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あさかぜさんは見た

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03/17

Thu

2011

震災で起こっている詐欺などの犯罪について

現在北海道でも震災募金や保険を装った電話がかかってきている人がいる模様。
関東地域では東電を名乗る不審者が家を訪問するなど震災を利用した悪質な犯罪が横行しているようなので、安易に信用せず調べてから行動してください。


父の職場の人間だっていうひとから電話がきて、命に別状はないのだが父が余震で怪我をしてしまって病院へいったんだが、緊急だったので自分が治療費を出したのであとで治療費を振り込んでほしいって電話がきた。また新手の詐欺がでてきたみたいです。皆様、ご注意ください><
http://twitter.com/#!/_YKisaragi_/status/47919712914518016

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03/16

Wed

2011

今回の地震でご無事でいた方へ

16年前、阪神淡路大震災が起こったとき、テレビから流れてくる映像を他人事のように見ていた。
当時はまだ未成年。
どうしようもできないし、いつも通りにすごしていた。

復興には少なくとも10年の長い時間が必要になる。
今は大人になり、もっと近場で起こった世界でもトップクラスの災害に、日々心を痛めている。

現在は少しずつ港や空港の施設の一部が使えるようになり、まだまだ不十分とはいえ物資が届けられるようになってきている。
ボランティアに行きたい方もいるだろうし、物資を送りたい人もいるだろうが、数ヶ月は組織立ってはいない個人の行為はただの迷惑であるから、必ず要請に応じて動いて欲しいということ。
自分で勝手に行動せずに必ず仲介となっている組織に問い合わせて動くということ。

通常の経済活動の中にいる人たちで、ぜひ被災地のために何らかの力になりたいと考えている方、お金を稼いで欲しいと思う。

思い返せば高度成長期に日本人はお金というものを手にした。
しかしその「お金」、いわば「富」というものがなんだかわからずに私物化してしまった。
だから壊れたときに、育つものが少なく、震災直前までの状況を生んだのではないかと私は思っている。

「富」は常に分配し育てるためにあるのだ、という意識が日本人には薄かった。
これから物資が届くようになれば被災地では住居、学校、生活のための仕事など、少しずつ必要なものが出てくるだろう。

だったらそれまでに、学校を建てるためのお金や、職業訓練のためのお金や、流通を確保するための様々な支援をするためのお金を稼ごうじゃないか。
お金を稼いで、「富」を得て、その「富」で新しいものを育てていくのだという意識を、ぜひとも持って、日本人としての気骨を見せていくのだ。

被災地の人が苦しんでいる。
だから同じように耐え忍ぶ。
彼らの必要な物資を使っているのならその理屈も通るだろうが、そうではない限りどんどん「生産活動」が何かを考え実行し、お金を稼いでいくのだ。
そして個人が「富」を私物化していくような馬鹿な真似は、もうここで決別しよう。

この日記を読んだ数人でもいい。
自分が持っている「富」は何も「物」だけではない。
その心や能力にも宿っていることを意識して欲しい。
そして自分が持っている「富」を、どのようにしたら増やすことができ、新たな「富」を獲得でき、そしてその「富」を分配し、他のものを育てていけるのかを考えて、行動に移して欲しい。
結局は育てたものの恩恵を受けるのは自分自身になる。
だからたとえ他人から我欲のために行われているのだと言われても、良い目的のために動くのなら、誇りを持って動いて欲しい。

厳しい状況が続くが、私はまだまだ無力。
力をつけるために動いていこうと思う。
あなたも、ぜひ10年先の自分を見据えて、今を大事に「富」を獲得していって欲しいと切に願っている。

P.S.
個人でのボランティア活動、物資援助などは控えてください。
必ず震災地の現状を受けて支援している人たちや組織があるので近場の役所などに問い合わせてください。
また現地で何の用意もなくただ行くのはやめてください。
阪神淡路大震災でも明らかに県外から来た人たちなどが治安を乱すなど、報道はされませんでしたが震災体験者が語るところによれば、相当神経が尖っていたようです。
必ず組織的に行動し、まずは軍隊など、大きな組織による治安維持、復興支援など、落ち着いてきてからの要請が必ずあるので、それまで待ってください。

