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あさかぜさんは見た

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09/29

Wed

2010

NHKスペシャル 無縁社会 番組スタッフからの電話

今晩また電話がかかってくるようなのですが、その時に追記に書いておきます。

と、いきなりなんのことだか、わからないかと思いますが、題名の通り電話が来たのです。
まだ開催できる人数に達するかどうかわからないのですが、もし開催できるようであればNHK札幌で無縁社会について座談会をしませんか、と。

ツイッターを見ると応募することになっているようですが、自分は番組ご意見募集のコーナーから、自分のブログのURLを貼り付けて「意見ブログに書いてしまいました」と送ったのが、わざわざ来て読んでくれたようです。
http://asakaze.blog.shinobi.jp/Entry/550/

ちょっと偏見かもしれないけれど、民法ではここまで熱心にやらないと思ったと同時に、今回のこの特集におけるNHKスタッフの並々ならぬ熱意というものが同時に感じられた。
私自身も、いきなりこういう突拍子もない電話が来ると、わくわくするし緊張するし、自分が何をしゃべれるやらと不安やらで久しぶりに、いつもとは違った気持ちでいます。
勉強しなきゃいけないなとか、下調べもなしにしゃべれないとか、もういてもたってもいられない。

札幌では、どのようなことになっているのか、この都市に生きている人たちがどのような危機感を持って生活しているのか、というのが聞けるいいチャンスだし、自分もそこで思ったことをしゃべれたらしゃべってこようかと思います。

ふと最近感じたことがあります。
それは「経済がよくなれば、このような事態も少なくなるのではないか」という意見が結構あるということです。
このことを真に受けて肯定し、さらに逆側から言えば「お金が前提で成り立つ社会」というものを構築しすぎた末路が「無縁社会」ということなのではないかと考えるのです。
すると、たとえ経済的に回復したとしても、元に戻るだけで問題の「大元」となるものは取り去れないままになってしまいます。

私は都会育ちなのでよく村の構造はわからないのですが、少なくとも都市に生きる人間として隣人や他人のことなんてどうでもいいと思っているふしがある。
密接に関係しなければ繋がりあうこともないし、余計なことを詮索されずに済む。

それに「他人と関わる」ということについて、自分にメリットがなければとことん面倒だと思うところがある。
ボランティアなんて見返りもないし、「ただ働き」だと思う人もいる。

こういう考え方は自分の行動を「経済活動」ないし「利益行動」に直結して考えている。
そして「利益」や「貨幣」というもので成り立つ社会やサービス、コミュニケーションに至るまで、強固に構築してきた。
当然お金が潤沢に流れ、人々にいきわたっているうちはそれでよかった。
しかしいったん、「貨幣」という血流が止まったとき、経済活動と同時に人間関係までもが停止してしまう。
まず、この状態に問題があると考えるのが一点。
つまりは金というものに傾倒しすぎたあまり、その基盤が揺らいだ時に「絆」まで揺らいでしまうのは、「金」前提で成り立っている絆であり、自分なりの言葉で言うならば、その程度の薄っぺらい絆を構築することに邁進していたということになる。

色々考えがどんどん出てきて、何から整理すればいいのかわからなくなるほど混乱する。
本当ならこんな深刻すぎる問題、考えたくもない。
でも実際誰もが同じような考えに至る可能性はあって、自分が窮したときに「助けてください」と言っても、誰一人助けてくれないかもしれないという不安を強く抱えている。
それだけ、隣人ですら何者かわからないし他人だという都市社会に住んでいる。
干渉しすぎるし過ぎないというのが問題ではない。
しかし個々人が「繋がらなければいけない」という理由を失っている。
これは人が人に向かう前提としての根本的な心構えを既に失っていると考えてもよいのではないのか。
「国のせいで」という人もいる。
しかし国というのはシステムを作り出しシステムを遵守するために機能していく。
実際の我々の生活は「国」ではなく、もっと小さな単位だ。
個人に寄りかかることが負担でも、もう少し大きな「集団」や「組織」、そう肩肘張らなくとも「コミュニティー」というものがあれば、そこがクッションになる可能性だって高い。
が、その活動すらもか細い。

