美子は自分が何をしたのか気がついた」
なんて物騒な文章を書きたくなる。
金属でも木でも土でもいい。
そういうものを触って見て表現したくなる。
どうして昔の自分とは真逆の性質を持ったのか。
ただ持っていたエネルギー源の発散場所、逃げ場所を見つけて流していたらトンネルが出来てきただけなのだ。
皆人生は、どのようなエネルギーであれ、そのエネルギーで掘削をしているに過ぎないのではないかとさえ思う。
紆余曲折経ても思った方向へ進んでいれば幸せだし、思っていないところへ行けば不幸だし、単純な話なのかもとさえ思う。
それを世の中の人は様々な条件があるからこうだとか、人生上こうするしかなかったとかあるけれど、実は協力者がいるかどうかというのも大事で、その協力者を本当に一人の人は探していたのか、という問題は色々やってきた中で強く感じるところではあるのです。
一人じゃダメなら二人で。
二人じゃダメなら三人でいけばいい。
当然仲間を見つけるまでが大変だけれど、見つけたら一人でやるよりも何倍もの力がつく。
力技で出来ないのなら知恵で切り抜ける。
そういうことも「魚」のように自然とやってのける人間が、すいすいと出世していることに気がついた。
だけれど目的や目標に集中しすぎて目の前の協力者をなおざりにする人間は自然と落ちていくし、堕ちていく。
感謝を見つけられない人は堕落していくのだから。
よく人間が「運」と言う言葉で片付けるものも、実は単純なカラクリのような気がする。
ようは継続と謙遜と尊重の気持ちなのだ。
同じバーで初対面のお客に噛み付いたことがあって、本に載っているような正論を言うので「昔の自分なら、このクソヤローって思いました」なんて正直に伝えたら黙り込んじゃって、申し訳ないことをしたけれど、本当に卑屈な精神の時は、人を尊重するとか謙遜するとか無理だった。
だから「自然と泳ぐ」にはコツがいる。
その「コツ」とは、「自分にとことん素直になること」だと思っている。
まずは素直さの先に「自らを見つけられる」というメリットがある。
孫子にもある。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
となれば、対象と己とを同時に知らなければ百戦は常に危ういということ。
素直さは常に彼を知ることにも導いてくれる素敵なものだと思っております。
泳いだ先に何がある。
なぁに、死んだ後に考えればいいのさ。
嫌われることなど勉学の過程に過ぎないのですよ。
とにかく、己が水を見つけて泳ぐことが豊かな人生に繋がると思っております。
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