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あさかぜさんは見た

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11/22

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08/25

Fri

2023

勉学しか貧乏を脱出する術なし

結論から言えば「自制心の欠如」となる。
人は何故貧乏になるのか。
まず最初の家庭環境はある。
学問を馬鹿にする親元、図書館にも行かせてくれない親元では、ほぼ勉強しようという発想など生まれてこない。
ここは社会や地域の助けが必要になってくるから抜く。

まず「お金は使わなければ使わないほどいい」というのがある。
必要以上の贅沢は見栄だし、贅沢には金銭感覚より感情を優先している。
その場の感情を払拭させるためにお金を使用して何らかの贅沢をしている。

見栄を張らなければいけないコミュニティに属しているのならば離れた方がいい。
映画のセットみたいに張りぼてだし、とにかく飾っていくのを維持するにも金がかかる。
そしてマウントの取り合いだから、どこかしこに人を見下した表現が出る。最悪だ。

勉強をしなければいけない。
知識は世界を唯一広げる手段なのだ。
見えなかったものや気が付かなかった世界が突然見えるようになる。
勉強をするにもコツがいる。
私は勉強が大嫌いだからわかるのだが、
・ここまでやらなきゃいけない
・こうしなきゃいけない
・これができなければダメだ
とかいう思いが少しでもあれば勉強は苦痛になる。
テスト等学校教育や親から埋め込まれた脅迫心理だ。
だから自制心が必要になる。

例えば逆に「一日に10分しか勉強できない」とか考えて、本当に10分やると限界がわかる。
世の中にはポモドールみたいに集中できる時間内で休みと集中を繰り返す方法はあるが、もし自制心のない方なら短い時間で試してみるといい。

勉強はとても難しい。
何を勉強すればよいのかわからない人にとって「一体自分ができないのはどの段階の知識から欠けているのか」がわからないからだ。

2023年3月ChatGPTがバージョン4を発表して世界が変わった。
世界はここ以前と以後に分断された。
AIの進歩は不可逆であり、世界は元には戻らない。
今までの職業の価値観が変わってくる。
「努力をすれば報われる」とか「死に物狂いで働けば儲かる」という時代ではなくなるだろう。
「生兵法は大怪我の基」とは言うが生知識で大怪我するくらいがちょうどいい。
大いに挑戦して時代の感覚を掴むといい。
そうなると余計に「何を勉強すればよいの?」となりがちだ。
そりゃそうでしょうね。
貧乏脱出したいのにこれから目まぐるしく変わる世界に対して「何が食いはぐれないのか」なんて考えているのでしょうから。

「好き」が大事。
でも「好き」を見つけるにもある程度やらなきゃ見えてこないものがある。
だから「自制心」が大事。
何を勉強すればよいのかわからないのであれば経験しながら補っていくしかない。
何が足りないのかを勉強するためにも経験と失敗は必要になってくる。

「あれやりたくない」
「あれ嫌い」
特に面倒だし考えるのは大変だし脳を書き換えるのは労力が必要なのだ。
最初嫌いでも面倒でも何か違う景色が見えたら感覚も違ってくる。
まるで登山のように登頂しなければわからない景色もある。
だから我慢が大事で自制心が必要になるのだ。
喚いてもいいし何をしてもいいけど前へ進んで見つけなければわからないこともあるってことだ。

貧乏とは「貧しい」からなるのである。
「貧しい」とは様々なことに対して貧相なのだ。
貧乏とはお金のことのように思えるかもしれないが、ただの結果であって途中が無数に詰まっている。
ある人は感謝だと言った。
今私は勉学だと言っている。
経験から学べる知識だとも言う。
そして創造力を養うための想像力でもある。
創造するには勉学が必要で知識や経験が必要になる。
勉強を沢山しても現場で足りないものが沢山出てくる。
その「足りないもの」こそ勉学に繋がるわけだし、何かに挑戦すれば失敗もするのだ。
だから失敗は誰よりも勉強の機会を得ていることになる。
学べば確実に一歩進める。

