電子書籍ツールがどんどん出てきて、携帯小説に続き電子書籍ブームが来るかという話題で持ちきり。
しかし携帯諸説とは違い、電子書籍は既存の出版物にも大きく影響するため、業界関係者は何かと話題に事欠かない。
紙に対する信用度が日本では高く、まだまだ電子書籍が売れるのは知名度のある人間のみで、まったく知名度のない人間の作品が金銭的に売れているということはまだ聞かない。
我々は生活で「文化」というものを意識することがあまりない。
…何か今日はこういう「意識することがなく生活に密着しすぎて、重要視する人が少ない」話題ばかり。
技術とか、文化とか、そういう言葉があるけれど、これは当然「継承する人間」がいなければ途切れる。
そして「文献のみに存在する記録」に成り果てる。
それを取り戻すことはある程度は可能だが一度途切れると、そうやすやすと簡単には取り戻せない。
今日は興味深い一文を見つけた。
「利益文化は利益がなくては生き物ではないのですね」
~うえみあゆみ~
例えば「なんでも鑑定団」を見ていると、いつも面白い反応が見れる。
その「ガラクタ」だと思っていたものが「優れた価値のあるもの」だと鑑定されると、打って変わったようにはしゃぎだす。
それまでは「1万円でも別にいいだろう」と思っていたのが突然その瞬間から「100万円でも手放すのが惜しくなる」。
不思議な現象だが、時折考える。
「価値」とは何だろうと。
たとえば価値を見出さず、「ガラクタ」のようなものだと思っていれば、そこにお金を払うことすらためらわれる。
しかしきちんとした価値を知っている人がいれば、隙間市場の需要と芸術品としての価値に照らし合わせ値段をつける。
人はそれで納得して、たちまちその「価値」に気持ちをあわせる。
この「価値」や「重要性」がわからないままだったら、一体それはどうなっていくのだろう。
電子書籍はどのようにして手数料をとる仕組みを組み込むかを商売にしたほうが、はっきり言って儲かる。
電子書籍を出そうとする人は途切れることはないだろうし、「お宅の電子書籍宣伝しますからいくらください」なんて商売やったほうが金にはなるだろう。
作家に「売れたい」という欲求がある限り、この欲望を相手にする商売はずっと足元を見続ける。
読者は今「読書」というものを、どのように捉えているのだろう。
その「読書」をするのに必要な「本」というものをどう考えているのだろう。
そして我々の主要言語である「日本語」のことをどう考えているのだろう。
作品は洪水のようにどんどん溢れかえっている現状で、優良な作品が紹介されているとは思わないし、読者もきちんと「価値」を見出して意識して優れたものを残していこうと行動しないといけない。
アニメの原作とか、そういうのばっかり読んでいる場合じゃない。
人生の糧となるような「人間味」が書かれている小説がなくなってしまう。
これホント、ライトノベルとかじゃどうしても書けないものが「小説」にはあるのだから。
現実空間には「制約」がある。
小説には制約の中で懸命に生きようとする人生の知恵が詰まっている。人間の感情が詰まっている。
日本のストーリーコンテンツはどうしてもこの点を見失いつつあるのではないかと思われてならない流れがある。
楽しむのはいい。
でもちゃんと一方ではきちんとした小説も読む。
それでこそ「価値」というものを守っていけるし、それを継承する人間にも「価値」が出てくる。
「日本語」というのも考えていけるし、特に「小説」は感情表現における多様な叙情が含まれている。
感情をきちんと言葉にして表すということは人生においてとても重要だと考えるけれど、この点についてはどう考えているのだろう。
電子書籍の世界は紙と違って少々露出が少ない。
本屋には買わなくとも陳列してあるだけで気になったり手に取ったり、書店から何かちょこっと紹介があれば気になったりもするが、電子書籍は無名の作家に対する信用度がないので気にもならないことがほとんどだ。
それだけに「生き残り」には知恵をどんどん絞り、実践の中で練磨していくしかない。
文章を書く才能は誰でも磨ける。
視点を磨き、言葉を当てはめ構成していく。
ここまでは誰でもできる。嘘じゃない。本当にできる。
ただ、本当の「作家の才能」を決めるのは文章力を超えてくる「言語感覚」に存在している。
どの言葉をどのようにして組み上げていけば、読み手の心は感じるのか。
こればっかりは「学んだ」だけじゃ真似できるものじゃない。
対人の中で鍛え上げられた「言葉」があり、つまりは「第六感を含んだ身体能力」の高さがかかってくる。
この才能を持っている人間を探すことは容易ではないし、潜在的に持っているこの才能を育てていくことも容易ではない。
当然「賞ももらってない、知名度もない人間がプロ並みか、それ以上のレベルを出すことは難しいだろう」と格下に見る気持ちもよくわかる。
確実に「読んで、読んだ時間を損だと思わない保険」が欲しいだろう。
だからその「保険」を賞や紹介や作家名に求める。
電子書籍の場合は「川底の砂利の中からダイアモンドを拾い上げる」という行為に等しいかもしれない。
読者がこのような状態で「才能」を見つけることは難しいかもしれないが、もし見つけられたら応援してあげて欲しい。
きちんと日本語の小説を書く人を応援して、そこに「価値」を与えることこそ文化の担い手を滅ぼさないことにも繋がるし、そのまま文化を守ることにも繋がる。
日本語は変わってきた。
これからも変わり続けるだろう。
しかし、その日本語の根元をしっかり知って枝葉を楽しむのと、そうでないのとでは、まったく「価値」に対する意識が違う。
「価値」を継承する人間と、そこに携わるすべての人に、「価値」を正しく与え、そして与えられることを切に願って止まない。
当然、私もこれから尽力させていただく。
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