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あさかぜさんは見た

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11/26

Tue

2024

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03/26

Thu

2009

自分は特別、特殊なのだという思いがある。
そんなことを考えているようなら絶対に失敗すると注意された。
傲慢を抱けば必ず滅びる。
確かにそうだと思う。
でも、自分の場合、その「特別だ」という思いが「使命感」みたいなものになっている。

自分しかやる人がいないのではないか。
自分がやらなかったら誰もやらないだろう。
待っていても誰もしてくれない。
自分がやるしかないんだ。

その思いが「使命感」になっているし、自分が「特殊だ」と思い込ませる理由になっている。
傲慢なのだろうか。
誰がなんと言おうと、自分の感覚はここにあって、自分の現実は変わることはない。
その現実に対して、どうしていくかという問題が常にあって、行動するかしないかの選択が常に付きまとっている。

自分には「使命感」がある。
やらなければならない。
やり遂げなければならない。
自分しかいないかもしれないという「自分は特殊」だという思いが、強い「使命感」になっている。
傲慢、だろうか。

とにかく、やるしかない。

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03/10

Tue

2009

決断しないのも決断

「決断しないことで緩慢に事態が悪化することは多々ある。その末路も己の決断」

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03/01

Sun

2009

ちょっと理解できませんとか言うけれど、「衝動」って常に人の思慮を超えていくものなんじゃないの?

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02/26

Thu

2009

新・人間失格 あ~ う~

 ようやく終わりのメドがつきそう。
 長かった。
 あと一ヶ月以内には確実に終わるでしょう。
 本当に長かった。

 これまで何度も(というか何十回も)太宰治の「人間失格」を読み返し、あらゆるコメントや批評を読ませてもらってきたけれど、不思議と的確にこの作品を捉えている文章は皆無に近いくらいなかった。
 私はこれほどひとつの作品を読み返したことはなかったのだけれど、書くにあたって、一文一文に気を使いながらずっと書いていると、作者側の意図として、逆に作品が捉えられるようになるが、読んでいるほうはどう見てもその感想や理解力からして「読み流し」としか思えないほど的外れで、「なぜここにこの一文があるのか」とか「なぜこの行にこの言葉が入らなければいけないのか」というところまで、まったく考えておらず、ただ個人的な感情や推測や知識から、作品を等身大で捉えずに、何かと何かを並べ立てて好き勝手に論じているに過ぎなかった。
 逆から考えないんだよね。
「もしここに、この一文がなかったら作品はどうなるのか」
 そこに着目して鋭い論評を行っているものはない。
 書いてあるものだけを個人的な思いで受け取っているに過ぎない。
 そんなものなのでしょうかね?「読書」と「論評」って。
 物足りない作品というのは描写が足りないのです。
 ある行と行の間に入るべき描写がまったくなく、ゆえに作品の深みが損なわれるという、惜しいものは数多くあり、その描写があるがゆえにどれだけこの一文が重要な位置を占めてくるかというのは、通常の読者は意識しないようです。

 これは色んなところで作品の感想を読んで、ぞっとしていることなのだけれど、つまり書いたことは100%意図してない方向へと暴走し始めるのが運命らしい。
 そして、暴走したものに翻弄され、もみくちゃにされちまうのが作家の運命らしいです。
 しょうがないことです。
 まだ終わってないから喜ぶには早いけれど、メドがついてほっとしてます。

 通常の人間なら、普通におかしくなるわ。
 あんなの読み続けたら。
 でも、俺のはもっと強烈だわ。
 一生これを背負うのだろうなと、今から胃が痛み出してます。

 うっへっへっ。

 しょうがないよね。
 だって人間だもの。
 みちゅお。

追記

 ああそうだ、大事なこと書き忘れていた。
 「21g」という映画でアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督が「カタルシス」について、「目の前の悲劇に自分を重ね合わせて、そこに自分を参加させる。これこそ(この参加作用が)エンターテイメントだ」と言っていたのを印象深く今でも胸に焼き付けています。
 悲劇は薬と同じように、必要ない人には必要ないのです。
 健康な人が病気のときと同じように薬を飲んだりしない。
 病気だから飲むのです。
 これが悲劇の作用だと思うし「カタルシス」だと思う。

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02/23

Mon

2009

「これは事故ではありません」 カナダの職場安全保険局のCM



北野武映画が、海外に行くと、「暴力描写がきつい」と言われることについて、本人がコメントしていた。
ダイハードなんかじゃ、何十人も殺されて平気な感じだけど、俺のは数人しか死んでない、どっちがひどいんだ、という内容。
痛そうだから、やろうとする気もうせるんだ、と。
痛そうに見えない暴力描写こそよくないんじゃないの?ということです。

セリフは、youtubeのコメント欄からの抜粋。

~~~~~~~


一番目
「事故よ!誰か助けて!」
「事故?事故じゃないし。会社がずっと前にハシゴを取り替えてく れてたら。あんな高いとこ届くわけないわ。
働いてる人少ないのになんでちゃんとした規則がないの?」
字幕:「事故というものは決してありません」

※accidentは、自然発生的な事故という意味。
つまり、人災は防げるってことが言いたいんでしょう。

2番目:
「私はここの副シェフなの。
運良ければ来年までにはシェフになれそう。
私には素敵な婚約者もいる。
でも今週末の式は挙げられないの。
私がひどい事故に遭ってしまって。
本当に、私はこのあたりの床の(上に飛び散った)油をきれいに掃 除しておくべきだった。
そうしておけば、私が「揚げ物」になることもなかったのに。」( 悲鳴)
(男性の声)「誰か手を貸して!」

3番目:
「おい、ジム!あの部品をよこしてくれ」
「ああ!」
「110番!(911)事故だ!」
「これは事故なんかじゃない。会社は上にあんな重荷を積むのが規 則違反だってわかってるはずだ。
オレもやってることに集中してなかったけど。上司たちが壊れた棚 も買い換えられないとはね。」

4番目:
「オレは家族をいい旅行に連れてってあげたいから残業しているん だ。でも、もうすぐ家族はオレが『事故』で殺されたって電話を受 けるんだ。
でもオレはイカれたハーネス着てるんだ(つまり誤作動の可能 性のあるハーネスを着てるということです)。でも、会社はタンクを点検す るべきだった」
「事故だ!助けを呼べ!」

~~~~~~~


これだけひどいと本当にリアリティーがあるし、ショッキング。
事故ってそうだけれど、誰も「事故にあいそう」だなんて思ってはいない。
起こってから「不幸だった」と思うけれど、事前の気構えというか、ちゃんとした気配りがあれば、防げるものもたくさんあるということは肝に銘じておかなければいけない。

これが「事故」に限らず、「人生」でも同じことだと思う。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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