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あさかぜさんは見た

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01/21

Fri

2011



1991年の映画か、としみじみ。
監督はスティーブン・スピルバーグ。
たまにこの映画を見たくなるのはフック船長役のダスティン・ホフマンが大好きで躁鬱がかった大人子供のはじけようがたまらなくいいのだ。
なんだか年をとるごとに感情移入ができるのは自分が年をとってきたからなのだろうか。
自分にげっそりである。
スミー役のボブ・ホスキンス(マリオ)と漫才を繰り返す、いわばおバカコンビ。憎めない。
大人になってくると、結構いろいろな目にあうので人への警戒心が強くなり、構えてしまうところがある。
ロビン・ウィリアムスが扮したピーター・バニング(パン)のようなことになるし、夢というものを信じなくなる。

自分がこの映画へ素直に感情移入できない時は心が乾いている時やギスギスしている時だ。
とてもじゃないが苦痛で見れない。
でもそうじゃない時は「夢を持ち続ける大事さ」というのを痛感して目が潤む。
ここまではっきりした心の違いに自分でも妙な感じを抱く。
夢を育てているのか、夢を食い物にしているのか。
でもこの世界のピーターパンって父親として、一人の人間として夢を持ち続けるために前向きな努力をしている。
夢だけがあってそれを持ち続け、大人に対しての反抗心などを持つなど、妙な意味で定義されてしまった「ピーターパン症候群」のピーターパンとは違うんだよな、と感じたのだ。

大人も子供も夢がないと生きられない。
その夢の持ち方というのをどうすべきなのかは、大人の責任として考えないといけないのかなとも考えはじめている。
正直、「お、れ、た、ちゃ、海賊だ!」みたいな典型的な海賊役ができたら楽しそうと思ってしまった。
ああいう世界は裏切りに満ちているけれどもね。

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01/06

Thu

2011

仲村颯悟(りゅうご)監督



朝のテレビ番組で偶然見たけれど現在14歳だそうだ。
今は年齢で驚きを売りにしているけれど、この方は本当にカメラワークの天才かも。
普通の明るい変哲のない畑を「ホラーっぽく撮ってください」と言われて撮った映像に鳥肌が立った。
カメラワークだけでホラーにした才能は凄いの一言に尽きる。
カメラだけでここまで訴えてくる感性は、これから確実に大物になると思わせるに充分だった。

日本の映画界に革命を起こし、世界に名を轟かせるのも時間の問題。
青年になるまでに6年もあるのだから、今よりもいっそう腕を上げてくるに違いない。
日本はこういう才能を無駄にしちゃいけないし、育てないといけないのですよね。
カンヌかベネチアかベルリンかわかりませんが、いずれ海外でのグランプリを取って帰ってくるのを心待ちにしています。

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01/06

Thu

2011



インテル入ってる?
面白いフィルム。
アイディアの宝庫。
今の自分のパソコンならこの映像実際にやったら30秒も持たないと思う。

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01/06

Thu

2011

見えた!やるべきことが!

遅まきながらあけましておめでとうございます。
新年始まって初めてのブログ。
また新たな年になり、うまく眠れない日々が続いていました。
おみくじも今年を暗示し、あらゆる占いも言っていることが重なっております。
道ははっきりと示されているだけにもう5日も経ってしまったことにあたふたしてしまいます。
睡眠が深くなく、浅いようで起きていても強烈な眠気のようなだるさにずっと悩まされていたし、眠ってもすぐに目が覚めてしまうような状態でした。
今年は「まずは肩書きを作って仕事をしやすくする」という作家として最も大事な世間上のスタートラインに立つという目標を中心にしながら邁進するつもりですが、心の中でどうしてももんもんとするものがあり、あれやこれやと、振り切れぬ悩みの霧をまとっておりました。

そこで先ほど偶然にも、

http://blog.livedoor.jp/ftakahiro/
京都を遊ぶ社長のblog

2010年10月25日の「一点突破の重要性」という日記を読んで、「あっ!」とわかった。

以前受賞のデビューからずっと追っていた作家さんを見ていて、商業誌や新聞紙にもどんどん進出していて躍進しているのに、文章はどんどんのっぺりとした当たり障りのないものになっていっていた。
受賞時にあった刺々しいものがまったくなくなってきているのを感じて、心底がっかりしていた。
自分もあれやこれやと他人に気を使うあまり、迷って、自分が持っている長所にまで疑問を持ち出し、進むにも恐ろしく躊躇があった。

