結論から先に言うと、構成としてあれは強引と感じた。
「働く」ということを通じて、人間は社会とのつながりを感じ、そして必要とされていることで自分自身への充実感を得る。
それはいい。
一番危ないのは、途中で若者の「無縁」を例に「匿名空間」を持ち出してきたことだ。
最後の提示として「働くことを失うこと」や「働くことで得るもの」の対比から、「働かないことで無縁が加速されている一面もあるのではないのか」と印象付け、その上で「働くこと以外にも繋がりは作れるのだ」と示唆している。
しかし構成として強引だと感じたのは、「無縁」というのを捉える上で、匿名空間に存在している無数の人間たちの中には「働いていても」「ネットで繋がっていても」「無縁を感じている」という人たちが多数存在する。
注意しなければならないのは若者の「無縁」という心理と、中高年が感じる「無縁」の心理を一緒にしてはいけない。
私が接してきた匿名空間の人たちの中にはつかず離れず人同士が空間を越えて繋がりながらも孤独を感じる人がたくさんいた。
この「働いているのに」「人と繋がっているのに」「無縁を感じる」例を挙げれば、番組で示唆していることが見事に覆る。
たとえばこれが論文だとして「働くこと」「働かないこと」から「無縁を感じるとはどういうことか」をあぶりだして自分なりの結論を導き出しても、反証が提示されていないばかりに(見た目の上では縁があるように見えるのに無縁を感じているという実態の検証がされないばかりに)結論が強引過ぎる印象が拭い去れない。
番組もいよいよ範囲を広げて若者にまで切り込んできたばかりに、収拾がつかなくなってきている印象すらある。
これは集まってもらって議論をしても、収拾のつかないことになるのは目に見えている。
捉えている範囲が広すぎて、筋道があいまいすぎる。
私はどちらかというと「若者」の「孤独感」「孤立感」のほうがわかるので、中年からの「無縁」とは質も実態もまったく違うとわかる。
若いと「家族」や「家庭を含める個人の経済状況」特に「家庭での価値観」が関わってくる。
しかし年をとってくるとそれらの「家庭の問題(形成された価値観・経済的環境)」は「遠い過去に埋もれた潜在的な問題」になってきて、もっと社会で暮らしている側面・影響が家庭よりも強く関わってくる。
中年からの「孤立感」「孤独感」というのは、今まで過ごしてきた環境、自分のやり方、価値観、それらが一気に否定され、今までの思考回路では一切が通用しなくなるような精神的な閉塞感がある。
これは若者が感じている「人と繋がれない」「価値観があわない」「何かの拍子に自己否定される」という「恐怖感」や「恐怖感への保険」とは少々質が異なるように感じる。
私はネガティブな精神状態の中に長年いたことから、自己を否定されることや、働くことを通しての心理状態も多少はわかる。
働いていないと確かに「無職」として、「人が白い目で見ているのではないか」「社会の役にも立たずただ意味もなく生きているだけで、生きる価値がないのではないか」という心理になってくる。
そして事実そういう論調を口にする輩もいるし、「人間としてどうなの?」とまで言われたこともあるし人が自分を見る目に対して吐き気を覚えるほど申し訳なく感じてきたこともある。
それだけに自分がしっかりと社会に貢献するという意識は自己の充実感を得るためにも必要な手段の一つとは言える。
しかしそれだけではいけない。
働いていても否定される人はいるし、働くことで壊れてしまう人もいる。
当然職についても「無縁」「孤独」「阻害」を感じて職から離れる人もいる。
そういう人たちを番組でも出してきたはずなのに、その人たちが辿ってきたルートをかいつまんで、分岐点すらかいつまんで出してしまうと、見ているほうは印象を操作される形になる。
その人たちのルートを厳密に洗い出さないというのは、結論を先走って考えている。
取材の結果見えてくるものではなくて、取材で見ているものを先走って提示しようという焦りすら番組に見える。
これでは本当の問題は出てこない。
一年ほど前にやった無縁社会の番組は、無縁へ至ったルートがあぶりだされていた。
あの番組は本当に衝撃を受けた。
ああいう例をひとつひとつまとめあげて、出てくる環境の要点を搾り出し、さらに要点のさらなる検証をしていく必要がある。
先日初めて「ジャパンシンドローム」という言葉があるのを知った。
http://www.nhk.or.jp/asupro/
(いつまで公開しているかわからないけどNHK「あすの日本」で見れる)
高齢化の問題や、孤立化の問題、雇用、消費、これらの問題は日本が世界で初めて抱えている問題として世界中が注目しているらしい。
都市部の10分ほどいったところでさえ朽ちた民家が立ち並ぶゴーストタウンのような光景がある場所がある。
高齢化によって消費や労働力にもろに響き、それが経済に深刻なダメージを与えている。
「無縁社会」がこれらの問題と直結しているのはよくわかるのだけれど、本当の「無縁の問題」とは、「私たちが経済成長の中で失ってしまった心のつながりとは何なのか」が一番の問題点だと思うのだ。
その点ではこの「ジャパンシンドローム」と一緒の切り口、これを視野に入れた切り口ではこの「無縁問題」の根にある「失われた記憶」は出てこない。
この番組のタイトルは「無縁社会」だ。
「無縁」とは「縁を失い孤立化していく」こと。
つまりは「失ったものが何かをあぶりだす」ことだ。
だからこそ「今見えているものからは見えない何か」が多数存在する。
それらの問題の根にある「失われたもの」に辿り着くにはどうすればよいのか、もう少し違った視点があってもよいのではないかと思う。
これが私の番組に対する感想だ。
対策に関しては、私たちがもっと「お金がなくなれば何もできなくなる」という状態を回避するために、新しいコミュニティー空間を想像していく必要がある。
それらに関してあらゆる取り組みがなされるのはよいことだし、老人の孤立化や健康に配慮して「一緒に動きましょう」と誘えるのはよいことだ。
私が住んでいる札幌市では、大通公園などを使って結構イベントが開催されている。
そういう活動がもっと活発化していけばいいし、札幌市に関してはとてもよい条件が揃っているように思う。
運動や文化活動を通じて人とつながり、また別のところでも人とつながれる憩いの場を作っていく。
笑顔を作るにはどうすればいいのか。
「共に楽しめる空間を作る」という「共楽」というキーワードを実現するかが肝要だと私は改めてここで提示したい。
P.S.
そう、ひとつ思い出したことがあった。
何らかの事情で学校に行かない、働いていない15~35までの総数は60万人。
これは驚いた。
そんなに?あ、でも自分もそのうちの一人に入っていそう。
もうひとつ最後に気がついたことがある。
私は「団塊世代が何か」ということを理解していない。
何を作ったのか、どんな思考回路なのか、それが見えない。
というか、彼らの世代にはとにかく押し付けられて抑圧されてきたトラウマしか存在しないため、向き合おうとしてもいらだってどうしようもなくなる。
だから自分では見えないものがあるのかもしれない。
[2回]
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