第146回芥川龍之介賞作品。
すいません。今回は文藝春秋からです。
なので「共喰い」のみで。
キャッチコピーは「泥河の鰻とセックスと暴力と祭り」といったところでしょうか。
最初の感想としては「ああ、こういう際どいテーマ持ってくると必ず嫌悪感示す人いるんだよな」と思ったらやっぱりそうでした。
予想通りの反応とはいえ、会見のVTRもあってか、嫌悪感が先にきてまともに読めない人多数。
というのも男性作家が書いた「セックスと暴力」となると必ず「男性的視点から」というのがセオリーというか、だいたいの作品というか。
そうなると当然女性側が男性の欲望のままに、いいように扱われているイメージって持ちがちになるのですよね。
そこをしっかりカバーしないと「作者の都合よく人物が動かされている」と言われたりします。
これは女性作家にも言えることなのですがね。
そして男女とも嫌う「汚さ」というのもあり、汚れた河で釣り上げた鰻を食すというのも読んでいて嫌悪感をより一層抱くポイントでもあります。
男性が鬱屈していて我が強い、協調性もないとなってきたら、気持ちよくは読めないでしょうね。
何にせよ、一番凄いなこれ、と思ったのは「タイトル」です。
作品全編を見事に貫いている「共喰い」のタイトルは中身のおどろおどろしさを示すのにこれ以上ない秀逸さだと感じました。
文の細かな構成や登場人物それぞれが食い合っているんですね。
冒頭に出てくる淡水と海水が混じる川底にゆらゆらと揺れる藻を見ているような感覚に見舞われますし、この出だしあたり瞬時にして読み慣れた人は「いつもの流れか」とも思います。
「性と暴力と土着性」ときたら、だいたい古い読者は「中上健次」を思い出すでしょうし、私も途中までふっと頭に浮かんだのですが、まず消して頭を真っ白にして読みました。
文そのものは近代文学のような、ちょっとお堅いイメージを抱かせますが、構成が大変面白く短篇として文の構成の各ブロックが、それぞれのシーンや人物の心境とリンクしているところ、これは啖呵切っただけのことはあると感じました。
川端康成、司馬遼太郎、三島由紀夫等に影響を受けたと本人おっしゃっておりますが、なるほど、これは川端康成を彷彿とさせるかもしれない影がうっすら確かに見えます。
そのうえで選評で、ある方が「伝統的」と表現されたのかもしれません。
短篇としての仕掛け、道具、これもよく掛け合っていていやらしい感じで発酵しています。
最後、あれに気がつくあたり、救いなんじゃないでしょうかね。
まずああいったタイプの男性って、まったく気がつきませんし、気が回りませんからね。たとえ一瞬気がついても、すぐ忘れますよ。
少なくとも女性にとってデリケートな事情は「男性には関係ない」ことなのかもしれませんが、とある女性選評者のように、たとえ照れ隠しであっても「心配される筋合いはねえ!」と言うような母親を持たなくて心からよかったと思っている次第であります。
私だったら気持ちが悪くなって二度と顔見たくなくなりますから。
いわゆる「エログロ」の世界観にも似た雰囲気、これは「春画」の世界観でもあるなとも思えました。
鰻の顔をした大きな男が女を犯している。
その奥の部屋でも子鰻の男が初々しい女を犯している。
そういう構図の春画を彷彿とさせました。
しかしまあ、日本的かもしれませんが、陰鬱で濃淡だけの水墨画のような世界観は確かに表現が難しく、文章もやや隙があり、ところどころダブついている感があります。
おそらくそれは自分が尊敬しているものの影響をまだ色濃く受けていて、それが継ぎ接ぎ状態になっているからだと個人的には考えています。
本人も文章技術の未完成さ、達成したいものが先にあることを意識しているようで、そこがわからないと作家としてはもう終わったも同然ですが、これからおおいに変化していく予感を感じさせました。
私はみなさんが思っている以上に、この方は飛躍していくのではないかと思っています。
次は長編で才能を発揮しているのが読めるのを楽しみにしております。
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