貧しいとは心の問題にもある。
人を軽んじる人間は貧しい。
その類の人間と自分の思い通りにいかず態度を変える人間は論外だし、一番何かに恵まれている時にいる友達は幻だ。
人生は山あり谷ありだから恵まれても落ちる時がある。
その時消えていく人も「貧しい人たち」だから、腐らず開き直ってください。
人間は裏切るものだし最初から見えているものなど、ほぼ幻。
自分が勝手に何かしているんだと思って、したことは忘れされたことは覚えている方がいい。
そうして光と闇の中で人間の心の陰影を掴んでいくんだ。
つまりは目に見えないものを掴み取る力も必要になってくる。

幸いに、かなりのものが体系化されている。
本で学べるんだ。
日本は現時点では検閲がないから、かなり自由な範囲で出版が許されている。
いい本を見つけ、いい読書体験をして、よい勉学を選択することができれば、世界はより良い方向へ向かって行く。
不器用でもよい。
臆することも沢山あるだろう。
それでも一歩まで行かずとも、這いずった1mmでも立派な前進だと私は思う。
あなたの、小さくとも、人生の闘争を祈る。
誰ともなくあなた自身への闘争を。

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07/20

Mon

2020

鴨頭嘉人さんのYouTube見てる

何か月もちょこちょこ見ているのだけれど、面白いことを言っていた。
「95%は講演後に行動しない」
聞いた人のほとんどはお金を払っているにも関わらず、その場で満足するか忘れるかしてしまうから行動しないそうだ。

僕は弱い人の気持ちがよくわかるし、自分も心が弱く半アルコール依存症にもなっているから、たぶん95%の中のさらに弱い2割ぐらいかどうかは知らないけど、そこら辺の人たちだと思っている。
それで僕は昔から考えていていまだに結論が出ていないことがある。
それは心の弱い人間が強くなっていくにはどうすればいいのか。
そのメンタルの土壌を作るにはどうすればいいのか。
「行動するしかない」のはわかっているけど、きっと「95%の人たち」は永遠にそのままだよね。
それとも何度も何度も刷り込めばだんだん「残った95%の中の95%が・・・」となっていくのだろうか。

例えば僕は嫌なことが頭から離れず、その時はアルコールの力を借りるしかない。
運動してもイライラするし、食べてもイライラするし、大声出してもイライラする。
そうして忘れるための手段が常習化してくる。
特に依存症の漫画の中で「報酬系」と呼ばれる脳の機能が刺激するから癖になると描いてあって、なるほどなと納得した。
何故なら僕は今店先でアルコールを見ると梅干し思い浮かべたみたいに口の中に唾液が出てきて、飲みたくなってしまうほどになっている。

他にもゲームをやっている時も面白いゲームがあると永遠とやっている。

なんでだろうね。
自分の経験から言うと「報酬系」もそうだけど、加えて人間は「快楽」の方が強いから、より楽な方へ行くんでしょう。

人類は成功法則は結構編み出していて、何故か成功者は自分の苦労体験とかもあるのだけど、最後にはゴリマッチョになっていく性質がある。
ゴリマッチョって言うのは、最初は優しかったのが、最終的には強者の理論になっていって、その強者の理論にならなくてはダメだと、弱いものを排斥しかねない理屈になっていく。
人は自分の脳を騙せるから、やがて分厚く塗られたものが、感情になっていくのかもしれない。
わかるけど、この方は「世界を変える」と仰っているのだから、違和感がある時がある。