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03/14

Mon

2011

東北地方太平洋沖地震


地震が起きたころ、ちょうど温泉地に向かうバスの中だった。
日曜に帰ってきたけれど、ずっと落ち着かずテレビばかり見ていた。

日曜、千歳近辺では赤く滲む夕闇の中、自衛隊車両が何台も夕日を横切っていた。
被災地への支援車両であることが、車両側面に書いてあった。

阪神大震災を乗り切ってきた友達がいる。
「津波と原発がある時点で、うちらのとは違うわ。思い出す。怖い」
と言っていた。

この地震の惨劇を見ながら、別のことを考えていた。
この日本の未来と、情報そのものに対してだ。

今は非常時なのでへたな推測で物を言うことは避ける。
だが、不穏な空気を察知した。
この後、復興していく日本を守るために、なるべく手が打てるように自分が動いていくことが大事なのではないかと感じた。

破壊をもたらすものは自然災害だけではない。
この点が一番恐ろしい。

今はこれから起こってくる様々な問題に対し、一刻も早い手が打てるよう最大限の選択肢を選び取っていくことを望んでいる。
個人や組織の都合など、後になってからでよいはずなのだが。

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03/09

Wed

2011

きことわコメント

検索エンジンで来た人書評はこちらの方です。

朝吹真理子さんからのメッセ―ジをお届けします(「婦人公論」より)

『読者の方ひとりひとりが抱いた読後感がすべてです。作品を自由に読んでいただければうれしいです。書く時にはイメージの連なりを大切にしています。書き手個人の体験や嗜好といった、べとついたものを徹底的に排して、浮かんだイメージだけを言葉に写し取る、その作業の繰返しです。』



…というコメントをいただきました。
ありがとうございます。
もしこの作者コメントを読んでいたとしたら、私は逆に腹がたってあの作品を読めなかったでしょうね。

正直に申し上げて詩を書いている人の中には、やはりこういうこと思うんです。
私もそうでした。
そしてその先にあるものは結構自己満足だったりするのです。
作者が何を目指しているのかは現段階では定かではないし、このコメントを覆す作品を書くかもしれないので現段階での私も思いを勝手に書いているのですが、このコメントを紹介していただけたということは好きな作品だったのでしょうね。
なので、感情を抑え抑え書かせてもらいます。

私はこういう感覚が日本語における詩情というものをダメにしたんじゃないのかなと考えてます。
「詩」という言葉は作品紹介の時に聴いたものであって本人が言っている言葉ではないので、周囲が勝手に意図して付け足していることだとは思います。
なので、詩情というものも作品の中から排除すると、自分と他人というものを混同しているのではないでしょうか。
このコメントを真に受けると、作品として視点が常にすっと凝縮されていくように一点にのみ集まっていくというのは当然ですし、全体としての雰囲気や力配分が均一化され、人間の世界ではなく、風のような上下左右もない空間世界、情感世界になるのは明らかに作者が意図した帰結でしょう。
なので、私が書いた感想は作者のコメントに厳密に照らし合わせるのなら間違いであることは明白です。
その視点ではコメントを紹介していただいた意図はまったく間違っていません。

しかし「伝える」ということと「言葉を使う」ということの因果において、とても達観しているとは感じられないし、因果から逃れられる力を持っている作品ではないと判断しました。
もしこの線で書くのだとしたら既に設定からして間違ってますしね。
この2つの因果から作り手が逃れられるとしたら世界でもトップクラスの実力を持った人でしょう。
世界の文学関係者が注目しだします。
つまり言葉を使うものとして「言葉の因果」そのものから逃れられているのだとしたら、彼女に対して褒めちぎることしか方法はないし、早くノーベル賞とってくれないかなって思います。

読者は読者の立場で作品を読みます。
好きでいいんです。
貶された部分があったとして、作者の真意がこの人わかってないなとか、このヤローふざけたといいやがってとか、そういう気持ちを持つのもいいんです。
私は作者の立場から作者を見る。

