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あさかぜさんは見た

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11/23

Sat

2024

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12/20

Tue

2016

ある日記X

こうしていけば上手くいくよ、と幸せになるためのヒントは与えた。
そのヒントとは私独自のものじゃなくて、幾万以上もの人間たちによって洗練されてきたもので、生きるためには大きなヒントとなってくる。
でもそのヒントさえも君は捨ててしまったんだな。
「こうしなければ幸せになれない」
「これ以外に方法を知らない」
と言って行動していったはずなのに、今も君は不幸だと嘆いている。
不思議だ。
自分のやり方に固執し、私はそれはダメだと言ったのに。
自分のやり方を変えようともしない。
不思議だ。
そして巡り巡って君はまた同じことを繰り返していく。
まるで不幸になるために、せっせと準備しているようにしか見えない。
例えば例を出すなら何でもいいんだ。
持てたいと思っている男がいる。
だが待つばかりで声をかけない仲間を作らない相手のことを知ろうとしない新しいコミュニティに飛び込んでいく勇気がない自分のことばかり喋る。
しかも相手の欠点があった時非難する。愚痴めいたことばかり言う。
自分の人生はこうだからしょうがないと諦めにも似たことを言う。
そんな姿勢の男が女にもてるだろうか。
一緒にいても酷くつまらないし苦痛そのものだ。
自分の姿勢全てを見直さない限り、望みなど一生叶わない。
結局自分が幸せになれないと自他を責めていることは、結果的に人間そのものを馬鹿にしている。
自分を否定することは、好いてくれている人を間接的に否定している。
人間を馬鹿にしているものが、人間に持てたりするだろうか。
不幸を嘆く。
不思議だった。
不幸ばかりではなく幸せな事も沢山あったのに、それは蓄積されない。
何か膿めいたものが堆積していって、それを吐き出さなければいけない。
その気持ちはよくわかる。
自己卑下や否定を繰り返すことで他人から与えられた傷に備えられ、精神のアップダウンを避けられるという原理も自分はよくやっていたからわかる。
しかし身近にある幸福に目を向けようともしない。
不幸ばかりを嘆く。
朝の一呼吸に感動したりしないのだろうか。
ちょっとした贈り物に心がウキウキしたりしないのだろうか。
誰か話せる人がいて話を聞いてもらえることに心から感謝したりしないのだろうか。
つまりは不幸にだけ目を開けて、幸せには目を閉じている。
だから幸せになれないのは当然のことなのに。
他人が信用できない。
だったら自分を鍛えるしかない。
なのに依存先を永遠と探し続けている。
そして傷つけられた裏切られたと嘆く。
その間に自分は鍛えたのか。
夢を実現するには理想の生活を手に入れるためには自分を徹底的に鍛え上げるしかない。
その努力は一日一歩でもいい。一万も二万も進む相手と比較などしても意味がない。
後ろに進もうとするよりずっと立派だ。
誰かにその努力を馬鹿にされようと昨日より前進していれば成果を出し続けていることになる。
それも辛く苦しいのだろうか。
私も誰かに精神的圧力をかけられたりすると動悸や体や手が震えるなどの症状が出ることがわかった。
一度やられると何日も引きずることも。
私はこの症状を直すには「とことん勝負の場に出る」しかないと思っている。
正直人生で辛いことは行動もせず妄想だけが積み重なることだとわかってきた。
邪念が増える。
やりもしないことが頭の中で蓄積される。
恐れだけが膨れ上がる。
悪循環だ。
人間は行為の中でしか自らの正しさを立証できない。
自分が不幸だと思うのなら、考え方から日常の行為に到るまで、全てを見直さなければいけないということだ。
それとも不幸に一生酔い痴れていたいのだろうか。
年を取ってくると自己弁護は段々許されなくなってくる。
習慣とかした愚痴も嫌がられ、それらに共感する人間も少なくなってくる。
何故なら人生は己の力で動かしていくものだという大人が多くなるためだ。
子供が大人になり、大人は少しでも前に進もうと、よりよい幸せを得ようと日々を生きようとするからだ。
もし不幸を嘆くことに共感する人間がいたとしたら、同じような人間だけだろう。
そのような人種で周囲を固めてしまったら、足の引っ張りあいになる。
互いに擁護しながら、何も前進させないという「善意めいた悪行」を繰り返すことになる。
「君は君のままでいい。そのままでいいんだよ」という最も不幸へ突き落とす優しい悪行が身にしみたものだけが残っていく。
そして時間だけが過ぎていく。
これこそ最も不幸なことだと思う。
いつか目を覚ましますように。
人を少しでもあたたかく見れる瞬間が訪れ、それが蓄積されていきますように。
心から祈っている。

