昔からよく理解できないのだが、なぜテレビなどに出る、社会的地位があるなど、どうしてそのような立場になるとメディアはプライバシーを平然と暴露していいと言うことになるのだろう。
この情報化社会で一番の権力者は、地位のあるものでも、大衆を魅了するものでも誰でもなく、「言論を支配し大衆へと影響を及ぼすもの」だということに今日まで気がついていないというのが腹立たしくてならない。
万が一それがガセネタであっても、積極的にメディアはその人間に対して賠償をするのだろうか。
いや、しないだろうな。
どうせ、記事なんて金稼ぎの道具なんだから。
私はその一個人がSMやろうがとても世間には公表できないような変態チックな癖を持っていようが、それは一個人のプライベートな問題であって、その人間がやっている仕事とはまったく別物だと思っている。
たとえそれが二者間にまたがろうと、それがどうして三者間にまで広げる必要性があるのかが理解できない。
「地位のあるべき人間はこうあるべき」と主張するよりも前に、それよりも権力を持つ「言論を支配する側」であるということをよく考えてどちらがより節制をしなければならないのか、頭がいいんだから考えられないわけがないと思う。
一個人の素行を悪として、それが社会的な害悪を及ぼすためにそれを正常化させるための記事なのだと主張するなら、そんなことよりも、もっと組織的なブラックマネーの動きや、この日本を巣食うあらゆる闇の売買の動きをなぜ洗い出さないのだろう。
それをやらないで、放置しておいて、殺されないだろう安全な人間に対してだけ、「あいつは酒乱です」というのは、本末転倒なのでは?
見えなければ社会的な影響は薄いと考えているのか、それともそれこそ「社会的感覚」なのか。
メディアの正常なる浄化作用とは、公私の区別をつけて報道することなのではないかと思うのだが、人がトイレに入っているときに平気でドアを開けて、「彼は一週間ぶりの大便をしてしごく満足のようです」と公衆の面前にさらすことが平気で「一般的な社会的感覚と密接であると考える」というメディアの品のなさを、一体誰が止めるのだろうかと、いささか白々しく眺めているのである。
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