僕は本を読むとき読書の習慣がない人は、絵本から始めようと薦める。
「大人だから絵本なんて=あれは子供の読み物だから」と頭から否定していると(プライドがあると)、ステップアップって難しい。
ゲームって、とっても面白くって、あまりにも難易度が高すぎるとゲームは売れない。
だいたいはゲームシステムの説明があって、操作させながら覚えさせて、後半に行くにつれ、少しずつ難易度が上がっていく。
その間に細かなイベントがあって、クリアするごとに効果音なり音楽なり映像なり色んな演出で盛り上げてくれる。つまり報酬が与えられる。
世の中に出ると、この手の報酬はなかなか与えられなくなる。給料ぐらいか、もしくは自分で目標設定して自分の中で盛り上がっていくしかない。
じゃあ多分自分で目標設定して盛り上げていくことはできるけど、95%の人はそのことを「快楽に勝る報酬だ」とは感じていないわけだ。

鴨頭さんはお酒を飲めないみたいだから、紀元前から続いている人類の快楽を知らない、はず。
そしてゲームをやるのは精神が未成熟だからやるということも言っていた気がする。スマホゲームはそうかもしれないけど、ゲーム産業が映画産業をゆうに超える規模なのは軽視しているのだろう。目標達成には関係のないことだろうし。
じゃあこの2つの快楽がどれほど強いものなのか、特にゲームなんて習慣のない人間を習慣化させるシステムがあることを知らないのかもしれない。
上に書いてあるゲームのステップアップ形式。ゲームバランスがきついと途端に遊んでくれないけど人気のあるゲームには必ず「報酬系」がある。

鴨頭さんは「ギフト」ということを考えていて常に与えようとしている。
「講演そのままパクってもいいよ」って言っているぐらいだから、自分なりの解釈をしてYouTubeでも始めればお小遣いは稼げるかもしれない。講演にもお呼ばれしちゃうかもしれない。
でもやっぱりそれは「行動できた人」であって、「行動までのメンタルブロックを外し常習化させるメソッド」にまでは至らない。

伊賀焼の先生とお話した時「才能って何ですか?」と聞いたことがある。
「環境だろうね」とあっさり答えた時は「それはイラっとしますね」と素直に伝えた。
だって先生のオヤジさんは既に素晴らしい伊賀焼の陶芸家で小さなころから「芸術」というものに囲まれていたんだもの。
うちはサラリーマンの家庭だったし、芸術のことには非常に否定的だった。学校の先生にも「映画監督になりたい」と言ったら「頭がおかしくなった」と親に連絡がいったそうだ。
じゃあ僕は才能なんて、これっぽっちもないじゃないか。
とても悲しくもなる。

「才能=環境」なのはよくわかる。
つまり「思考を変え行動を変え習慣を変え環境を変える」ってことだ。
ここまでの作業をゼロからやるのは、かなり骨が折れる。
「5%の人たち」って「才能のある人」だと思う。
既に環境を変える力を持っている人たちだ。
でも残りの「95%の人たち」は「才能のない人」だ。
だからこの手の人たちを変えるには「才能を導き、才能を行為させ、才能があることを認識させ、才能を証明する」必要が出てくる。
もうここまでの理屈になってくると「行動するしない」の問題ではなくなってくる。
「システム化」させるしか術はなくなってくる。
しかも「報酬系」も欠かせない。
もし「才能への報酬系システム」みたいなの考えられたら、自分が長年考えてた「メンタルブロックが強く心が弱い人間への成功快楽法」みたいなのが出来上がるのかな?

もう少し考えてみる必要がありそうだ。


追記:8/9
95%がどうしてできないのか。潜在意識を変えられないからだ、というところまでわかりました。つまり、この潜在意識の改善方法さえ見つければよいということになりますね。

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03/12

Thu

2020

医療従事者の経験談を聞くと「終末患者(ほぼ寿命も近く他の病院も受け入れず、ここで死を待つような患者)」は2つに1つなんだと言う。

・感謝の言葉を述べる人
・我がままばかりで周囲への文句しか言わない人

不思議と真ん中はないと言う。

そして顕著な例はお見舞いの人数だと言う。
前者は家族親族等お見舞いも常に来ていて温かな雰囲気なのに対し、後者は家族親族がいても一切お見舞いにも来ないのだという。挙句の果てに亡くなってからも家族親族が面倒くさがって揉めるケースも珍しくはないらしい。