私たちが社会を作るうえで「個人」という単位を信じすぎた結果、会社や家族という繋がりをなくした時、「孤立」と直結した。
これが第二点。

他にも色々考えることはありそうだが、今回はここまででご勘弁。
脈絡もなく文章が滅茶苦茶かもしれないけれど、自分なりにちょっと搾り出してみた。

あとは、昭和を育った人たちの多くには「他人に迷惑をかけてはいけない」という価値観があり「自己責任」の感覚が強く、その観念も「孤立」に繋がっているのではないかという推測などがある。

これはもう、芋づる式に、かつ様々なものが絡まって出てきそう。
ここまで他人事のように放置してきて、いざ我が身の番かもしれないとようやく考え出した人たちにも憤りを覚えそう。
でもそれは単なる八つ当たり。
やめておこう。

今日の夜どんな電話が来るやら。


追記:
札幌座談会決定したそうです。
10月3日、行ってまいります。

都合により、10月2日まで非公開にしてました。
色々配慮があるんですね。

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09/20

Mon

2010

http://poemoon.seesaa.net/

今度詩の電子書籍を発売しようかと考えているのですが、それと同時に朗読も再会しようかと思いまして、一年と数ヶ月ぶりに!再開しました。
電子書籍では音声データを入れるとでかくなるとのことで、中の詩はすべてこちらのサイトで朗読して、写真付きの点が電子書籍版のおまけということになりますな。

それにしてもやりかけのものがたくさんありすぎて、しかも自分の声って恥ずかしいものですな。
耳で聞いている声とは全然違うけれど、聞きなれたら最初の驚きもなくなってくるというものです。

朗読となるとまた表現方法が違ってきて、下手っぴこの上ないですが、精進していきたいと考えております。
難しいよね、朗読って。
また声の表現ともなると、ちょっとしたイントネーションで感じが違ってくるから不思議なもの。
下手でもやっていれば、新しい発見もありそうなので、こういうの好きな方はどうぞ寝る前当たりにお楽しみください。

続けていれば、また新しい道も開くかもしれないしね!

ちなみに「おいしいところを持っていく悪役」がやりたいです!(爆)

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09/20

Mon

2010

年齢に対する焦り

小さな頃はまったく焦りもないし、嫌だ嫌だで様々なことが過ぎ去っていったけれど、どうにも年齢を重ねるごとに「このままではいけない」としみじみ思うようになってきた。

その焦りは自分の知識であったり、経験であったり、視野の狭さであったりする。
何もかもが浅はかで、とてもじゃないがこの世界で生きていくには多様性に欠く。
「年相応」ということもよく考えるが、作家としてやっていくには、若さだけでは押し通せない部分も出てくる。
「若さ」と、「なぜ若さが通らないか」の広い視野において「若さ」を捉える必要性が出てくるからだ。
いつまでも「若い若い」だけの薄っぺらな小説ばかりでは、自分でも「未熟なままで満足しきっている馬鹿」と感じるようになるだろう。

基本、発想がネガティブでもあるので、一度はまり込んだら抜け出られない。
なので、なんとか未来においてそういう状態になることだけは勘弁したいと幅広く学んでいこうと思うわけですが、なかなか心をずるずる引きずっているような感じで思うように前には進めない。

作品としての深みを出すには、その知識や経験を前面に出すと味気なくなるが、さりげなく配置することで味わい深く奥行きのある描写になる。
現在作りかけのものがたくさんあるが、それをすべて完成させるだけでも2,3年はかかりそうだ。

通常の人は小説は自分の経験によるところが大きいと考えるが、残念ながら20本とか30本とかいう作品数になると、自分のそれまでの経験では絶対に補えないものが数多く出てくる。
その未知の経験や知識を得るために、今の感性、この感性の部分は知識や経験を得るごとに鈍る側面もあるので注意しながら伸ばし、知識や経験を得なければいけない。

もっとたくさんのものに出会いたいし、もっとたくさんのことに感動したい。
この世界は絶望ばかりではない。
たとえ特殊行政法人に国の金が300兆流れ、その金がヤミ金や外国との取引に流れていて、この先2・30年ほどで日本という国がなくなってしまおうと、自分という人間だけは残る。
自分という人間が世界の中で残った時、何が武器になるのか、どうしたら生き残っていけるのか、どうやっていったら再生できるのか、そして一人でも多くの人間を助けることができるのか。

