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あさかぜさんは見た

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01/08

Tue

2008

善き人のためのソナタ





 2007年アカデミー外国語映画賞受賞作品。1984年、ベルリンの壁崩壊直前のソ連色強い東ドイツで、社会主義にそぐわぬ思想を排除し、国家の統制をはかるために、劇作家ゲオルク・ドライマンは国家保安省に目をつけられ、盗聴されることになる。盗聴を担当したヴィースラー大尉は彼らの生活を事細かに盗聴していくにつれ、やがて盗聴の重要な内容を保安省に報告すべきを黙殺していくことになる。



 社会主義体制というものを詳しく知っていないと、その対比としての「自由」というものが見えてこない映画だけれど、題名で想像するようなゆるやかなイメージとは違って、時代がやや殺伐としていて、今のような民主主義のもとの自由思想がなく、国家の思想こそが国民の絶対的な正義である背景であるから、今の暮らしの感覚をそのまま当てはめてみるには、なんの感動もなく終わってしまう映画だと思いました。東西冷戦の緊張状態と、自由主義国家への人々の心の揺らぎ、国家としての維持を思想弾圧という手段により、多くの人々の心が奪われていったということが、(普通の枠にはまらないのが芸術家だが)芸術家の視点と生活を通してよく出ていると思う。恋人の女優がどうしてそうしなければならなかったかも、背景が理解できていればきちんと納得できるものになります。

 重要なソナタは物語がやや進んだところでちょこっとだけ出てくるのですが、純粋に綺麗なメロディーではなく、不協和音交じりの旋律である。だからこそ、余計に鉄の枠の中に納まりきらない人の心の叫びを現しているのだろうと感じたが、本当にちょこっと出てくるぐらいでメロディーそのものは映画の中に出てこない。

 しかしよく画面が計算されているし、シナリオも練ってあるので、一場面を見落としてしまうことで、ちょっとした気持ちや配慮を見逃してしまい、映画の面白みが半減する。たんたんと進んでいくようで油断のならない映画なので、画面からは目を離さずにしっかり見ておくこと。「あいつ、実はいいやつじゃん」ということになる。もちろん救いようもない人もいるけれど。

 繰り返して見ていると、どこかじわりと来るものがある。ヴィースラー大尉役のウルリッヒ・ミューエが、ちょっと凄すぎるのではないかということとか、シナリオの時間差で来る魔力とか。ここで自由や愛などということを語ってはたちまち陳腐になるからやめておきますが、冷徹に任務を遂行するヴィースラー大尉の微妙な心の動き、そのひだまでが読み取れるような彼の演技は見れば見るほど凄い。

 本編の報告書を読むシーンで、報告書の内容がそのまま「文学」になっているところがあって、それを「よい報告書だ」とヴィースラー大尉が言うシーンがあり、ヴィースラー大尉の想いがどっと見えた。愛と悲しみと苦しみを見守る彼の密かなる息づかいが画面の隅々から漂ってきます。



 日本語の紹介のキャッチコピーからは、中身の深さまでは表しきれない。ヴィースラー大尉が徐々に芸術の持つ「自由」さに目覚めていくけれど、芸術を理解するには、それを受け入れる用意が必要になってくる。芸術が心を打つとき、それはその人の中に、少なくとも抑圧された、もしくは爆発させたい、表しきれない、どうしようもできない、「理不尽さ」が内面に潜んでいる。その昇華が芸術においての「表現」であり、そこへの自己中心的ではない理解こそが芸術を鑑賞するにおいての「用意」であると私は思う。今や何もかもが安売り過ぎて、一体どこに芸術があるのかという疑問があるが、これは本編とは関係ないのでやめておく。本編に出てくる「芸術家が身を売るような取引をしてはいけない」これは教訓でしょう。

 蛇足ですが、ヴィースラー大尉役のウルリッヒ・ミューエは東ドイツの人だったのですね。時代を生きてきた人がそのまま演じているのですから、もはや演技ではなくて当事者ですな。久しぶりに最後まで飽きることのない映画に出会いました。

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01/06

Sun

2008

ロジックの中の犯罪
線と言葉で繋ぐ言葉のトリック
場面を言葉で追う
言葉を時間で追う
言葉を集めて嘘を見抜く

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01/05

Sat

2008

東京ゴッドファーザーズ



これはおもしろかった。テンポのよいハートフルコメディー。
年越しのホームレス三人組が赤ちゃんを拾って母親に赤ちゃんを届けるというストーリーだけれど、登場人物を点としたら、点と点が複雑に線で繋がっていくバトンリレー形式のシナリオ。
実写でやると現実味あるシーンもたくさんあるから、生々しすぎるところだけれど、アニメだと綺麗に収まる。
みんな事情を抱えてホームレスになって、それぞれの気持ちを現してくけれど、それが妙な形で合わさって絶妙な雰囲気を出しているのがいい。
シナリオにも笑いと疾走感があふれていて、暗さを感じさせないし、絵も幻想的で綺麗だし、現実の場所をモチーフにしている背景だけれど、色使いが違うからとても綺麗に見える。
みんな人生の事情を抱えながら、最後は一まとめに救われていくところが絶妙で笑いの後のほっとした感じはとても心地よいです。
泣けるしね・・・みんな弱さを背負っている。
そこがとても素敵に見える作品なのです。