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12/17

Sat

2016

ニュースと信用

ニュースの話題を挙げると、どうしても政治的な話題に触れることになって、どうにもそこで知識不足情報不足だと馬鹿呼ばわりされるというのが相場のようです。
この一年ネットであまり面識のない方から、かなり罵倒を受けました。
それは自分がニュースに対して無知だというのがありますが、さすがに驚いております。なんて無意味なやり取りなんだろうと。
ただニュースの流され方を見ると、ある一点に焦点を絞り、それ以外は見せないというのがずっと続いている常套手段のようで、我々が偏らない事実を知るには現地のニュースやジャーナリスト等の情報を自分で得て総合的に判断していくしかないようなのです。
となると、もうしばらく新聞やニュースは見ない方がいいのかなとも思ってしまいます。
今自分は何も出来ないからこそ、何かできる状態にまでして、それからようやく考え出すのが真っ直ぐな道なのかなとも。
今ロシアの話題で持ちきりですが、中東を見ると戦争をしているし、確かにそのニュースはここ最近ぱったりと流れなくなりました。
特に最近のニュースは「何故そうなっているのか」を掘り下げないようになりましたし、素人が知るには知識がなさ過ぎるし、少なくとも10年近くは政治や世界情勢のニュースの話題は自分は一切しない方がいいのだと理解できました。
ただ、これらのニュースの手法を見ると、どうやったら人々を情報で導けるのかというヒントが沢山隠れています。
その勉強はしていかなければいけないのかなとも考えています。
人間の労力には限界があります。
自分のことをちゃんとするというのが大事なのですが、気が散ってしょうがない。
自分の場合は情報を一切遮断して静かな環境に身を置くしか集中できないようです。
その条件が整いつつあるので幸運だとは思っていますけれど。

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12/15

Thu

2016

2016年の反省

今年で色々卒業したいことがある。
病人なの頭悪いなの自分の世界にこもっているなの、まあ色々罵倒にも近いことをされると初めて気がつくことがあった。
自分はきっと他人の考えやアイディアを引き出す前に潰していたんだろうなということ。
だから人を見下したり馬鹿にしたりするような発言や思考は可能な限り止めようということ。
鼻で笑う癖があるため意図せず敵を作っていることが判明し、これは癖なので直すのが大変そうだけど、これも。悪癖。
権限がないのに権限があるかのように発言したり振舞うこと。
余計な事に首を突っ込んで、やっていることを疎かにすること。
こういうことをやめていかない限り、やっぱり「運」なんて巡ってこないし人の協力も得られるはずがなかった。
少しずつ自分を正さないと、辿り着きたい場所へは一生かけても辿り着かない。

今年は健康のことも考えた年だった。
心の健康と体の健康。
両方健康でようやく思考が澄んでくるということ。
時間を大事にしなければ何年でも無駄に過ぎていく。
自分の人生は運のいい人生なのかもしれない。
待っていたら色々な条件が付与されてくる。
もう今年で出尽くしただろう。
あとは自分の力で全て何とかしないといけない。
一年の四分の一を咳き込んでいたという異常な事態ではあったけど、色々な事が決着してきた年でもあった。
計画的に動く癖も身につけていかないとね。


P.S.
これらのことを省みると、自分の姿勢そのものが人を呼び寄せているのがわかる。
自分も人を馬鹿にするような癖は多分にあったろうし、ぬるいことを数多く言っていたのは自覚できている。
余計な一言が身を滅ぼしていき、最後には誰一人助けてくれなくなってしまう。
小説を書いていて知識が圧倒的に足りずディティールに詰まってしまうことが多々あったため、読書の時間も圧倒的に増やしていかなければ続かない。
やればわかる。やられればわかる。
頭で考えているだけとは大違いだ。
そのことが体感できてよかった。

