題名の通り、声優の世界では有名な方が書いた声優の世界の本ですが、俳優とか、小説家とかにも言えるような内容で身につまされました、というか自分も思っていたことなのですが、私も「小説家になりたいんです」と言う人がいたら「やめなよ。真っ当に生きられるならそっちの方が絶対いいから」と言います。
最近はボイスドラマなんぞを作るようになって、新人声優さんの音源や素人の方の音源を組み立てたりしているのですが、やはり才能の差というのはハッキリわかるものです。
私が素直にダメなところを伝えると、だいたい素人の方には恨まれたりします。若い頃私も「自分は凄い」みたいな感覚があったので、よく思い出せば今の若い人たちの感覚もわからないまでもないのですが、なんせ私ネームバリューがまだ皆無なので、この方のようにハッキリ言うと恨まれることがかなり多く、「何言ってるんだ素人のくせに」のような辛辣な目を向けられ、挙句の果てには陰口を叩かれまくるという次第でございます。
自分が仕事のできない人間だということが一番の原因ではありますが。
さて、声優のことが書いてあるのですが、小説家も似たような事情に晒されています。唯一の違いは「自分で仕事を作れるかどうか」の違いがあります。
小説家は自分で勝手に作れますが、役者はシナリオがないと役者にはなれない。厳しい世界だと思います。そして自分も最近になってようやく体に染み付いてきたことですが、こういうことをやる限りは、たとえ他人の車に引かれても仕事の面においては自己責任です。言い訳できません。それだけ身一つ、技術一つ、人間一つで勝負しなければいけないということです。
ボイスドラマを作るようになって様々な素人や経験者や現役の人と触れ合う機会が多くなってきたのですが、「あー」と思い当たるふしが沢山書いてあり、特に素人の方で声優志望の人たちに多いのが「現実から乖離した夢を抱いている」ということと、何故かたいしたこともないのに「自尊心だけ強い」ということなんですよね。
例えば大塚明夫と言えばアニメなどに興味のある人は代表作がポッと出るでしょう。本の帯に「メタルギアソリッド」というゲームの監督小島秀夫が「ボス」と書いてありますが、正直知らない人から見れば「ボスって何? だいぶ偉い人なのかな?」と勘違いしますし、ギリギリテレビを見まくっている人なら「セガールの声の人だよ」と言えば「あーっ」と引っかかる程度の有名さです。
つまり、業界として既にニッチであり、そのニッチの中の有名人となると映画俳優とは比べ物にならないほどマイナーな役者ということになるでしょう。
これが正常な見方だと思うのですが、どっぷり浸かっちゃっている人、それしか見てない人は、もう世界そのものがサブカル系に浸されていて、物凄く飛躍したイメージを抱いていることが多々あります。
そしてその飛躍したイメージは自分に対しても向けられる。自分は主役を演じるのにふさわしい人間だとか、人気キャラを担当して伸び伸びと演じていて、見ている人が感動して、よかったです素敵です、だなんて言われる姿まで想像していたりします。よくわかります。自分もかつて、テレビに文化人として映ってチヤホヤされて、ちょっと格好のいいこと言っている自分みたいなのを想像していました。反吐が出るような思い上がりでした。
この年になり、様々な経験をして鼻っ柱も折られまくって陥没し、自分の実力もよくわかるようになりました。才能ってなんだろうとか、才能がないんじゃないかとか、色々悩んで、自信満々の作品が落とされて、あまりにも情けなくて思わず母親の前で泣き崩れたこともありました。
そして同じことをやっている人たちも少なからず見てきましたので最悪の末路も知っています。でもやめることができなかった。その時「書けなくなることが嫌なんだな」と思いました。自分の場合消去法ですが、どうしても最後に削れなくなる物がこれしかなかったし、そのために人生そのものをリスキーにしても別にかまわないと思いました。純粋に作品の精度と向き合うのが楽しい。そして私はまだ手段を沢山持っているし、頭の中のものを全て出し切ったわけでもないので、やめたら即人生後悔するわけです。
私のことは沢山書く機会があるので、他の場所で致しますが、声を聞いていて思ったことは「上手い」と言われている人でも、どうもその人の中でテンプレートがあって、そのテンプレートを繰り返しているだけという人がいます。長い年月聞いてもいっこうに演技が変わらない。安定しているとも言えるのですが、人間味がまったく深まっていない。若くて上手い人が現れたら取って代わられる程度の実力。きっとその方ちやほさされるのが心底好きなんだろうことがよくわかるのですが、たぶん本人それを隠す。
本にも書いてありましたが、こういう世界で自分に正直じゃない人って未来の方向性がハッキリしない。で、本当に厄介なのはプロでは食ってはいけないけど、素人よりは断然上手いっていう中途半端な人って、何故か妙なプライドを持っていて、文章の世界でも声の世界でも同じような状況が展開されていました。
そういう人、素人を見て胡坐をかいているか、もしくは見下すか、どちらかが多かった。無駄にプライドが高くて完全に自分の成長を阻害している。自分の実力を客観視できないから必要な批判と必要ではない批判の区別ができない。もうここに至れない時点で才能がないと私などは思うようになりました。