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01/05

Sat

2008



突如姿をくらませた大女優「藤原千代子」の晩年に、映像製作スタジオの所長であり、「藤原千代子」の大ファンの「立花原也」が、老朽化による撮影所取り壊しのふしめとして「銀映」をささえた「藤原千代子」の足跡を辿る映像を関西弁のカメラマン「井田」と作ることになる。
30年ぶりの再会となった「藤原千代子」に、所長は大事なものを渡す。
それはカギだった。

「一番大切なものを開ける鍵」

その鍵は彼女の女優人生の記憶の扉をすべて開く鍵だった。


この作品はシナリオの手法がおもしろく、女優の記憶の中に二人の人間が参加しつつ一緒に追体験していくというもので、シーンの切り替えが彼女の映画と半生に重ね合わされつつ展開されていく。
彼女が演じた映画に人生が重ねあわされるといっても、ひとつふたつみっつよっつといくつもの時代のシーンに重ねあわされて展開していくところが、とても斬新さを覚えた。
映像プロダクションの所長がことあるごとに告白しようとしたり、関西弁のカメラマンが突っ込みを入れたりしながら話は展開されていくけれど、登場人物はシーンや背景が変わっても配役が変わるだけで一緒だったり、担う役柄も変わるわけではない。悪役は悪役のままで出演とか、憧れの人は憧れの人のままとかなので、シーンや時代背景がまったく変わっても、混乱することなく進むことになる。忍者になったり姫になったり色々切り替わるけれど記憶の大冒険活劇とでも言えるでしょう。
時間の流れが彼女の映画出演の順にされているゆえに、彼女の片思いの男性への気持ちも時間順に進んでいく。
普通の描き方で彼女の純愛物語が展開していったらおもしろくなかったかもしれないけれど、ユーモアがあったりシーンの組み替え方がおもしろいので苦痛もなく一時間半最後まで楽しめる。
絵の描き方も浮世絵風だったり現代風だったり彼女の映画のシーンに合わせて変えている。
でも個人的には最後のオチがなあ・・・生々しすぎるので興ざめしてしまうというか、ちょっと想われた男からすれば切ないぞと、思ったのであります。

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01/04

Fri

2008

今まで何がダメだったかって、スケジュール管理がしっかりしていないからダラダラと無駄に時間を使って浪費だけをしていた。
今年はそれさえ直せば、なんてことはなく、すべて前向きにうまくゆくと思うのです。
岡田斗司夫が書いた「いつまでもデブと思うなよ」という本をテレビで取り上げているのを見たけれど、彼はレコーディングダイエットなる方法で痩せたそうで、食べたものをひたすら紙に書いて記録していくと、今までつまみ食いなどしていた自分の食生活を見直し、勝手に気をつけるようになるそうな。
私は、先にスケジュールを立てると必ず頓挫するので、このレコーディングダイエットをスケジュールに応用してみることにする。
名づけて、「レコーディングスケジュール」(パクリかよ)。
一見スケジュール通りこなせる敏腕仕事人には、とてもナンセンスに見えるし、むしろ時間通りこなしてこそ仕事になるのだけれど、普段の生活がルーズな人はこうでもしないと、自分の浪費した時間がわからないのです。もう自分がどう過ごしたかも正確にわからないのですから、ほとんど重症です。だから低所得層のまま這い上がれないのだと思うわけです。
ああ、私は一体どれほど時間を浪費し続けてきたのか。
歳をとった人の話を聞くと、まだ人生半分以上もあるのに、もう棺桶が近いような気分になってきて暗くなります。
30代はあっという間に過ぎ、40代はもっと早く過ぎ、さらに50代は・・・いいかげんにしなさい。
若者に言うアドバイスにしては下手すぎます。
己に対して投資をした分だけ、人は稼げるし、世の中の人の役に立った分だけ、幸福が返ってくるように思えます。
そういう気持ちの余裕を得るには、時間的にも金銭的にも、やや余裕がなくてはいけないし、生活するためだけに時間に追われるようになれば、もはやいいように上に操られるだけです。
文句も言えなくなるような従業員の立場なんて、この日本においては「奴隷」も一緒でしょう。本人が勉強しないから悪いのか、それとも企業が労働者を食いつぶそうとするから悪いのか、色々思うところはあっても、結局自分の地盤を固めないと動けないこの悲しさを、今年は払拭していきたい。
レコーディングスケジュールで(爆)。
何もかもルーズな男です。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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