これから日本語はどんどん変化していくでしょう。
時代の常です。
そして村上春樹よりも彼女のような文体を選び取っていく可能性は否定できないところがあります。
都市化が進み、情報化の中に埋もれる個が、一体何を見出していくのか。
個から逃れ、より個人よりも集団レベルで上下もなく均一化していくことを選び取るのならば、彼女の文体は完全に未来型であり、そして個の薄れた人たちに最も好まれる作品として見直される時期も来るでしょう。

「ここには作者の選び抜いた言葉だけが揚げられていて、読み手の無責任な口出しを許さない。」山田詠美
当然ですね。
作りこまれた情感世界の中に他人が入り込むことなんてできないのですから。

また「抽象画」ということ言っている人がいます。
視点のところでも物に随分視点がいっていることを書きましたが、確かに絵画的な手法であるともいえます。
その点では優れている。

まず視覚の段階で人が物を認識できるのは「光」があるからなのは最もなことですが、それ以外に重要な要素があります。
「影」です。
このような「陰陽」の関係はどれほど排除しようと無視できない。
それすらも「徹底排除」しているのだと作者が思い込んでいるのだとしたら、書き手としての視点として物足りなさを感じてしまうのです。
排除したときにかかってくる「負荷」は何でしょう。
そのことを彼女がどこかで書いているのなら教えてください。
これを完全に見抜いているのだとしたら、ただ私は作者の手の平で踊っているに過ぎないただのサルですから笑ってやってください。

最後に繰り返しになりますが「言葉を使う」という、そのものにかかってくる因果を見事に逃れている達観した作品ならば、褒めちぎっていたと思いますよ。

P.S.
ここからは詩のことです。
べとついた感覚を徹底排除するという感覚はよくわかります。
それは少しでもこういうものを入れると自分の中のイメージや感情がかき乱され、作品に亀裂が出てくる。
空気の入った茶碗のように、心という竈の中で焼き上げるときに音を立てて砕け散るのです。
しかしここには他人との戦いがない。
自分との戦いなのです。
でもこれは「小説」ですよね。
なんのために「小説」ってあるのでしょう。
書き手によって答えは様々だし、時代によって変化していくでしょう。
そしてその答えを私が強要することは大変愚かではありますが、言葉を使うことの原点は何だろうと私はいつも考える。
言葉を使うって何でしょう。
いくら技術が練磨されようと、そこを勘違いしてはいけないのではないのかなと思います。
そして詩はこの世界に存在しているあらゆる「自然」を認識することですが、彼女の感覚からは非常に「都会的な自然」しか感じない。
でも、きっとこの「都会的な自然」と「生の自然」の区別がつかないくらい現代人は感覚を失っている。
私が主張することもやがて時代とともに滅びていくでしょう。
そういう運命を背負いながら、私は私の立場で物事を考えたいと思っています。

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03/06

Sun

2011



第144回芥川賞受賞作品。
「苦役列車」を読んだら「あ、そういえば」と気になって、どうしようかなと思ったけど結局読むことに。
最初から先走って書くと、こんな様子が妄想できた。

「ねえ、今回『苦役列車』推したいんだけど、ちょっと生々しすぎる。この男子寮のむせ返るような酸っぱい男臭はなんとかできんものか」
「じゃあ、今回は2人にして、女性はどうでしょう。生々しいのを緩和するために、さっぱりしてて後味が口の中で溶けていくようなものがいいよね」
「あ、いい作品がありますよ。これにしましょうか。経歴とも申し分ないですよ」

なあんて、流れなんじゃないの?と勘繰りたくなる。
確かに「苦役列車」の中和剤としては充分だろう。
でも手ごたえを感じない。
というのはもちろん「生々しさ」や「リアリティ」ではない。

最初から順を追って話すと、まず「きことわ」って何?と疑問を持つのは当然だろう。
それで最初開いてわかる。
「ああ、主人公の名前を合体させたものね」と。
それで何で名前を一緒にしたのかという疑問もうっすらだがわかる。