演技というのが何かはよくわからないのですが、少なくとも小説というものから見ると、才能があれば文章は年を取るごとに円熟味が増します。というのは様々な経験や人との繋がりから、優れたものもダメなものも自他共に見つけます。当然凄い目利きの人にケチョンケチョンに、立ち直れないほど言われることもあります。少なくとも私は深く傷つかなければ、ここまで気づくことはなかったのではないかと思います。でも、見ている限りプロになろうとしている人の中でもプロの目線から逃げ続ける人、圧倒的に多いと実感しています。
そして少しでも自分の境遇を他人のせいにする人は、正直会社員生活のほうが絶対合ってますので、就職活動頑張ってくださいと心より応援させていただきます。だってこの世界本当にまともな人間が来るところじゃないんだもの。だからまともな人はまともな社会で暮らして欲しい。親とか親戚とか悲しませるしね。夢追ってて格好いいね、なんて云われるのは30歳まで。その前からも言われますが、その後は辛辣な言われようです。食えないってそういう言葉を言われてもしょうがないんです。
あと、声真似する人多いですね。声を真似て演技を勉強するんだと言っている人ちらほらいるんですが、文章を書く立場から見たら「?」です。何故なら文章の世界で有名な人の文体や作り方真似ている人、新人にもなれないので。で、当たり前の話ですがプロだってぬるい見方しないです。「ああこいつ、この人の真似しているな」と思われたら即アウトオブ眼中です。何故なら、オリジナルは既に業界にいて稼いでいるわけです。劣化したものいると思います?
学は真似ると言いますから、よい文章を模写するのは勉強になるとは言われますけど、参考にはなっても完全に役に立つかと言ったら「NO」です。理由は文章も体で書くわけで、私には私の心と体と精神があって、私自身のリズムがあるわけです。その感覚をガッチリと掴みながら、時には登場人物を演じるかのように懸命にその人のことを考えて、自分の文章のリズムを音楽でも作るかのようにパズルのように組み合わせ、物語全体を調節していく。つまり、この体を持っている、この心を持っている、だからこそ書けている文章であると実感するようになりました。結局自分からはどう足掻いても離れられないというのがいい意味でも悪い意味でも理解したことです。
これを演技で言うならば、その人間と体の作りも心も違うのにコピーを試みても、結局違う体と心を持った自分の素の演技に磨きがかかるかと言ったら、どうも聞いている限りでは疑問です。絵の世界でも偽物は贋作と言いますけど、本当に勉強になるのは、寸分の狂いもなくコピーできた時だけです。偽札が偽物だとわかったら価値がないのと似てます。比喩でもしっくりこないのだったら、言います。真似ても、どう足掻いても自分出ていて、その自分をガン無視し続けているんです。それを目指すより、相手の演技を聞き入って、どう返すかを考えつくしたほうが、コピーするよりも近道だと思うのですけど。どうやったら、この演技に負けない演技ができるのか。返すのではない。圧倒するんだという意気込みでようやく成長できる気がします。
憧れてしがみ付く人は多いですが、去る人も圧倒的に多いところです。特にちゃんと家庭を持とうとか、当然周囲もまともに社会人やっていれば出世していく姿を見ることでしょう。それと自分を比べて惨めな気持ちになったりすることもあります。正直病みます。それ気にならない人だけ出来るとも言えます。
そして長年やり続けることで邪魔になる物があります。あくまで長年です。10年とか20年とかやり続けるためのコツ。自己顕示欲と承認欲求を捨て去ることです。兎にも角にも理不尽なところです。努力した見返りはほとんどありません。テスト勉強をするように点数が出ないし、人気にあやかろうと思ってもまず思い通りにいきません。そして今まで努力の見返りは何らかの形で点数なり評価なりわかりやすいシステムの中で分別されてきましたが、人間の理不尽さそのものの真っ只中に突っ込まれることになります。とてもじゃありませんが、存在意義など見出せないしあまりの見返りのなさに擦れてきて最後には病みます。で、自分は必要のない人間なのだとわけのわからないことを言い出し、他人を恨んだり孤独感に打ちのめされたり、精神を充足させる道としては本当に選択を誤っています。そこは著者と何一つ変わらない意見をずっと持ち続けていました。
同業者だったら自分のこともっとわかってくれるはずだという幻想も捨てましょう。プロはもっと厳しいです。同業者は同業者だからこそ容赦しないと思います。そして傷つくからということで馴れ合いをしている人、成長しませんのでいずれ誰かにすっと抜かれていきます。最初からモチベーションも低いので数年で溶けるようにして消えていくんですけどね。これ、あくまでプロになろうとしている人の話しです。遊びでやっている人は、楽しいのが一番ですし、サークル仲間とわいわいやるというのは日々お仕事などでお疲れの人生の癒しの一つとなるでしょうし、そこはまったく否定しません。
