人は執着することによって心の色を変えていくという面が強い。
「執着」と一言でいっても例えば「恋愛」から「悔恨」まである。
したことのある人はわかると思うけれど、恋愛をすると相手のことばかり考えて相手のことを悪く言う意見なんて聞きたくないだろうし、後悔していたら「そんなの気にするなよ」って言われても気になるし、他人を恨んでいたら「あの人実はいい人だよ」なんて言われても逆に頭にくるだけだろう。
そんな風に人間は知らず知らずのうちに「執着」をしていて、「執着」しているうちは「自分が執着心を持っている」なんてことには絶対に気がつかない。
この「執着」というものは良い面にも悪い面にもよく現れてくる。
「良い面」というのは、
目標設定や健全なセルフイメージに使うととても効力を発揮する。
たとえば「あれを絶対したい」というイメージを持つと、目標に向かって知らず知らずのうちに行動していくようになる。
また、健全なセルフイメージとは不安や他人の誹謗中傷から自分の心を守るためによく活躍できる。
あの人は、ああしていても、私は絶対にしない。ああしたらあの人と同じだ。などのイメージを持ち続けると何かあったときに精神を落とさずにすむ。
「悪い面」というのは、
負の感情が絡んでくる。
「怒り」「悲しみ」「恨み」「侮蔑」「屈辱」「痛み」などなど体や心に受けた傷を元になんらかの「執着心」を持つ。
これが最も強く、常に気をつけていなければこの「負の執着心」に人生を狂わされる。
それはたいてい「自分の最も良い」と思っていた「イメージ」をひどく傷つけられたときに発生する。
だがしかし、この「負の面の執着心」が発生すると、ひどく心が閉鎖的になり、積み重ねるごとに精神が汚れていく。
精神が汚れていくと、よいものが心の中に流れ込んでこないし、健全な人間は当然そのような負の影響を受けないために避けるようになるため、余計に悪い影響を受けやすくなる環境ができあがる。
つまりは知らず知らずのうちに「執着心」が「入ってくる情報を選び取っていく」ようになる。
しかも、それは「負の情報」だ。
もし経験があるのならおわかりになるだろうが、人を恨んでいたとき知らず知らずのうちに相手の悪い情報を好んで選び取っていなかっただろうか。
よく胸に手を当てて思い出して欲しい。
そのような経験があるのなら、どれだけ「負の執着心」が強力なもので自らの人間性を根底からゆがめてしまうかがよくお分かりになることだろうと思う。
人は実は自ら視野を狭めている。
この「執着心」がある限りは無意識に、その視野を狭めているのだ。
そしてその「狭まった視野」で見ているものこそ、「思い込み」に過ぎないことを内省し気づくものは非常に少ない。
もしこれをお読みのあなたが「負の感情」にハッと捉われたとき、「人生が狂わされ不幸になるかもしれない局面に立たされている」と思って欲しい。
自分の精神が落ちて、落ちたところが基準になってしまえば、どこまでも人は落ちれるものなのだから。
[1回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/%E8%A6%96%E9%87%8E%E3%81%A8%E6%80%9D%E3%81%84%E8%BE%BC%E3%81%BF視野と思い込み