人生の集大成が、その人の最後に現れる。

何故なのか。
説明しないでも大人ならば理解できることだろうけれど、理解できるのに実行はできない。
そんな差異が死の間際で顕著な現実として目の前に現れる。

この差は何か。

今の僕が断言できることは、

・愛を学んだもの



・愛を学ばなかったもの

だと思っている。

愛とは何か。
それは自分の価値以上の未知の何かに対して懸命に自分の人生をぶつけることだと思っている。
犠牲と根気と時間と言葉と感覚とやり取りと体験。

自己犠牲には違いないが、愛を知っている人間には違和感がありすぎる言葉だ。
だけれど知らぬ人間には、自己犠牲以上に費やさなければならないものがある。
両者の感覚は相容れることはない。

愛を知ると、自己犠牲以上のものが求められても苦痛ではなくなる。
価値基準が大きく異なってくるからだ。

目に見えないものが見えるようになる。

だけれど愛とは一種の体験でもあるから体験がなければ、この壁は一生突破することはできない。
そして愛を知らぬまま死ぬことになる。
だから周囲への愚痴や文句が平然と言えるようになる。
そこには自分しかいないからだ。

自分が明日死ぬとして、感謝を述べられる人間が何人いるだろうか。
何に感謝をして言葉を告げられるだろうか。

若かろうが老いていようが同じことだ。
人間はいつ死ぬかわからない。
だからこそ、せめて誰か一人でも感謝の言葉の内容を吟味して伝えられる人を生涯のうちで見つけられたとしたら、その人間の人生は幸福だったと言えるのではないかと考えている。

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03/09

Mon

2020

器用貧乏になるわけ



器用貧乏の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
きよう-びんぼう【器用貧乏】
なまじ器用であるために、あちこちに手を出し、どれも中途半端となって大成しないこと。また、器用なために他人から便利がられてこき使われ、自分ではいっこうに大成しないこと。




と、あるが、世の中には本当に器用な人がいる。
どれもこれもやることをこなしてしまう人だ。
皆そのような人に憧れる。僕も成れると思っていた。
だが成れない。
ひとまず今料理をやっているけれど出汁巻き巻けるようになったし、オムレツも後1年もすれば巻けるようになるだろう。宴会もやって作ったことのないものでも味が想像できるようになった。

だけど、他のことをやっていない。
文章だとか、声を出すとか。
勉強も疎かだ。
すると分かってくることがある。
生活費を稼ぐ反面疎かになってくることがある。
基礎的な練習だ。
脳も筋肉と同じように捉えれば、僕の中ではハッキリ色々言える。
つまりは筋肉と同じように「使わなければ衰える」ということだ。

年を取って筋肉痛が数日遅れで来るという理由もハッキリわかった。
自分が筋肉使っていけばわかることだ。
答えは「使ってないから」だ。
例えば筋肉は瞬発力と持久力の筋肉が違うし、各部位によって筋肉を独立させて考えないと、どこが使えていて使えていないのか知らない人にはわからない。
だから急に筋トレして、まったくできなかったりすることは多々ある。
その筋肉は何年も使っていなくて、何年も使っていないからこそ赤子のように非力に成り果てているという理由で、筋肉痛が2日後に出たりするのだ。
でも、不思議と「筋肉って瞬発力と持久力違うから短距離走の選手が長距離勝てなかったり、逆もあるんですよ」と言うと「そんなの知ってる」とだいたい言う。
言うけれど、運動している時自分がどの筋肉を使っているのか知らない人が多い。

現象として見ていても、いざ自分がどのように動けがいいのかは結構理解していない。
というのが、ほとんどの人の現象なのではないだろうか。

何にも言い換えられるけれど、成功している人は見ている。
でも自分がどのように動けばいいのかはわからない。
人に説明されると「わかってる」って言うけれど間違った力の使い方をしている。
だから辿り着けない。

