「あのー、テレビで私みたいになにごとかコメントをするというの。これは常識的にですね30秒以内というのが普通です。で、ところで私が長年やってきました多事争論というのは、そういう意味ではテレビのルール違反でして、だいたい90秒。つまり普通の人がやっていいコメントの限界の3倍しゃべってます。ところがしゃべっている当人は、そんなに長くしゃべっているのに、いつも欲求不満なんですね。つまり自分の言いたいことを全部言えたということは実は長年やっていて、はっきり言うと一回もなかったと言っていいと思います。えーですから、テレビの影響とかテレビの説得力とかよくよく言うんですが実はやりようなんでありまして、私は充分説得力のあるテレビをやってきたという覚えは18年半番組を続けていてもありませんでした。こういう前置きをしていること自体が普通のテレビじゃないことを、楽しんでいるっていうのは変ですけど、今回は思い切ってこういうことをしゃべってやれと思って、しゃべっているわけですね。つまり、ここまでしゃべっていて随分時間使っているんですが、本題は何事もしゃべってないんです。で、まあ強いてこれだけは言いたいなと思っていることをこれから申し上げるんですが、政治の世界と言うか、この国全体がですね、随分ガタがきているんじゃないかと、先が暗いんじゃないかという思い、まあ自分たちの国が凋落するというか、落ちていっているんじゃないかという思いが広がっています。で、その広がっている中でですね、いろんなことがありすぎるために、よくよく政治ひとつとっても中身がわからない。何が選択肢なのかわからないという人がいます。でも私はそうじゃないと思いますね。病気をしまして、やや、毎日毎日テレビに出ることから距離を起きました。遠くから眺めていると、ある意味では問題は単純なんですね。政治について申し上げれば政治っていうのは、よく言われることですが、世代の間でパイを奪い合う。つまり、若い世代のために、これからの世代のためにどれくらいお金を使うか。あるいはもう世の中のために尽くしてきた、たとえば高齢者なんかのためにどのくらいのお金を使うか。それの配分の争いだと、よくいわれています。それが政治の基本だというんですね。じゃあどっちに配分を大きくしたらいいのか、というのが政治の選択肢であるはずなんですね。ところが私たちの国の今のおかしさというのが、なんなのかというと、実はどっちにもいってないんです。つまり未来にも投資してない。過去にも投資してない。普通の政治であればこっちにやるか、こっちにやるかという配分をしなきゃいけない。それが政治なのにそうじゃないところにいっているわけですね。で、私は今病気、ガンですから、自分の体とどう向き、比べてそのことを考えてしまう。人間の体がガンに侵されますと、本来使うべき栄養とかエネルギーとかいうものが、ガンと戦うためにそっちに取られてしまうんですね。本来人間が生きていくべきところに向かなくなっちゃう。ですから、この国と言うのは一言で言えばガンにかかっている。そういう状況だというのが、この国の状況だと思います。そうやって見ますと難しくともなんともない。起きていることは非常にはっきりしています。それに対して私たちがどうするのか。何をやるのか。まあ私の場合で言いますと、この点は戦っているわけですが、敵はなかなかしぶといです。ですから、この国の問題だって、問題ははっきりしている。ある意味では単純である。だから、やれることは簡単かってそうではありません。しかし問題はここにあるんだということは、まずははっきりしないと、何事も始まらない。その上で、それに向かって戦うのか、もうそれに負けるのか、そこが私たちに迫られている選択しだろうと思います。このくらいしゃべると、まあ、あの、やや欲求不満がなくなるという、そのくらい単純な話をするにも時間はいるんですね。それに比べると、私はテレビは短すぎたなと、いつも思います。短くしか説明できない、というテレビの恐ろしさと欠点があるということを今離れてつくづく思います。いくらなんでも長いんでこんなところで」
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