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12/07

Wed

2016

「声は響き鯉は泳ぐ」

一縷の銀星が夜空を飾っていた真下では、小さな池に黄色や赤のカエデの葉が散りゆき、藻のついた池底の石をひらりかわしながら薄黄金の鯉が泳いでいます。
 池を色づける紅葉は星々のように輝いて、淡い空よりもハッキリと、足跡をつけ、誰かの残した吐息の跡や、想いの痕を身に宿しながら水面へ、ポツリ、ポツリ。
 葉が落ちるとともに波紋は咲いて、隣に近づいてきた赤い葉を波で遠ざけたり、遠くに行った黄色の葉を近づけたりしています。
 やがて風が吹いてくるくると葉を回転させます。想い出を巡らせるように。
 鯉は泳いでいます。泳いで、泳いで、ざわめきつつある水面の間近で、夜空のはるか下で息を潜ませることなく、伸びやかに踊っていきます。
 月の雫が落ちた時、水面には少年がいました。
 水面に映った月を本物と見間違えて、時折歪む自らの顔から目を背けたりしながら、いつまでも水面を覗き込んでいました。
 まるで初めて自分の顔を見たかのように、いつまでも確かめているのです。
 少年の姿は池の傍らにいた老人の目に、しっかりと映っていました。とても美しく、水の上に膝を付いて、沈むことなく、不思議そうに、映った世界を見つめているのです。
 少年は風や落ちてくる葉の刺激や、鯉が時折水面へ息を吸いに来る時、自分の姿が酷く歪んでしまうことに落ち込んでいるようでした。
 わずかな波もない時は、とても嬉しそうなのに。
 老人は言葉をかけようとはしませんでした。
 言葉よりも、流れる息遣いの中に少年の心を見ようとしたのです。
 見守るように少女が少年に寄り添っていました。
 少年は少女のことなど心にもとめず、水面を覗き込んでいます。
 鯉のいたずらで、小さな黄色の葉がくるりと回ると、夜空の星のひとつもくるりと回りました。
 水面や少年ばかり見ていてはわからなかったことですけれど、老人は遠くの空も近くの池も全部目に入るように見ていたのです。
 くるりと回った波紋が周囲の葉を躍らせると、今度は星々が踊りだします。
 たまりかねたのか、いつの間にか水面の上で映りこんだ星や回る紅葉に合わせて少年も小さなステップを踊っていました。
 悲しいことは楽しいことで忘れるのが一番です。
 少女も少年に合わせて楽しく踊りだします。踊りだした少女にようやく少年は気がつきます。
 楽しいことを分かち合うと、お互いの存在がとても強い絆で結ばれているように感じるからです。
 少年は水の下で見上げている鯉のこともちゃんと思いやって、小さな手で掬い上げ空へ手を広げながら投げ入れました。
 すると鯉は地上と夜空を行き来する、光の筋を作りながら悠々と泳ぎだします。
 鯉は水面に浮かんでいる木々の葉のことを思いやり、勢いよく池に飛び込んでは水を空に散らし、葉を夜空へ近づけようとします。
 ふわりと浮いた赤や黄色の葉は星の色と重なりキラリ、キラリと深い色を重ね合わせていきます。
 一瞬、風が強く吹き荒れ、草木を怒ったように鳴り響かせます。
 少年は両拳に力を入れ目を険しく尖らさせ立ち尽くし、少女は脅えてうずくまって震えだします。
「怖くない。何も怖くない。大丈夫だ」
 老人は初めて声をあげました。とても力強い声で少年少女に伝えたのです。
 恐怖や緊張で誰かが体をこわばらせている時にこそ、心を救う声をあげるべきだと老人は思っていたからです。
 少年と少女は初めて聞こえた声にとても警戒しました。
 鯉は落とされた石のように素早く水の中にドボンと音を立てて潜ってしまいました。
「お前たちのことは見ておったよ。怖いことがあったら声をあげるんだよ。きちんと声を出すんだよ」
「はい」
 二人とも返事をしましたが、その返事は見知らぬ老人への怖さであることを老人は知っていました。
「お前には食べ物があるよ。これだ」
 鯉を見ながら老人がポケットから出したものは銀色の飴玉でした。
 飴玉が池に投げ込まれると池はうっすらと光りだします。
 鯉は飴玉をすぐには食べようとしませんでしたが、溶けて入ってくる飴玉の美味しさが隅々まで広がるようで、小さくなりかけた飴玉を飲み込みました。
 すると鯉は水面と同じように光りだし、黄金がよりハッキリとしてきました。
 老人は二人と鯉の姿を見ながら幸せそうに笑っています。
「大丈夫。大丈夫」
 老人の優しい声は冷たく固まっていきそうな空間を溶かし始めます。
 少年と少女は声をあげた老人を初めて意識し、鯉は初めて警戒心を解きました。
 老人は落ちてきそうな薄紅の葉を手の平に乗せ、大切そうに撫でました。
 すると葉は光りだし、夜空を目指し元気よく飛びだしたのです。
 老人の姿を見て少年は葉の近くに寄り添うようにし、少女は一つ一つを大事に抱きしめていきました。
 すると老人が撫でたのと同じく光り出して空を目指したのです。