例えば文章。
話さないと人と話す時に言葉に詰まる。
文章書いていないと特殊な言い回しができない。
詩を書かなければ自然の中に巡っている力を掴み取れない。
外郎売を声に出さなければ滑舌が悪くなる。
筋肉と使わなければ瞬く間に衰えてくる。
しかも筋肉なんて部位ごとに分かれているから、部位のことが理解できていれば尚更ここはまずいという意識が出る。

脳も筋肉。
使わないものは衰える。
だから存分に時間を使い訓練勉強しないと、その領域においては衰えていく。
だから器用貧乏になる。
何かを成し遂げたいならば一点集中すべきだし、他の沢山の誘惑はあるだろうけど、そこを抜けて余裕が出てきたら浮気をしてもいい。
もしくは資金的に余裕があり、存分に自分の時間を確保できるのならば生活費に取られる時間はほぼ削減され、能力を伸ばすためだけに時間を使えるだろう。
だから自分の時間はある程度どれだけ確保できるのかの時間スケジュールは絶対必須になる。

例えば8時間労働で20日勤務だとしよう。
1か月を30日と仮定する。
1か月の時間は720時間。
労働時間は160時間
通勤時間は片道30分と考えて往復20時間。
睡眠時間を削ると人生ろくなことが起きない。無理せず8時間と考えよう。240時間。
お風呂に入ったり歯を磨いたり選択干し物排泄等、最低限清潔感を保つための時間は女の人ならもっとかかるだろうけれど1日1時間と考えて、20時間。
ご飯を食べる時間。自炊していれば1時間は欲しい(外食もかなり時間を使っているからこれ以上かかる)。食器を洗う片づける時間も含めてだ。30時間。
生活を支える物品等買い物に行く必要がある。この時間を1週間まとめ買いしたとしても4回ほど1時間は普通にかかる。4時間。
ここまで計算して1日当たり約8時間の余裕しかない。
当然この通り行くはずもないから、8時間以下の余裕しかない。
この残された時間をどこに振り分けて筋力を衰えさせないかってのが人生の力の使い方において重要なことになってくるってわけ。
人間この通りに行くはずもないっていうのは、例えば職場のストレスやら人間関係の鬱憤やらってのがあったり、人間関係の付き合いやら何やらがあったりして、わりと理論計算上の時間は確保できていないし、まずできない。
となると「器用に振る舞う」ってわけにはいかなくなる。
集中力も拡散されるし、普通の人ならば、この時間配分どうすればいいのさってのを本当に本当によく考えないと実際1日あたり3時間4時間しかないのだから、え?何故って?携帯等を使って友達やらとコミュニケーションする時間や動画を見る時間に結構な時間1日使ってるでしょう? だからこそ、残りの4・5時間を何に使うのかで大きく人生は変わってくるし、当然器用貧乏になるし、存分に時間を配分できないのだから手を広げるごとに衰えるものの方が多くなるのですよ。

と、言う話。

もし人に使われるばかりなのならば、自分で自分を使えるように時間の使い方を訓練しなければいけないね。

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06/16

Sun

2019

どう考えたって弱者には優しい社会にはならない

僕は生きているのが怖い。
楽しい時もあるけれど、ふとした時に動悸がしてきて、不安になって、自分の存在が軽く見えてくる。
何故生きているのかわからない。
だいぶ人間としてもクズだ。
不安を押し込めるために酒を飲んで忘れることが大半の人生だ。
そういう人間が書く。

社会は基本的に強者の理屈に傾く。
強者とは権力を持っている人間だ。
その権力は国家よりも大きい場合があるが、とにかく僕らが知れる大きな存在は、まず国家だろう。
国家とは常に監視しなければいけない性質がある。
何故ならば国家は得た権利を国民が無知であればあるほど独占できるからだ。
君が10億円提示されて、もしタダで何もせず受け取ってもいいと言ったら絶対に「NO」と言わない。
この「タダで受け取ってもいい」という状態が、国民の政治の無関心にあたる。

