「より速く適切に学べる人」:その理由(WIRED.jp)
いわゆる「褒めれば伸びる」の具体的な研究結果として、何を褒めたらよいのかが示されています。
「賢いね」と褒めれば「賢さ」が褒められて脳が刺激され、その「賢さ」を維持させようとするので、失敗を恐れるようになるというのはなんとなくわかる。
努力を褒めることは「チャレンジすること」を褒めているのだから、チャレンジ精神が維持される。
私の場合は結構抑圧的な精神が強くて、どうやったかというと誰も褒めてくれないから自分で自分を褒めるというやり方をやっていました。
比較せずたとえ他人が一日で一キロ進もうが、自分は今日一センチ進めた、それでいいのだ。
自分としては前進した。よくやった。
と、他人から見ればくだらないことかもしれませんが、これでほんの少しずつ進んできたのです。
今までやることなすこと嫌で成果がでなくて、やろうとしたことはけなされ、あまりよい目で見られてはこなかったので、ほとんど人生に対する前身力を失っていたところから始めましたので、自分にとってはこの方法が最適ではありました。
ところで、この研究結果、いわゆる「成果主義」にも言える側面があり、今ここまで社会の風潮として萎縮してしまっているのは失敗や「金にならないかもしれない挑戦」に対してひどく厳しくなってきているからなのだとは思います。
やはり誰かのせいではなく、今日独り言でもテレビの前で、新聞読みながら、週刊誌を見て吐いた呪いの一言が、メディアが流し続けている、会社組織がトップダウンで労働者を締め付ける考え方などが、世の中の人たちからチャレンジ精神を奪いつづけているのではないかと思うことがあります。
このことは今回は蛇足として、重要な下記の部分。
固定的な姿勢をもつ人は、間違いを「ぶざまな失敗」とみなし、与えられた課題に対して自分に十分な能力がない証拠だと考える。一方、成長志向の姿勢をもつ人は、間違いを、知識を得るために必要な前段階、学びの原動力ととらえる。
企業はお金という体力の問題があるので、厳しい事情はたくさんあり、社会的なことは今回は述べませんが、少なくとも個人でできることは他人の挑戦・行動をやたらと批判することは社会的にとっての癌化を促進する可能性を高める、ということが言えると思うのです。
少なくとも私は十数年病んでましたよ。
そして批判する側にも回ることがありますが、不必要な批判、これを越えて中傷までいって心が痛まないというのは、ちょっと根が腐り始めているといってもいい。
じとっとした嫌な気分を味わうことなく「スッキリ」したというのなら、これは少し考え直した方がよいと思うのです。
大事な未来の可能性を締め付けて結局さまざまな意味で豊かさを失うのは自分であると常に覚悟するべきなのです。
自画自賛のコツは「努力と挑戦」に対して、ということですね。
モチベーションを高めるには挑戦すべきものを見つけて攻略していくことにあり、です。
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