もうこの先を考えるなら「日本の中の私」ではなく「世界の中の私」を考えなければ生き残ることはできない。
そのための「私」であろうとすることを目指さなければいけない。
「遅れてる」という焦りだけが積み重なっていく。
もっと自由に動きたいのにな。

相変わらず、下手な作品ばかりを書いていているが、いつか自分でも納得できるようなものを出せたらいいな。
広く世界を見て、広く人を知って、広く伝えていきたい。

「生きる」っていうのも、捨てたもんじゃない。

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09/15

Wed

2010

人間は常に自分の「感性」の範囲において物事を理解する側面がある。
そして、感性を逸脱するものに関しては、多大なる時間をかけなければ理解しないという特性も持つ。
たいていの人間は、時間をかけることにひどく苦痛を見出すので、結局は自分の感性の範疇に戻って理解しようと試みなければ、頭の中で整理できない。

強大な感性を持つ者…と言っても、それが「どんなものなのか」を説明するにはペンで地球を実寸台で点描するくらい困難なことなのだが、本当に能力のあるものは、目の前の「秋刀魚」に宇宙を見出す。
別に「秋刀魚」でなくともいいのだが、それが石ころでもりんごでもよい。
芸術家肌というのはその感性の強大さにおいて世界と戦い続ける。
感性というのは「心の核融合炉」である。
これは親指の第一関節くらいの大きさのウランで核爆弾を作れるように、たかが「秋刀魚」と普通の人が思うようなものに「宇宙」を爆発的な想像力で感性で見出すことができるのが芸術家の特性なのである。
なので、感性の部分については当事者ではない限り永遠に実寸台で伝えることができないし、優れた作品を残そうものならほとんどの人間は、その感性によって作られたものに翻弄され続ける。
そしてこの芸術家当事者と鑑賞者の「齟齬」こそ、「そご」とは食い違いや行き違いのことなのだが、これこそ新しい派生物を作る大きな原動力なのだが、通常の感性の持ち主は、一番最初に書いたように自分の感性において物事を理解しようとするので当然困惑することが多いし、やはり実寸台では理解できない。

よく考えてみれば、この「齟齬」こそ発信者と受信者の間に生まれる新しい力であるにも関わらず、我々は共通認識として強制的に「齟齬」をなくそうと試み、そして「齟齬」の生まれるものに関しては排除しようと無意識にでも圧力をかけようとする。
これは現代人がシステムというものをシンプルに遵守し社会の円滑さを求めるあまりに陥ったひとつの墓穴であるとも私は考える。
一対一の間柄であっても私たちはいつの間にか対人関係に「齟齬」が生まれていくことを恐れていくし、その解決方法を磨こうとする前に算数計算のように「切るべきか」「繋がるべきか」の計算を頭でしている。
それが「利益主義」だ。

社会という存在は、この「齟齬」を受け入れなければいけないし、対人と対人の間に生まれる「齟齬の力」というものを、もっと活用できる柔軟さがなければ当然罪がないにも関わらず死すべき人間が出てくるのは当然の帰結と考えるが今はよしておく。

アルコール、と題名を打ってしまって別のことが浮かんでしまったので上記の内容に…いや、関係しているのだが、正直悩んでいる。
悩みすぎて酒をあおりながら書いていると浮かんでしまったので書いたのだが、当初は「すれ違い」のことについて色々考えていた。
人は自分のことばかりを主張しがちだし、もちろん私も例外ではない。
相手の「伝えたいこと」を、きちんと「相手に伝えて自分のことも伝えていく」ということは結構訓練が必要だ。
これはたくさんの仲間の中に自然にいた人たちには「?」な話なのだが、私のような引きこもりというか、説明が面倒なので「引きこもり」で通すが、それに近い人には「現状」と照らし合わせてよく肌身でわかることだと思う。

さて、いわゆる「齟齬」の中には大きな苦痛がある。
それは現実的な手段においてかもしれないし、当然精神的なものであるかもしれない「齟齬」には、ある程度の苦痛が伴うのは絶対なのだが、私の場合その「苦痛」に大きく反応する。
様々な芸術家が己の「心の活動」において、死に至ったわけだがアルコール中毒とか本当に他人事ではないような感じが切実にするのである。
それは「心の核融合炉」が原子爆発を起こすからであるのだが、私の話ばかりしても、自縄自縛、どん底にまで落ち込みそうなので一般論に話を戻す。