話を置き換えよう。
権力を得た人間は弱者の言うことなど基本的には聞くはずがない。
君が10億円易々と得たいという人種なら、彼らもまた邪魔者はいらない。
あわよくばそれ以上の価値を手に入れたいと思うはずだ。
それならば関わってくれない方がいい。
関わってくれないのに、言ったことを守らなければ犯罪者になるくらいの勢いで法整備した方がいちいち面倒な対応をしなくて済む。
これが欲望の流れだ。
そう考えると力を得た人間が善人であれるはずがない、というのが僕の昔からの意見だ。
もし善人ならば監視の目があるか、後で書く人種だけだ。

一般人に置き換えよう。
普通、みんな面倒は嫌だ。
自分の生活が脅かされることは嫌う。
資産が脅かされるのを嫌う。
逆に言えば、豊かな人生を歩みたいし、資産は増えていった方がいい。
君の窮状等には関わりたくないし、なるべく言葉で励まして何とかなるなら、それでやって欲しい。
自分の身を犠牲にするまでは責任が持てないし、自分の生活を犠牲にしてまで尽くす義理がない。
他人とは、そういう存在なんだ。
だから強者の理屈がより重視されていく。
より豊かな人生を歩んでいて、より多くの資産を得る人間の理屈こそ正しいとされる。
そしてその理屈が突き詰められると、当然弱者の理屈など何も役に立たない、弱者とは人間の正常な生活そのものに対して危害を加えるようなものとなってくる流れ(見方)となる。

僕と同じような心の弱い君の話になる。
自分の話を聞いて欲しくて、認めて欲しくて、苦しいことをわかって欲しくて、まるで毎日泥の中を溺れながら泳いでいるようなもどかしい感覚の中で、必要とされたくて、やったことを褒めて欲しくて、そういうことがないと腐ってきて、人の愚痴をすぐに言いたくなり、活躍している人を羨み憎しみに近い感情を抱き、孤立しているがゆえに、もしくは似たような仲間と絡むがゆえに、心の中にどんどん毒を作っていき、浮上することもできないまま、低空飛行で死ぬこともできず、ずるずると生きているっていう、そういう人間。
そんな僕らの話を聞く強者などいるものか。
気取って正論だけ喋って、人生一つもこじらせたことなくて、そんな人間どもに何がわかるのか。
だから誰も助けてくれない。
もしわかってくれるのならば、その人は弱者の立場から這い上がった人だ。
人間知らないことは知らない。
この認識というものは意識の差にも繋がる。
極端に言えば上記の人たち。
苦労はしているが腐りはしない。
ああ、きっと人を殺そうとも思ったり、自分が産まれてきてきたことが間違いだったとか、そういうことを思わなかった人間たちなんだ。
きっと人生の中で誰か一人でも大事にされて、その大事にされた存在を信じられる人たちだ。
何故ならそういう人間たちほど心が澄んでいて濁りがない。
接してきたけど、素敵な人間たちだ。
だから、交われない。
僕らとその人たちは、どこかで永遠に理解し合えない違和感を持ち合っている。
どうせそいつらは落ちたことのない人間だし、堕ちたことがないから堕落も心のどこかで嫌悪している。
堕落していく人間を見下し、いざって時は罵りたく感じている。
だからこそ人に文句や嫌な気持ちを抱いて自分を落としたくないから、僕らのような人間とは関わりたくないと当然のように思っているし、その手の理屈を絶対人生のポリシーにしている。
自分のことだって客観的に見て、超面倒臭いんだよ。
普通に見て関わりたくないじゃん。
気難しいし、ピンポイントで褒めてくれないとつむじ曲げるしみたいなやつ。
僕も相当年齢重ねたから少しだけ社会に溶け込めるスキル身に着けたけど、地はそういう感じだからね。
そうなるとどうなります?
「意識高い系」なんて絶対寄り付かないに決まってるじゃない。
そうなると誰も助けてくれないのは必須になるし、自分からいけなんて、突っ込んでいけなんて怖くてできないじゃない。
当然放っておかれますよね。
ネガティブっていう状態になる。
ネガティブなんて状態になったら自己主張もできないし、控えめになるし、人と接していないからどのレベルで出していいかわからないから、出したら途端に過剰になる。
過剰に表現しているつもりないのに他人には引かれて、もう自分なんて生きていけないんだって絶望に浸る。
そういうぐちゃぐちゃした人を誰が救おうとするのですか。

