以前私は人を憎んでいると書いた。
私は世に生きるクズの一人で、私は精神の正常さがどこにあるのかわからないまま生きてきた。
一日一回以上は他人からの皮肉や嫌味や罵倒を受けて15年以上も過ごして来た。
特に成人してからやられれば多少の防御策は講じられただろうが、思春期の浅い時期からやられてきたから、だいぶ歪んだ精神を持って生きてきた。
「当て付け」という矛盾と理不尽の中で過ごして来た。
そして今も歪んでいる。
歪んでいる人間には「小説」というフィールドはとても都合のいいものなのかもしれない。
たぶん私は酒がないと生きられない。
数々の負の感情、それを呼び起こさせるものを思い出してしまうと、もう止まらない。
酒のようなもので止めるしかない。
一度思い出すとほとんど寝るまで怒りや憎しみの感情に捉われてしまうから、特に昼間に運悪く思い出してしまったらやばい。
昼間でも酒を飲むか、ただぼんやりゲームをするかのどちらか思考を麻痺させる方法を取る。
普通の人間はどう生きているのかわからない。
狂うというほどでもないけれど、負の感情に捉われると自分が無価値な人間に思えてくる。
そうなると他者の価値など、どうでもよくなる。
私は他者を当て付けに殺す人間の気持ちがなんとなくわかるような気がする。
ただ、そのような人間は「心に完全合致する理解者」がいないと助けられないから、わかると言っても助けられないのだが。
そういう時は人を遠ざけたい。
誰かに心底かまって欲しい気持ちと、関われば傷つけてしまうし傷つけられるという二重の意味で後悔することが多いから葛藤する。
安易にアドバイスなど受けようものなら過去がぶり返してくる。
「ホームラン打って来い」と同意の言葉を人にもっともらしい言葉で投げかける人間がいるが、そういう言葉は人を傷つけるだけなのだ。
それが簡単に出来たら人類は絶対に苦しまない。悩まない。憎しみすら持たない。
認め合い、平和な世界が訪れている。人と人とは愛し合えるはずだ。
それなのに、何故こうもすれ違いわかりあえず、踏みにじったり踏みにじられたりしなければいけないのか、そのもっともらしい理由から聞きたいものだといつも思う。
だが負の感情の後にいつも残るものは灰。
虚しさだけだ。
この途方もない虚しさを引きずるくらいなら、最初からなるべく負の感情は捨て去った方がいい。
可能な限り、できるだけ少しでも。
何のためにもならない。誰のためにもならない。
恐ろしいほどに自己中心的な事情のためだけに存在し続ける感情だから。
ただ、負の感情はある意味創作のエネルギーにもなっている。
そして誰かを言葉少なめに理解する大きな強みにもなっている。
このことがある意味私の人生を大きく決定付けているし、これからもそうだろう。
生かすも殺すも、自分次第なのだ。
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