最近「男と女とは一体何なのか」と考えるようになってきた。
女性は適齢期になれば「結婚」ということを自然と考え出す。
聞くに適齢期の女性は「この男性は結婚する意志があるのか」というのを鎌をかけて試すのだそうだ。
当然女性には身体的な事情により結婚というものを遅くとも35歳ぐらいまでに決めなければ精神的な焦りがひどいということは多くの人から聞いている共通認識だ。
この「結婚」や「男と女」の話にまで今回は広げないが、たとえば「して欲しいこと」「自分が望んでいること」がある場合、自分を主体にして相手を捉えていくのは避けられない認識であると思う。
自分の望んでいること、広く言う「認識」が知覚の範囲であるし、やはりこれを「感性」と置き換えても、これらのものから逸脱するものにはひどく理解への困難を伴う。
しかしこれを全肯定して「人は自らの望むべきことのみを追い続けるべきである」とは私は言えない。
なぜなら「齟齬」を「理解しようとする努力」の中にこそ「希望」や「未来」というものが語れると考えているからだ。
たとえそれが、理解できなくても、そこへ至ろうとする努力にこそ心打たれ「この人のために何かしてやりたい」と願い同じように努力しようとするのが人間の素晴らしさのだと私は信じたい。

私は「齟齬」の中にこそ「希望」があるのだと考えている。
当然感性の違いにおいて、理解できないもの、理解しがたいもの、理解しようとも思わないもの、などなどの中でひどく魂を傷つけられることは多い。
人間は仙人でも神様でもないので諦めもするし、傷つきたくないばかりに心を閉ざし、会話を閉ざし、赴くところ一心において主張ばかりを繰り返す愚かな存在であるかもしれない。

だからこそ少し立ち止まって「なぜすれ違うのか」、その「齟齬」の根本原因を真剣に考える機会があってもよいのではないか。
それを考える機会を可能な限り与え、そして自らも考え続けなければいけないのではないか。

こんな単純な願いでさえ届かず、自らはごちゃごちゃになって酒をあおる。
自ら願うことであるにも関わらず、放棄したくなる。
人はこんな「希望」と「現実」の間に生まれる「齟齬」にも、アルコールで誤魔化すようなことが多々あるのだ。
しかし、酔いが覚めた後、きちんと戦わなければなるまいと思うのだ。

これを読んだたった一人でも、自らが与えているものと受け取り手の間に生まれる「齟齬」を真剣に考えてくれることを願って、今日は酔っ払ってようやく平静を取り戻している廃人の私が記す。

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09/12

Sun

2010

電子書籍ツールがどんどん出てきて、携帯小説に続き電子書籍ブームが来るかという話題で持ちきり。
しかし携帯諸説とは違い、電子書籍は既存の出版物にも大きく影響するため、業界関係者は何かと話題に事欠かない。

紙に対する信用度が日本では高く、まだまだ電子書籍が売れるのは知名度のある人間のみで、まったく知名度のない人間の作品が金銭的に売れているということはまだ聞かない。

我々は生活で「文化」というものを意識することがあまりない。
…何か今日はこういう「意識することがなく生活に密着しすぎて、重要視する人が少ない」話題ばかり。

技術とか、文化とか、そういう言葉があるけれど、これは当然「継承する人間」がいなければ途切れる。
そして「文献のみに存在する記録」に成り果てる。
それを取り戻すことはある程度は可能だが一度途切れると、そうやすやすと簡単には取り戻せない。

今日は興味深い一文を見つけた。

「利益文化は利益がなくては生き物ではないのですね」
~うえみあゆみ~

例えば「なんでも鑑定団」を見ていると、いつも面白い反応が見れる。
その「ガラクタ」だと思っていたものが「優れた価値のあるもの」だと鑑定されると、打って変わったようにはしゃぎだす。
それまでは「1万円でも別にいいだろう」と思っていたのが突然その瞬間から「100万円でも手放すのが惜しくなる」。
不思議な現象だが、時折考える。
「価値」とは何だろうと。

