口の中にまで錆びた鉄の苦味が染み渡っていきそうな気分だった。
これから一体どうすればいい。
目の前に広がる瓦礫を見ながら感情すら抜け落ちた理性がぼんやりとここに立っているようだった。
昨日まであった物が一瞬にして瓦礫になる。
昨日までいた仲間が見つからなくなった。
津波の後の瓦礫の鉄はわずか一週間も経たないうちに錆びだしている。
奥歯で錆びた鉄の粉を噛むように、ギジャリと妙な音を立てそうだ。
張り詰めすぎた悲しみが麻痺した感情の中で膨らんで破裂することがない。
自分の人生は今まで一体なんだったのか。
すべてが消え去り、何も残らなかった。家族さえも。
たった一人残されて、どうすれば。死のうにも死ぬ場所すらも残されていないほど、すべてが死にあふれている。
生存していくことすら無意味に思えてくる。
冷たい雪が頬をかすめても、冷たいとさえも思わない。
これが、現実かと、長い夢の中に引き込まれて二度と出られなくなったかのような気持ちでいた。
家を探す。
誰かと一緒にいても映像を見ているような、非現実感にたまらず家を探そうと思い立った。
家。家だ。家はどこだ。
瓦礫の中を歩く。嗅いだことのない朽ちた臭いが満ちている。人さえも見えない広大な瓦礫の凹凸をちっぽけな人間が放心しながら歩く。脳裏には家があるのだと強く信じて。
大量の流木や積み重なった車や泥まみれの布や靴や海水のたまった場所がたくさんあり、ぬかるんでいる。足を取られながら目指す。
家。家を。家はどこだ。
息が切れる。自分は生きているのだろうか。まるで体が別人のもののようだ。
足を取られているのは自分か。この瓦礫はなんだ。
目印になるものが一切なくなった。どこを歩いているのかもわからない。
壊れて積み重なった家屋の二階の屋根に登る。一階は流されてどこかもわからない。
どれほど歩いたのか、どれだけ進んだのかもわからず振り返ると、それほど進んでいないことに気がつく。
ため息と共に疲れがどっと出るようだった。
海はずっと向こう側だ。むき出しの鉄骨になった三階建ての建物が見える。
あれはきっと役所だった建物に違いない。前は周囲に建物があって自分の家からは見えなかったが、今は目印のように瓦礫の上にぽつんと骨組みだけ残し建っている。
方角と距離感をじっと役所を見ながら想像する。自分の家があったのはここら辺なのではないかと足元を満遍なく見る。
泥の中の水溜りが揺れる。太陽の光が反射したように思った水溜りの中に何かが見える。
水溜りを覗き込むと自分の顔が映っていないことに気がついた。手をかざしても手は映らない。
訝しがりながらも水溜りの奥を覗こうと顔を近づけると花の匂いがした。
すっと息を吸い込むと花の香りが肺を満たしていくようで、生の純水がひび割れた地に流れ込んでいくような気持ちになり目を閉じて花の咲いている野を思い浮かべた。
目を開けると水溜りの中に三輪の赤い花が映っていた。
水溜りの中に手を伸ばしていくと手は水溜りの中に入り映っている花へと届いた。大きな花の両方に小さな花が二輪咲いている。
その花を喉の震える体でめいいっぱい撫でた。傷つけないように、触れすぎないように。
ぐっと息を強く呑み込み、水溜りから手を引く。涙がボタボタと落ちだして水溜りに落ちて自分の顔を映す。波紋は何度も顔を歪めている。
不思議と花の匂いだけは体を満たしていた。何もかも流れ落ちた体の中に花の香りが満ちて、ただ一点の生を形作ろうとしている。
空を見上げて呼吸をする。瓦礫の臭いがもうしなくなっている。
涙を両方の手の甲で拭って地に払う。
瓦礫の山を歩き出す。元にいた場所に戻るために。人のいる場所へ戻るために。
花の匂いはいつまでも脳裏に満ちていた。
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