1990年代まではプロレスを見ていた記憶がある。
橋本が小川に完全敗北して引退を表明した後ぐらいから、プロレスを見なくなってきたように思う。
特に新日とか全日とかこだわらず、両方見ていた。
全日四天王、新日三銃士が一番油の乗っていた時期だといっていい。
今は三沢も亡くなってしまったし、小橋のようにひたすら受けて返すようなプロレスもなかなかないし、危なっかしくラフにやっていて、雑な印象を受けるようになってしまった。
20世紀が終わり、21世紀が始まって10年も経っている。
その間何かを積み上げてきたのだろうか、むしろ崩れていっているのではないかとさえ感じる。
「昔はよかった」とはよく言うけれど、懐古主義ではなく確かにしっかりとした技術のようなものがあった。
それは考えてみれば自分の実力を持って相手を輝かせることのできるような技術だったのだと今振り返ってみて思う。
触れているものをキラキラさせるような力があった。
だから数年で消えるようなことはなく、やっぱり10年20年と今も残っている人が多い。
プロレスのような肉体を酷使する世界では体の故障などが多く、20年も残れる人はなかなかいないけれど、たとえばひょうきん族であったり、たけし軍団であったり、ドリフターズであったり、本当にすごいものは残る。
今はそれがないかと言ったらそうではなく、何がおかしいのかというと、今残っている人たちがこの頃の夢を見ながら、今の奇抜な実力者を引き上げる機能が鈍ったのだと考える方が正しいだろう。
よいものをよいと伝える、よいものをより引き立てるようにできるには、当然自分たちにも力がないといけない。
その力がないわけでもなく、使い方がわからないだけなのだ。
これからも「わあ、素敵だな」と素直に言えるようなものが増えていくといい。
そのためにも、自分はその「素敵さ」に参加できるよう努力しなければいけない。
「消費」から「生産」へ。
時代は受け継がれるのだから、次は自分たちの番なのだ。
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