たとえば価値を見出さず、「ガラクタ」のようなものだと思っていれば、そこにお金を払うことすらためらわれる。
しかしきちんとした価値を知っている人がいれば、隙間市場の需要と芸術品としての価値に照らし合わせ値段をつける。
人はそれで納得して、たちまちその「価値」に気持ちをあわせる。
この「価値」や「重要性」がわからないままだったら、一体それはどうなっていくのだろう。

電子書籍はどのようにして手数料をとる仕組みを組み込むかを商売にしたほうが、はっきり言って儲かる。
電子書籍を出そうとする人は途切れることはないだろうし、「お宅の電子書籍宣伝しますからいくらください」なんて商売やったほうが金にはなるだろう。
作家に「売れたい」という欲求がある限り、この欲望を相手にする商売はずっと足元を見続ける。

読者は今「読書」というものを、どのように捉えているのだろう。
その「読書」をするのに必要な「本」というものをどう考えているのだろう。
そして我々の主要言語である「日本語」のことをどう考えているのだろう。
作品は洪水のようにどんどん溢れかえっている現状で、優良な作品が紹介されているとは思わないし、読者もきちんと「価値」を見出して意識して優れたものを残していこうと行動しないといけない。
アニメの原作とか、そういうのばっかり読んでいる場合じゃない。
人生の糧となるような「人間味」が書かれている小説がなくなってしまう。
これホント、ライトノベルとかじゃどうしても書けないものが「小説」にはあるのだから。
現実空間には「制約」がある。
小説には制約の中で懸命に生きようとする人生の知恵が詰まっている。人間の感情が詰まっている。
日本のストーリーコンテンツはどうしてもこの点を見失いつつあるのではないかと思われてならない流れがある。
楽しむのはいい。
でもちゃんと一方ではきちんとした小説も読む。
それでこそ「価値」というものを守っていけるし、それを継承する人間にも「価値」が出てくる。
「日本語」というのも考えていけるし、特に「小説」は感情表現における多様な叙情が含まれている。
感情をきちんと言葉にして表すということは人生においてとても重要だと考えるけれど、この点についてはどう考えているのだろう。

電子書籍の世界は紙と違って少々露出が少ない。
本屋には買わなくとも陳列してあるだけで気になったり手に取ったり、書店から何かちょこっと紹介があれば気になったりもするが、電子書籍は無名の作家に対する信用度がないので気にもならないことがほとんどだ。
それだけに「生き残り」には知恵をどんどん絞り、実践の中で練磨していくしかない。
文章を書く才能は誰でも磨ける。
視点を磨き、言葉を当てはめ構成していく。
ここまでは誰でもできる。嘘じゃない。本当にできる。
ただ、本当の「作家の才能」を決めるのは文章力を超えてくる「言語感覚」に存在している。
どの言葉をどのようにして組み上げていけば、読み手の心は感じるのか。
こればっかりは「学んだ」だけじゃ真似できるものじゃない。
対人の中で鍛え上げられた「言葉」があり、つまりは「第六感を含んだ身体能力」の高さがかかってくる。
この才能を持っている人間を探すことは容易ではないし、潜在的に持っているこの才能を育てていくことも容易ではない。
当然「賞ももらってない、知名度もない人間がプロ並みか、それ以上のレベルを出すことは難しいだろう」と格下に見る気持ちもよくわかる。
確実に「読んで、読んだ時間を損だと思わない保険」が欲しいだろう。
だからその「保険」を賞や紹介や作家名に求める。
電子書籍の場合は「川底の砂利の中からダイアモンドを拾い上げる」という行為に等しいかもしれない。

読者がこのような状態で「才能」を見つけることは難しいかもしれないが、もし見つけられたら応援してあげて欲しい。
きちんと日本語の小説を書く人を応援して、そこに「価値」を与えることこそ文化の担い手を滅ぼさないことにも繋がるし、そのまま文化を守ることにも繋がる。

日本語は変わってきた。
これからも変わり続けるだろう。
しかし、その日本語の根元をしっかり知って枝葉を楽しむのと、そうでないのとでは、まったく「価値」に対する意識が違う。

「価値」を継承する人間と、そこに携わるすべての人に、「価値」を正しく与え、そして与えられることを切に願って止まない。
当然、私もこれから尽力させていただく。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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