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あさかぜさんは見た

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03/01

Sat

2008

砂人間
建物はそのまま
交じり合う心
砂と真理と心理
染めあう心

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01/06

Sun

2008

ロジックの中の犯罪
線と言葉で繋ぐ言葉のトリック
場面を言葉で追う
言葉を時間で追う
言葉を集めて嘘を見抜く

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08/05

Sun

2007

自分が納得したとしても、それは相手の気持ちをまったく汲み取っていないことを常に覚悟していなければならない。
己に厳しくあると言うことは、他人にも厳しくあるということとイコールにはならない。
常に発する言葉は自分の意見であって、それは「常識」や、「真理」などという言葉を使ってはいけない。
「そうあるべき」だという考えは、単なる過程であって、「結論ではない」こともある。
ましてや、他人には他人の人生があり、他人の生き方があるのだ。
なぜ、己の視野の狭さで他人をくくれようか。
その浅はかさに気がつかずに、他人を責めるのは、滑稽としかいいようがないのだ。
悲しい時間を過ごすよりも、笑いかけたほうがずっといいのだ。

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03/23

Fri

2007

 踏み込みすぎてもいけないし、離れすぎても消えてしまう。磁石の同極のように近づけなくて、結局何も残らない。そんな関係。
 虚しいと感じたり、悲しいと感じたり、好きだと感じたり、でも相手には、それはどうでもいいことで、妙な感情を抱かれても困るということ。
 なぜってそれは本人が直接言ったから。自分が問いただして、相手から答えを聞いて、辛かったけれど受け入れた。
 昔から自分はこうだった。好きな人に好きな人がいたりしたら、やっぱりどこかで答えを出しておきたくて、色々攻めてはみるものの、やっぱり自分のことは好きになってくれなくて、「優しい人だね」だなんて酷く残酷なことを言われて、とてつもない悲しみや怒りや辛さや虚しさから相手を傷つけてしまう。
 あんな思春期の頃から、自分はちっとも変わっていなかったと思うと、なんだか自分の弱さと子供っぽさに死ぬほどの嫌悪感を覚える。
 「死ぬほど」ってとても大げさに聞こえるかもしれないけれど、真剣に悩んでいる人にとって、他人に微細に思えることが両者にとって重要なことで、そんなわからないところでのすれ違いが、お互いを傷つけ合っていたように思える。きっと、自分も相手を傷つけていた。
 夢見がちな人間だった。妄想癖があるのかな。今でも本気で思っている。この世界を変えたい。死んでいく人を少しでも減らしたい。でも、その死んでいく人の中にカウントされそうで一人で皮肉な笑いを浮かべてしまった。
 世の中の合理的な考えが大嫌いで、いつまでもそこから逃げ続けていた。何度もやり方に反発しては、仕事を変えていくしかない状況を自分で作っていた。相手との関係がどうだからって、この世界が変わるわけじゃない。自分はとても無力だった。
 理想を実現するには、途方もない努力が必要だ。そして段階的な手順をクリアしていってはじめて理想は実現できる。どんな高層ビルだって一階から建てなければいけないのと同じで、いきなり六十階から地上を見下ろせるわけじゃない。でも、自分はそんな努力さえもしていない。毎日、日銭暮らしで、詐欺事件のニュースを見ては、自分も老人から金を騙し取ってやろうかと思ったりする。自分にはできないことを思ったりするのは、楽をして生きていたいと思うからで、努力して苦労して人の愚痴や文句や恨みの言葉を吐いて生きたいからじゃない。
 自分の父親はとても部下に信用の厚い人だったけれど、仕事のストレスを家庭に持ち込んでは、言葉の暴力をふるっていた。今でも思い出すと息苦しくなるくらいだ。
 どうしてそこまでして生きなきゃいけないのか理由がわからない。自分が養っている家庭を傷つけては、「誰のおかげで食べていけると思っているんだ」と言っていた。なんのために外に出て働いているのか、いまだに自分には理解できない。
 アパートの家賃は滞納しているけれど、自分はそんな家庭から逃げ、明日食べていけるかどうかもわからない状況で、腐ったように生きている。
 自分に自信がなくて、異性にさえも強くアプローチできない。いつも相手がわがままを言うと引いてしまって、「放っておいて」ということを言われたりなんかしたら、自分は本当に放っておく。そういう時、相手は自分に愛情がないと思うらしくて、さんざんなことを言われて離れていったり、そうかと思って他の人に強く押したりしたら逆に嫌われて、通報すらされそうになった。
 自分はとことんダメな人間なのだとわかった時、あまり生きようと執着する気持ちが消えた。生きようとするのをやめようとしても、お腹はすいて、一日でめげたし、寝ないでおこうと思っても二日目にいつの間にか眠っていた。弱い意志しかなくて、自慰をして、いって、とことん自己嫌悪になったりもした。もう、本当にクズに成り下がったのだと感じた。

続く

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03/04

Sun

2007

「当事者じゃないあんたに何がわかる」


「私のこともっとわかってほしい」

答:わかりっこない

他人と理解を深める気がないのならば、「当事者」たる理由を全面に押し出す必要性はなく、また他人に対しても自分を押し付ける必要性はない。
しかし他人に自分を前面に押し出して己の抑圧されたものを垣間見せるということは、逆説的に「理解して欲しいこと」が強くあって、それを他者が満たしていないからこそ言う言葉であり、つまり他人との交流を強く求めているからこそのジレンマ。
そんな状態では当然精神も擦り切れ疲弊し、他人を信用できなくなる。
わかりっこないからこそ、互いに理解を深める必要性が常にあるわけで、それは両者のためにとっても有意義である。
二度と「あんたに何がわかる」と他人に対して暴言を吐かないために、自分が傷ついているからと言って、他人を傷つけないために、わかりっこないところから始められることがたくさんあるということに気がつくべきだ。
そのわかりっこないところから始められるものこそ、常に希望に向かっていくのではないかと思う。


人間、誰だって完璧にはなれないさ。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
44
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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