正直に書くと読み終わってみて、私はこれが「少女が見る大人の夢」なのか「大人が見る少女の夢」なのか、区別がつかないところがあった。
というのは当然主人公の年齢は子持ちで中年に差し掛かるところであるとわかるのだが、そこには子持ちの主婦や女性たちが持っている生活における生々しさが一切ない。
それにこの作品だけかと思って他のも見たら同じだったので作者の意図したところだろうが、優しい漢字をあえて開いて表現している。
つまり「やさしいかんじをあえてひらいて表現」しているのだ。
ひらがなにしている。
テレビで聞いたときは「詩情」という言葉が出てきたけれど、この漢字の開き方における文章表現が「詩情」なのだろうか。

話が前後したが主人公描写に戻す。
ひとつだけ非常に感心したことがある。
それは「物への視点」だ。
男性はここまで事細かに物へ視点がいかない。
だいたい男性の視点になると「興味のあるもの」に隔たったりするが、女性視点は生活において存在する様々な物へ視点が移り、認識していく。
しかしとても残念なのは、まるでスーパーや百貨店に陳列される時に使われる「よくできた写真」のように綺麗過ぎて生活感がない。
たとえば野菜ひとつでも葉っぱがしなびていたり、綺麗そうに見えるトマトの一部分が傷んで食べられないほど味が変わっていたり、鍋についた小さな汚れ、洗い残し、作ったご飯の食べ残しなど、当然生活していれば汚れたものはたくさん出てくる。
この物への綺麗過ぎる描写が当然主人公たちの人生にまで及ぶのだから余計に「ふわー」と浮いたような気持ちになるだろう。
この作者の視点は、まるであたたかい昼ごろ、木漏れ日の中でうたたねをして、きらきらと揺れながら夢を見るような印象なのだ。
これは実際の子持ちの30代40代の主婦に聞いてみたいのだが、恐らく私と同じように「子持ちで生活しているような傷跡がない」という感想を持つのではないだろうか。
幼少期の体験が記憶の中のノスタルジーだと百歩譲って許せたとしてもだ。
まるで少女が大人の夢を見ているような感覚しか持たないのが一般読者の感想であろうと思う。
しかし、この書き方、この雰囲気、「ポスト江國香織」になるのではないだろうか、という予感はする。

そして問題の「詩情」についてだが、ちょっと疑問点がある。
詩というのは、ぶれないし、そして明確な視点を持っている。
しかしこの作品にはまどろんでいるような心地よさが全体的に漂っていて、まどろみの薄れてゆく視点の中に正確なピントあわせが存在する、というレベルまでは達していない。
ある人がこう言っていた。
「詩というのは書き始めた頃には完成している。啓示のような皮膚感覚を文字にしているだけなのだ」と。
私はこの言葉に同意する。
そして詩情とは読む側にも皮膚感覚における強烈なインパクトがなければいけない。
また萩原朔太郎もこう書いている。
「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」

確かにこの作品は、まるで両者がひとつになりたがり、若かった頃の肌をなであい、そのきめ細かさを確かめあっているような、その退行は赤子のもちりとした、つやつやした肌の質感まで戻るのではないのか、という印象すら抱かせる。
しかし、しかしですよ、ここで一つの違和感が出てくる。
「主人公たちの年齢と環境」だ。
多くの読者もこのギャップに違和感を感じるのではないかと思っている。
この話が少女の話で一貫されていたら非常に完成度の高い作品になったかもしれない。
少女の無垢な純粋性の結晶を描ききった名作になったかもしれない。
しかし大人はもっとどろどろしたものと向き合っている。
読書する時にその経験を重ね合わせてしまう。
この話では「現実逃避」にもなりがたいのだ。

この話はこの漢詩がぴったり似合う。

春眠暁を覚えず、
処処啼鳥を聞く、
夜来風雨の声、
花落つること知りぬ多少ぞ。
~「春暁」 孟浩然~

とにかく視点はある。
踏み込み方が甘いだけの話であって、これからの成長に大いに期待するべきではないだろうか。
と、偉そうに書いたところで今回の感想おしまい。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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