デジタル化が進んだら、芸術家は「身体感覚」を取り戻さないといけない。
人間は五感情報が欠落してくると、なんらかの方法でそれを取り戻そうとするのではないかと考えている。
もっともっと長い時間が経った先の時代のことだと考えている。
しかし人間が人間本来の感覚を離れて生存していけるはずがない。
そのことにいつか気がつくだろう。
だからこそ、芸術家がそれを補完して、迫り来る時代に備えておかないといけない。
これからは大衆が五感情報をより失っていく時代になるのだから。
「攻殻機動隊」より。
紙媒体での本来の書籍を保存している図書館での荒巻のセリフ。
「もはや慣例として行われているにすぎない出版物の保存という索然とした仕事をこれからも続けていくつもりかね?」
笑い男。「もし、許されるのであれば」
電子化の時代。
これから書籍といえど膨大な情報の中でさまざまなものが埋もれてくる。
その暗闇の海で「灯台の光」となるものは一体何か。
ネームバリュー?それとももっと違ったシステムが生まれるのか。
これから生き残るべきものは最も人間らしいものであり、また生き残っていくものも最も人間らしいものであろう。
その最も人間らしいものを残すためのシステムとはなんだろう。
現在は残念ながら人間が動物だという最も本能に近い欲望が蔓延した社会が構成されている。
そして人間らしく知恵を使い狡猾に隠蔽されている。
それを暴こうとすれば殺されるかもしれないほどの黒い欲望が渦巻いている。
芸術家は「利益への欲求」と決別しなければ「人間の感覚」に近づけない。
欲望を排除し、五感を限りなく研ぎ澄ます必要がある。
生きていくには商業的なことも無視できないと考える人がいる。
確かに食っていくためにはそうだろう。
これからの時代は己の欲望に打ち勝ち、いかに人間らしい感覚に迫れるかが、先の時代に生きる人たちのための「灯台の光」になるだろう。
そしてシステムも追随してそれに近い形が最も好まれていく。
私はこの記事をひっそりとここに残しておく。
そしてこのことを大事だと思う人間が広めていけばいい。
私が生きている間にこれが広まるかもわからない。
膨大な情報の中で一番大事なことが次々に流れる情報の中で忘れさられ、まったく無意味なことに終わってしまうかもしれない。
膨大な泥の中から宝石を見つけよ。
その覚悟があるものだけ本物を手に入れる。
私は行くよ。
先の時代へと。
まだ言い足りないことは後でそのうち語ることにしようか。
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