踏み込みすぎてもいけないし、離れすぎても消えてしまう。磁石の同極のように近づけなくて、結局何も残らない。そんな関係。
虚しいと感じたり、悲しいと感じたり、好きだと感じたり、でも相手には、それはどうでもいいことで、妙な感情を抱かれても困るということ。
なぜってそれは本人が直接言ったから。自分が問いただして、相手から答えを聞いて、辛かったけれど受け入れた。
昔から自分はこうだった。好きな人に好きな人がいたりしたら、やっぱりどこかで答えを出しておきたくて、色々攻めてはみるものの、やっぱり自分のことは好きになってくれなくて、「優しい人だね」だなんて酷く残酷なことを言われて、とてつもない悲しみや怒りや辛さや虚しさから相手を傷つけてしまう。
あんな思春期の頃から、自分はちっとも変わっていなかったと思うと、なんだか自分の弱さと子供っぽさに死ぬほどの嫌悪感を覚える。
「死ぬほど」ってとても大げさに聞こえるかもしれないけれど、真剣に悩んでいる人にとって、他人に微細に思えることが両者にとって重要なことで、そんなわからないところでのすれ違いが、お互いを傷つけ合っていたように思える。きっと、自分も相手を傷つけていた。
夢見がちな人間だった。妄想癖があるのかな。今でも本気で思っている。この世界を変えたい。死んでいく人を少しでも減らしたい。でも、その死んでいく人の中にカウントされそうで一人で皮肉な笑いを浮かべてしまった。
世の中の合理的な考えが大嫌いで、いつまでもそこから逃げ続けていた。何度もやり方に反発しては、仕事を変えていくしかない状況を自分で作っていた。相手との関係がどうだからって、この世界が変わるわけじゃない。自分はとても無力だった。
理想を実現するには、途方もない努力が必要だ。そして段階的な手順をクリアしていってはじめて理想は実現できる。どんな高層ビルだって一階から建てなければいけないのと同じで、いきなり六十階から地上を見下ろせるわけじゃない。でも、自分はそんな努力さえもしていない。毎日、日銭暮らしで、詐欺事件のニュースを見ては、自分も老人から金を騙し取ってやろうかと思ったりする。自分にはできないことを思ったりするのは、楽をして生きていたいと思うからで、努力して苦労して人の愚痴や文句や恨みの言葉を吐いて生きたいからじゃない。
自分の父親はとても部下に信用の厚い人だったけれど、仕事のストレスを家庭に持ち込んでは、言葉の暴力をふるっていた。今でも思い出すと息苦しくなるくらいだ。
どうしてそこまでして生きなきゃいけないのか理由がわからない。自分が養っている家庭を傷つけては、「誰のおかげで食べていけると思っているんだ」と言っていた。なんのために外に出て働いているのか、いまだに自分には理解できない。
アパートの家賃は滞納しているけれど、自分はそんな家庭から逃げ、明日食べていけるかどうかもわからない状況で、腐ったように生きている。
自分に自信がなくて、異性にさえも強くアプローチできない。いつも相手がわがままを言うと引いてしまって、「放っておいて」ということを言われたりなんかしたら、自分は本当に放っておく。そういう時、相手は自分に愛情がないと思うらしくて、さんざんなことを言われて離れていったり、そうかと思って他の人に強く押したりしたら逆に嫌われて、通報すらされそうになった。
自分はとことんダメな人間なのだとわかった時、あまり生きようと執着する気持ちが消えた。生きようとするのをやめようとしても、お腹はすいて、一日でめげたし、寝ないでおこうと思っても二日目にいつの間にか眠っていた。弱い意志しかなくて、自慰をして、いって、とことん自己嫌悪になったりもした。もう、本当にクズに成り下がったのだと感じた。
続く
[0回]
http://asakaze.blog.shinobi.jp/%E3%83%A1%E3%83%A2%E6%9B%B8%E3%81%8D/%E6%96%B0%E3%83%BB%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%A4%B1%E6%A0%BC新・人間失格