「鳥が飛んでいるんだよ。孤独な鳥が」
と彼女は言った。
「そっちも雨なんだね。一緒だと、なんだか嬉しい」
自分で言うならなんて陳腐な形容なんだろうと思うことも、彼女の口から出ると切に響いて静かに広がる。
天気が一緒ならどうして彼女は喜ぶのだろうと不思議な気持ちでいる自分には、女心を理解する機微すらもない。
電話口から聞き取れる彼女の声はいつも小さく、耳を澄ましていないと聞き取れないことがある。
窓から見える外の雨は音すらも聞こえない。
マンションの三十階から見える雨雲は、次々と目の前を通り過ぎる雨を落としている。
眼下に見える車も人も小さすぎて、まるで砂粒のようだった。
砂粒を掬い取るには、遠すぎる距離で、自分はただの傍観者だった。
彼女と話しながら冷蔵庫の中を見る。
ブルーベリージャムと、食パン二切れ、生卵六個、絹豆腐一丁、ベーコン三切れ、ビール六缶、牛乳一パック、無糖の炭酸四本、豚肉のバラ肉も残っていた。
ペットボトルの炭酸を取り出し、開ける。
炭酸が一気に抜ける音が一瞬して、はじける音が少しだけ聞こえてくる。
直接はできないキスを電話口ですると、彼女は泣き出した。泣いているとも、わからないほど小さな声で。でも、自分にはわかった。
人の声が聞こえないほどの高く静かな場所から、彼女の声を聞いている。
午後六時を過ぎて、外が薄暗くなり、ビルやマンションの明かりがつきはじめる。
街灯もその下を通る小さな人々を照らしている。家路へと急ぐ人々の波。
開けたままの炭酸に口をつけることもできず、少しずつ炭酸の泡が勢いを衰えさせ始めている。
眼下を通る知らない人たち。
ここから叫んでも、声すら届かないだろう。
炭酸がすべて抜けきったころ、彼女との電話は終わった。
部屋の電気すらもつけずに話していた自分は、街明かりにうっすらと照らされていた。
雨脚が遅くなっている。
味気のない炭酸をようやく片手に持ち、街の光の粒を眺める。
まるで街の雨を押し返しているようにも見えた。
「鳥なんて、見えないよ」
ふと漏れそうになった独り言を、必死の想いで飲み込んだ。
もう一度、冷蔵庫から炭酸を取り出して開け、今度はグラスに入れた。
飲むわけでもなく、ただ眺めるだけのために。
[1回]
PR
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E7%9F%AD%E3%81%84%E3%81%8A%E8%A9%B1/%E7%82%AD%E9%85%B8炭酸