人と人とは色々なタイミングがあったり、それぞれの性格があったり、目的があったり、環境があったり、事情があったりする。
お互いの気持ちや提示している条件が合致しているにも関わらず、状況がそれを許さないことがある。
人と人とが結びつくことは、そういう意味では奇跡とも言える素晴らしいことなのかもしれない。
「人の幸福を願う」
これはとても難しいことで、ともすれば「軽口」にもなりかねない。
誰にでも言えるけれど、誰にでもできることではない。
なので、言葉はあふれていても、している人は少ない。
言葉や想いを持っていてもすれ違ってしまう。
いつだって人と人との距離を埋めるには、たくさんのことが必要だ。
たくさんの犠牲を払っていて、それを軽く言われてしまったり、たいしたことではないのに多くを見せかけたり、些細な一言の奥に、信じられないほどの深い事情があったり。
私たちはすれ違うように出来ている。
分かり合えるようには出来てない。
人には性質がある。
人には充実感を得る事象が、それぞれある。
自分の利益を貪欲に確保することに生きがいを得る人。そのためには他人を蹴落としてでも、自らを優先させる。
逆もいる。
名誉欲、物欲、金銭欲、性欲など、欲望は人間を脆くさせる。
「君の幸せを願っているよ」
そう言いながら他人の秘密を聞き出し蹴落とし出世したら。
そう言いながら他人から搾取しながら自分のものにしていたとしたら。
そう言いながら厳しい労働条件で働かせ自らの利益を得ていたとしたら。
そう言いながら異性を騙し、際限なく次々と肉体だけをむさぼっていたとしたら。
一瞬にして言葉の意味は歪められる。
世の中では、この「歪み」が数多く利用され、そして社会的な攻撃方法として使われている。
2者間でだって、「ああ、この人の言葉はもう信用できないな」と思うような情報を得てしまうと、自分の強烈な思いに引きずられたりする。
真実を探る前に、印象に引きずられてしまう生き物なのだから、人との「絆」なんてものは表面上では脆い。
だからこそ「してくれたこと」が一番印象に残る。
あの時何をしてくれたのか。
ただそれだけが残っていく。
しかもだいたいの人間は見えないものは、実感として蓄えられない。見抜けない。考えない。
悲しいことではなく、これが当然なのだ。
だから思いだけでは通じない。
どうしても行動していく必要がある。
そしてようやく結びつこうとする機会が与えられる。
それでもすれ違ってしまうことがある。
タイミングや条件や、状況や能力や、ほんの些細な事が合致しなくて、すれ違ってしまうこともある。
「あなたの幸福を願います」
きっとそれだけでは足りない。
祈りたいのなら、魂を乗せなければ届かない。
もっとしたいのなら、行動することだ。
すれ違ったとしても、最善を尽くしたという事実さえあれば、その解釈はよいものになる日が来るかもしれないのだから。
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