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あさかぜさんは見た

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08/17

Sun

2008

写真を写して自分の感性を思う

ふらふらと漂いながら、なんか詩になる写真が撮れないかなと、何枚かは撮ってきたけれど、色々と写真を見るに、自分で思っているほど凄くないし、凄くないってことは感性もないってことで、「ああ、所詮こんなもんよねぇ」と思いながら、またトボトボと歩いていく。
ネットでたまに見かける、「おおー」と思う写真を、どうにか自分も撮れないかと思うのですが、どうにもうまくはいかないらしい。
常に練磨させていないと、鈍ってくるのが感性で、一度鈍ると、硬くなって柔らかくするのに物凄い時間を使ったりする。
特に日常の「常識」という習慣に、脳が慣れてしまうと、「異次元的発想」が受け入れられなくなる。
これは想像と創造を武器にする人にとっては、致命的なことで、「脳が一般人化する」ということでもある。
同じ感覚を持つことはもちろん大事なのですが、同じ感覚で、同じ場所に立ってはいけないのです。
作り手というのは、傾いているくらいの不安定さを同時に持ち合わせていないと、つまらない視点で物事を見てしまうのです。
それは、創造のバリエーションを自ら狭めるということです。
普通芸術家ってのは、人と同じものを見て、同じように感じない人がなるもので、みんなと同じようしか物事を見れない人は、ひとつのものしかひとつしか受け取っておらず、1受け取って10とか20とか創り上げるのは難しくなるのです。
で、そういう意味からも、だんだん自分の感性が狭まってきているなとつくづく感じ始めていて、「ありゃ、やばいねこれ、どうすればいいの?」と、あたふたしてしまうわけです。
なんだかんだと尻込みしてやらないと、またひどいことになるので、ぐちぐちいうよりも、黙ってやるのが大事なのですけどね。

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08/15

Fri

2008

ダイレクトな成果を望む

何かアクションを起こしたら、すぐに成果を望んでしまう。
実際、すぐには出ないのはよくわかるのだけれど、すぐに出ている人もいる。
この差はどこにあるのだろうといつも悩む。

よく口だけでかいことを言う。
痛々しい子に見えるようで、時折釘を刺される。
というよりも、時折もっときついことも言われる。

「直木賞をとりたい」と言うと、「そういうのやめてくれない?痛々しくて見てられないから」と言われた。
きっと私はほら吹きなのだろう。

他人から見える姿というのは、常に成果と行動が一致していなければ、そのずれに大きな皮肉を言われるのがオチで、その生活スタイルがまともではなければ、クズに近い扱いをされるのが当然なのだろう。
というよりも、実際そうだ。

ダイレクトな成果を望んでいるのは、本人だけではなく、取り囲む人々もまた、夢よりも今ある現実を重視する。
つまり大人が夢を許容しなくなったのだ。

夢を抱かないのは健全なのだろうか。
夢を抱かせないのは未来があるのだろうか。

どこかおかしいなと思っても、実際社会を動かしているのは大きな力を持っているもので、この利益主義の社会では「力=金」だ。
つまり「成果=金」でなければならず、「成果=数」でなければいけない。

もう心底そう思っている。
夢も何もない合理主義の世界。
心がかさつくねぇ・・・
寂しい寂しい。

「生活する=金」です。

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08/11

Mon

2008

この世界ではみんな自分が幸せでさえあればいいんだよ。
信じられないような、信じたくもないようなことが起きていようと、「そんな非常識なことが」で済ませられる。
そういうことが言ってられるうちは、自分が幸せだってことだ。
そろそろ笑えなくなったとき、問題として捉え始める。
人間なんて自他ともに、そういうお気楽な生き物だし、お気楽でいられるうちは平和なんだよ。

国連やユニセフなどの人間ではない限り、世界の暗部に目を向ける必要性はないと考える。
それよりも、国内の暗部に目を向けるべきなのでは。
世界から飛び火していると捉えるよりも、むしろ飛び火して、そのまま汚染されるような精神的土壌がすでに日本国内にあると捉えたほうが、海外の問題に首を突っ込むより、よほど現実的だと思う。

まだまだ私たちだけで何とかできる問題でもないし、国内全体が不幸になって、国民全員がどうにかしなければと思い決起しなければ、効果はない。

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08/11

Mon

2008

アピールが足りない

「あなたはもっと自分のことアピールしたほうがいいよ」

 …と、言われても、どうすればいいのかわからない。
 目立つ人のほうが結構ぐいぐいいくわけで、いつまでも何を持っているかわからないような引っ込み症の人は損をする。

 なんとなく世の中がそういう気もしてくる。
 例外はあるにしろ、圧倒的に少なくて、宣伝とかがうまいほうが、結局勝っちゃってる。

 でも、選ぶ側の問題にはならないんだよね。
 あくまで、アピールしたほうの問題で終わる。

 なにかすっきりしないものがある。

 例えば…

 幼少の頃からいじめを体験し、家庭環境も悪く、社会人になってからも会社でのいじめ、リストラ、挙句の果てには退職の際、罵倒される。住むところもなくなり、家庭に戻るが、親に叱責され、耐えかね親を殺す。

 こういう事件があったとして、「本人の責任」という言論に違和感を覚える。
 それですませてしまっては、とてもいけないような事情がたくさんあって、その事情をとことん無視して事件そのものを抹殺しようとしているように私は見える。
 同類の事件が起こっては「本人の責任」というのは、「問題そのものを解決していない」ということになる。

 話がそれているように見えるだろうけど、これがいじめで殺されちゃって遺書が発見されたら、みんな真剣に考えるわけだけど、殺しちゃったら「こいつが悪い」ってことになる。
 前に航空機を降りる際に、荷物受け取りの場所から機内へと荷物を持って戻れるから(危険物も持ち込めるから)危険だという文章を提出したが受け取られず、実際にナイフを持ち出して事件を再現したら、対策をとるようになってしまった。

 一体この心理はどういうことなんだろうって素直に思う。
 心理的にみんなが納得すれば、アピールは絶大なる効果を発揮して、心理的に納得できなければ、アピールは効果がないわけだ。

 結局よく観察してみると、私が一番すっきりする答えは、理路整然としているようで人間は感情で動いているだけ、ということになる。
 アピールが足りないのは「心に響かないよね」ということ。

 この世の中は人の気持ちを操った人が勝者になる。
 操られた側の責任はいつもない。

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08/08

Fri

2008

マイバッグでレジ通さずそのまま万引き
本屋で万引き→ブックオフなどに売りさばく→消費者安い新品買う

犯罪の手口とかをまとめてみるのも面白そう
それにしてもひどいね

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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