少なくとも面倒を極力避けようとするのが人の世。
ネガティブなものを持ち合わせて、それを表現する人間の元には、同じような人たちしか集まらず、強者とは理解し合えぬまま水と油のまま過ごすわけです。

問題はこっからだ。
じゃあ僕らは放っておかれる。
弱者のままでいたら一生そのままだし思い描いているような理想の世界は永遠に突き崩され続けて「賽の河原」で積み上げた石を崩される鬼を横目に、また積み上げていくような拷問を生きている間に味わっていくことになる。
人に大事にされたことがない人間が、人を大事にできるのか。
その術を知らない人間が、その術を行使できるのか。
「NO」だ。
よって貧しい人間は、より貧しいところへいく。
図書館があるから勉強すればいいじゃないとか、本って難易度が高い。
何も知らない人間が、何かの知識の綱渡りをできるのか、できない。
結局強者の想像力は決して弱者の生身の現状に至らない。
だからこそ権力は監視しなければいけないし、強者に対して声を出さなきゃいけない。
弱者を理解できる強者の出現を待っているまでに、奪われすぎてしまうんだ。
そしてきっとこの国でも安楽死という手段が選べるなら選ぶ人が多くなっていく。
もっと貧しい人たちがいるからとか比較論で言う人間は、恐らくホームレスに缶コーヒーの一杯もおごったことがない人間たち。
内容のない言葉だけを振りかざして、その言葉が何を意味するのかも考えない人たち。

僕たちは弱くていいんだよ。
僕が弱いから認めて欲しいって言う意味じゃない。
残念ながら強者に見える人も大きな欠点があったりする。
いつ人間は転落するのかわからない。
万が一弱者の立場になった時、自分の吐いていた強い言葉が全て裏目になって自分を苦しめることになる。
サクセスストーリー、逆転ストーリーが輝いて見える。
だからこれらの例は珍しいんだ。

僕たちは分かり合えない。
だから弱者は強者のままにさせないように何かを表現している。
小さな小さな声で、小さな小さな部屋の片隅で。
そういう声が掻き消されないように、相手に膝をつくような、強者がもっと年を取って大人になって、子供が自分が言ったことの反対の状態になっていじめられたら、すぐさま自分が間違っていたと改められるような、そんな人間になれないと、どっかの次官みたいに我が子を殺さなければいけないなんて悲しいことが起きてくるんだ。

いいか、膝をついて何十万のスーツに土がつくからなんだ。
下手なことがあると自分が築き上げた名誉が傷つくからなんだ。
弱さなんて、人の転落なんて、誰しもが持ち合わせている。
恐ろしいほどに持ち合わせているのに、無関心すぎる。
それだけ自分勝手さを見事な形で包んでくれながら、何も知らない状態で生きていける素晴らしいツールがインターネットになりかわったのだとしたら、とても悲しいことだ。
体験したことがないことには想像が及ばない。
弱者に優しい世界などない。
だけれど、命に優しい社会は作れるはずだ。
もし自分が転落したら、もし自分の子供が弱者の側に落ちたら、あなたは強者であっても、子供を全否定しますか?

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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