そこで上記の日記を読んで思った。
「満遍なく受けようとしたら自滅する」と。
結局自分が見ていた作家のように「別にその作家じゃなくても他の人も似たようなのができるじゃん」というところに落ち込んでしまっては存在意義を失う。
作家なんだもの、最初からおかしくてちょうどいいんだ。
自分の長所は何か、それをとことん伸ばして誰よりも尖ってやることが一番大事なんだ。
そうすることで、ようやく存在するだけの価値が生まれる。

今現在足りないと思っていて、身につかなくてやきもきしていることがたくさんあり、焦りもハンパない。
自分の理想としているレベルと、現在のレベルのギャップに、ひどい空回り感を隠しきれない。
見えているのに道のりが長すぎる。
あれもこれも重なってしまって身動きができないほど頭が硬直しているのがよくわかる。
そういう自分から脱却したいと意味もなく足掻いて集中力を欠いている。

萎縮するのではなく、どんどん尖らなければならない。
萎縮していったらもはや後は残されていない。
作家としての存在価値を失うだけだ。
その尖ったものを中心にしてあらゆるものを吸収していけばいい。

想像だけだといくらでも人間の妄想って肥大していくものなんですね。
自分はここまでできるとか、物理的、能力的、現実での限界をどんどん無視して肥大し、現実とのギャップがわからなくなる。
経験がないというのはこれだけ酷い状態を生み出す。
頭だけで考えるというのは、人間をダメにしやすい。
他人の限界もわからなくなるし「当然こうだろ」みたいな、頭ごなしの考えしかできなくなる。
そういうのは作家としてもう現実感がないし、文章にも成長が見られなくなる。

あらゆる行動というのは「選択肢を可能な限り広げる」ためにあるべきであって、退路を断つためにあるわけじゃない。
だからこそ、自分にしかできないことを探し、誰でもできるようなことはまず二の次にしないといけない。
まずはここからやろう。
「何を守りたいか」ではなく「何を育てたいか」が一番大事なのだ。

ということで、今年一年よろしくお願いします。

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12/28

Tue

2010

去年から今年にかけて色々見てきた中で、人間はどのようにして自分自身の整合性というものを保っているのだろうとふと疑問が浮かんだ。
オンラインゲームの世界の中に飛び込んだり、恋愛関係における人の繋がり方を見ていたり、バーチャルリアリティーとリアル(現実:バーチャルリアリティー空間では現実世界でのことを「リアル」と呼んで分ける)の中で違和感を持つこともあった。

人の「悩み」とは何か。
成長しているようでしていない人間の特徴は記憶の整合性に重点を置いているように思う。
これは「記憶の安定性」を保つために、新しいことや変化があったとしてもそこに適応して成長するよりも「自分自身の居場所を確保」するために記憶上に存在する過去の自分に執着して世界を自分の望む状況に変えようとする。
これは「変えている」というよりも「自分の望む状況を集めている」と言った方が正しい。
だから批判をしていても批判した内容は他者に即してではなくあくまで自分を中心としての力点のほうが強い。
自分では変化させたように感じるだろうが自分の過去の容認なので個人としては変化していないし、同じトラブルを繰り返したりする。
これは過去の記憶の連続線上に存在していて極めて直線的な記憶(変化していない個人)の中で自分の安定性を確保する作業だ。

人は、どうやら自分の記憶の整合性を保つため時間の中で連続している記憶を確認するたびに、自分の世界を維持しているらしい。
これは「記憶の関連付け」にも繋がる。
思想信条があって、ひとつのオブジェを見る・感じることで思い起こされる過去の記憶の連鎖によってアイデンティティーを保っているのではないのだろうかということだ。
だから同じ物を目の前にしても感じ方が違う。

井上陽水という歌手がいるが、その人は毎年のようにツアーで休むことなくライブをしていた。
しかしある日ホテルで目覚めた時、自分がどこにいるのか一瞬わからなくなり、これではいけないと感じ、ライブを控えるようになったという。
今考えると面白い示唆のようにも感じてくる。
この話の中では場所による記憶が毎日変わっている。
目覚める風景が似通っていても、目覚めている場所は違っているので、類似した風景を見た時に、過去の記憶と関連付けようとしても違ったものが引き出され、混乱する。
昨日の記憶を思い起こそうとして四日前の記憶が引き出され、自分の現在の居場所を記憶の中で喪失するということだ。