私が見ている限り、本当に好きな人は自分で自分の欠点を見抜いて、誰に言われなくても勝手にやってます。好きってことは、ある意味オタク視点というのが出てきて、細部にこだわりだすし細部が気になりだすし、出来ていないのも気になりだすし、そこをできるようにするのが楽しいし、スキルアップしていった先の世界というものを見ていたり、自分への客観性を超えてシニカルさもあるような目で自分を捉えます。だから決して何かのせいにしないんですね。自分で失敗しているってわかっているから。だから勝手にやって勝手に直す。立派です。本当に尊敬できるタイプです。そしてその手のタイプ、超グングン伸びます。びっくりするほど。
今声も出していますけど、気持ちは小説を書いている時とあまり変わりがなくて、声も出しているのとても楽しいし、出せば出すほど打ちのめされているし、課題が沢山あるって楽しいです。小説ももちろん。
私はとにかく満足したい。あー、これよかったなー、と心底言ってみたい。こりゃすげぇ、とぞっとするものを創って見せたい。私は小説を書いているので、とにかく人間を見つめている。自分が演じることで動く心の細部を通しながら他人の存在をもっと別の角度から新しく発見したい。
私は極端な例をいつも考えています。本当に大事なものを犠牲にしてでも、これをやり続けられるか、ということです。実際それに似たような経験もしたし、体験としては結構充分な域まで行きました。
自分の人生捧げられますか? 他人から心底酷いこと言われても、これやれますか? 本当に凄い人とやり合って太刀打ちできるだけの自信つけられるようにしていますか?
結構長く書いてしまったし、著作に書いてある内容とほとんどかぶりますけど、自分もずっと思ってきた内容だけに、自分もまとめてみることにしました。
自分にとってはとてもいい本でした。声優を取材するのも楽しそう。ダメな人凄い人ハッキリ分かれるだろうから。
私からアドバイスできることは、この本には今すぐにでもできるノウハウが沢山詰まっている。本当に覚悟があるのなら今すぐにでもやるべきだ。勇気があれば大胆な行動も取れるはず。迷っている暇はない。
追記:
次世代を担って当社を支えうる俳優を育てるため、私たちは可能な限り真摯な姿勢で新人育成に取り組んでいます。
『全国的規模で受け入れられてナンボ』というこの業界ですが、若手声優飽和状態の昨今その道は年々細くなりつつあります。事務所に入ったから食って行ける、といった『義務教育のエスカレーター感覚』ではもはや生き残れません。
『やる気』も『本気』も『一生懸命さ』もあるのが常識ですから特に評価の対象にはなりませんし、それらすべてを持ち合わせていない人間が『幸運』や『ルックス』で売れてしまう矛盾を納得しなくてはならない場合もあります。さらに、日本語を扱う仕事ですから一般的なサラリーマンよりもはるかに緻密な国語力と社会常識が求められる世界でもあります。
あなたは夢を『見る側』から『見せる側』に回る覚悟が出来ていますか?
今まであなたが『タレントのだれそれが好き』と考えていたのと同じマナイタに、今度はあなた自身が乗せられて、他人の好き嫌いにさらされながら生きてゆくという覚悟が本当にできていますか?
その上で、もう一度このサイト内の募集に関する情報を読み直してみてください。養成所に関するご質問の多くはこのサイトの情報をよく読んでいない事から発生しています。読解力も評価の対象になる事をお忘れなく。この文章、マウスプロモーションの「養成所の募集について」の文面です。
もう募集のところからこんな文面載せないといけないのかと笑ってしまいました。
どれだけ酷い状態なのか、この文面を見ればよく伝わってきます。
最低限のことさえも調べない人がどんどん来るってことなんでしょうね。
さて、ずっと身も蓋もない書き方をしてきたけれど、自分にとっては発見のある内容だった。
なぜならシナリオ側の人間でもあるし、声を出すほうの人間でもあるし、誰かに自分なりに教える側の人間であるから、一体どうしたらベストなのかということがうっすら見えてくる。
個人として読むと上記のような辛辣なことになるけれど、団体の長となるとそうもいかない。
色々教えられることは教えて、本人も気がついていなかった潜在能力を引き出さないといけないわけだ。
例えば人には、その人固有の音がある。つまり声の音だ。それを最大限に引き出すには、その人本来の心地いい音のラインが必ずあるはずだ。だからそれをきちんと見つけるべきなのだと思った。
それもこれも全て人間観察によるものなのだけど、才能はその人間が持っている潜在能力のことをさすと考えている。
芸事に関することで言えば、感性だ。
感性はいかにして伸ばすことができるのか、それに挑戦するのも自分にとって大きな勉強になると思うし、感性を刺激する魅力的なシナリオや人物を描けたら最高だと思う。
これらは全て自分がなすべきことであって、最初にダラダラと辛辣な事を書いたように、才能ありません、ハイさようなら、では自分に才能がないことになる。
そこらへん、これから大いに勉強しようと思う。
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