 鯉は池に飛び込んでは尾びれを器用に使って水を銀色の滝にして星空に浮かぶ月へと落としていきます。
 天空の裂け目があるかのように、まっしぐらに銀の流れは目指していくのです。
 銀色の滝から逃れた葉たちは星々になろうと散っていきます。
 光を煌々と出し続け、まるで自分がここにいるよと声を上げているようでもありました。
 少年は夜空を見上げて満足そうに拳を突き上げています。
 少女は夜空を見上げて抱いていくかのように両手を広げています。
 鯉は星空と薄暗かった池を結び付け悠々と泳いでいます。
 いずれ嵐の夜が来ようとも、分厚い雲が光をいつまでも遮ったとしても、老人の声と行動は若い命を泳げるようにし、泳いだ若い命も老人を真似たことが、老人一人ではできなかった光の束を作り出しました。
 今夜空に浮かぶものは、遠くまでいってくるりと回る、あの小さかった紅葉たちです。
 鯉は池に戻り映りこんだ月の輪郭をなぞるように泳ぐと、涙が流れたように月は光の尾を引きました。
 水面をなぞった数々の姿を満足そうに眺めていた老人は「ありがとう」と感謝しました。
 皆が言葉を聞いて「ありがとう」の使い方がわかったようで、真似をして「ありがとう」と言いあいました。
 伝えていくこと、伝えること。
 ちょっとしたことから光りが繋がっていく事、繋げていくこと。
 呼びかけ、応え、呼び合って、確かめ合うこと。
「怖くない。何も怖くない。大丈夫だよ」
 勇気ある少年と少女に、光る空の下でもう一度声をかけました。
 すると二人とも優しい声で「はい」と老人に微笑み返しました。
 ずっと潜んでいたのか、いつの間にか周囲には次々と少年たち、少女たちが池の上に立っています。きっと、怖くて出てこれなかったのでしょう。
 先頭に立って何かをし始めることは、いつだって怖いもので、勇気あるものが道を切り開いていくものなのです。
 そして勇気は後に続くものに希望を与えます。
 老人は沢山増えた少年少女たちを眺めながら何度も頷き微笑みました。
 また色づいた葉が池に落ちて波紋を広げ波立たせました。
 現れた子たちの中には波で歪む自分の顔に戸惑うことなく、池の光の届きそうもないところを覗き込んで「怖くないよ。大丈夫だよ」と声をかけています。
 老人は鯉にお願いをしました。
「どうかあの子たちの気高い心のお手伝いをして欲しい。そして潜んでいる子がいたら、その子のことを教えて欲しい」と。
 鯉は喜んで池の底の深い闇の奥へと消えていきました。
 池の光りは徐々に失われていき、小さな子たちは星を目指して空へと向かい始めます。自分で見つけた数々の道しるべとなる星の姿を見つめながら。
 星を目指さず池の傍で待っている子たちも少しだけいました。
 遅れて出てくる子たちを心配して待っているのです。
 この世界に、たった一人ぼっちでいると思わないで欲しいと思ってのことでした。
 老人は池を離れる準備をします。
 近い日、とある夜に、いい子にしている子どもを探し、希望を贈り物とするために仕事が山積みになっているからでした。
 老人は池と空を見渡しながら言いました。
「贈り物をありがとう」
 命が生まれるという希望と、勇気を持って生きるという希望は老人にとって最高の贈り物になるからです。
 老人の言葉は小さな光りとなって池の奥へと落ちていき、池の紅葉をくるりとまわし、星を輝かせました。
 もう少しで訪れる、雪降る夜へ、時は進んでいくようです。

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11/30

Wed

2016

お金を稼ぐ人は遊び方も面白い

年商が億単位になってくる経営者は、どうにも個性的な人が多くなってくる。
というより、既に日本では起業しようって考えが働く人が個性的だから、そこから普通の人と違うのかもしれない。
何人か見てきたけれど、やっぱり遊び方が上手い。
人を楽しませる術を知っているし、自分もおおいに楽しむ時間を大事にしている。
お金を稼いだ分、遊び倒しているような人もいるし、常に生き抜きをしてないと張り詰めてしまうことだろうと思う。
特にアイディア職に関わってくる分野だと、遊びも全力だし手を抜かない。
そして英雄色を好むじゃないけど、本当に精力的という文字がピッタリな人も珍しくない。
経営って手を抜いたら仕事が即なくなっていくから人生そのものが全力なのかもしれない。
そんな人たちを見ていると、こちらも元気をもらえる。
自分に何が足りないのか、一緒にいるだけで勉強になるし、励まされるような気持ちになってくる。
面白いことを知り、面白いことをしていく。
楽しくなければ人生じゃない、みたいな生き方は本当に素敵だと思った。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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