ハリーポッターの主役のダニエル・ラドクリフも役にのめりこみすぎるあまり自分が何者だかわからなくなった時期があったという。
思春期の時期とかぶったので余計に「個の整合性」が保てず混乱したように思う。
連続した記憶のアイデンティティーの中にハリーポッターという別の人格の記憶が入り込むことによって、ダニエル・ラドクリフという人間本来の記憶の連続性が保ちづらくなっていたということだ。

またバーチャルリアリティーの世界の中で長く時間を過ごしている人は、少しずつ力点がバーチャルに置かれ、リアルと理屈が摩り替えられていくということに何の違和感も持たないという現象が起こり、少々驚いたこともあった。
力点の置かれる過去の記憶がリアルよりもバーチャル側に置かれることによって整合性が摩り替わっていくということだ。
これはバーチャル世界のみならずリアルの世界でも常に情報が与えられ続け個人の感覚の中で整合性が取れれば、その世界への力点が強まっていく。

「記憶に錯覚を起こす」

この世界はほとんど嘘で成り立っている。
もしそう言われたとしても誰も信じないだろう。
たとえばバーチャル世界しか知らない人間が「現実」があるのだと言っても信じない。
なぜならば人は世界の真実の基準の書き換えを自分の記憶の整合性を保つために行い難いためだ。
これはもう「マトリクス」という映画の中で既にやっているが。

話の一つの考え方として時間上に存在している連続した記憶を板状に考えると、この板状の記憶が少しでも組み替えられることがあったら混乱して人は世界における自分と世界そのものの整合性を保てなくなるだろう。

人は望む世界を心の中に抱いている。
苦痛を経験して得るものがそれ以上に大きくなければ望む世界の中には苦痛は存在しないし、現実が何かを見つめることはできないし理解することも不可能だろう。
常に代価の大きいものに力点を置いていく。
この代価への欲求が個への執着を促がし、いずれは堕落を引き起こす要因にもなっているのは皮肉だが、良い方に考えるならば「希望」も個人を離れた世界への代価の中に存在している。

成長しない人間は悩んでも結局安定した自分に戻っていく。
変化するために悩んでいるのではなく、変化しないために悩んでいるのだ。
つまり記憶の安定性の維持や自分という主体の望んでいる状況を集めるための努力をしているといっていい。
記憶の安定性は極めて限定された空間における錯覚の中にしか存在しないから生み出すのではなく、あるものを集めるしかなくなる。

この逆が変化のための悩みであって、想像上にのみ存在している。
他者とのよりよい関係は数多くの経験から得られる豊かな想像力の中で培われるものと言っても過言ではない。
さらにその未来ともなればなおさらだろう。
新しい変化を望む時、人は必ず自分というものから離れないと見えてこない。
自分ひとりで成り立つ力などあり得ないという現実感の元に先を見なければ最後は成功しないからだ。

両者の記憶の関連付けは、オブジェによってなされるのではないだろうか。
それは自分が考えている整合性を何かを見る・感じることによって常に維持させている。
時としてオブジェのために変化するのではなく、整合性のためにオブジェを集めるということにも摩り替わったりする。

世界は人々の消極・積極的記憶の混在によって維持されている。
新しい変化を周囲に望もうとする時、安定を望む意識が反発するだろうし、安定だけを維持させようとすると、変化への意識が反抗心をもって衝突していくだろう。
人の悩みはこの中に凝縮されているように感じるのだ。

人類の社会にとって有益なのは変化しないことだ。
しかし生物・遺伝子にとって有益なのは変化(適応)していくことだ。
人は生まれた時から矛盾を抱えている。
宇宙を含めた現実は常に変化している。
記憶を持ち、社会を作ろうと考えたからこそ、整合性を保つために世界を限定し、記憶の連続性を維持させる必要性があった。
だから昨日の記憶を覆される存在に疑いを持ち、整合性を保てない違和感のある存在を無意識に排除しようと試みている。
過去に危機しか持たないのであれば、良いにしろ悪いにしろ変化を望むだろう。

これが根に近い、生物本来の姿であるように感じている。
今は、もしこの記憶が遺伝子にも影響を与えるとしたら、などとちらと思ったりしている。
今回はここらで止めておこうと思う。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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