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07/31

Sun

2011

2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦

2011年7月27日
衆議院厚生労働委員会「放射線の健康へ の影響」について参考人陳述
児玉龍彦氏は東京大学アイソトープ総合センター長






資料:
児玉龍彦国会発表概要
資料1(今回はこれが使われています)
http://www.slideshare.net/ecru0606/ss-8725299

資料2(別動画の答弁)
http://www.slideshare.net/ecru0606/ss-8725343

「ありがとうございます。次は児玉参考人にお願いします」


「はい。わたくしは、東京大学アイソトープ総合センター長の児玉でありますが、
(アイソトープ=同位元素=化学的性質は同じでも重さが違う原子。放射性物質も含む)
3月15日に大変に驚愕いたしました。

わたくしども、東京大学には、27箇所のアイソトープセンターがあり、放射線の防護とその除染などの責任を負っております。それで、わたくし自身は内科の医者でして、東大病院の放射線施設の除染などにずっと、まあ、数十年関わっております。それで3月15日に、ここの図にちょっと書いてあるんですが、我々最初にまず午前9時ごろ、東海村で5μ(マイクロ)シーベルトという線量を経験しまして、それを、第十条通報という、
(第十条通報=原子力災害対策特別措置法第10条による特定事象が発生した場合、原子力事業者から国、地方公共団体へ通報する基準のこと 原子力防災基礎用語集
文科省にただちに通報いたしました。

その後、東京で0.5μシーベルトを越える、そのー、線量が検出されました。これは一過性に下がりまして、次に3月21日に東京で雨が降り、0.2μシーベルトとうの線量が降下し、これが今日に至るまで、高い線量の原因になっていると思っています。
それでこの時に、枝野官房長官が差し当たり健康にあまり問題はないという発言をなさいましたが、わたくしはその時に実際に大変なことになると思いました。


なぜかというと、現行の放射線の障害防止法と言うのは、
(放射線の防止法=放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律
高い線量の放射性物質が少しあるものを、処理することを前提にしています。この時は総量はあまり問題ではなくて個々の濃度が問題になります。ところが今回の福島原発の事故と言うのは、100km圏で5μシーベルト200km圏で0.5μシーベルト、さらにそれを越えて足柄から静岡のお茶まで及んでいることは、今日みなさんすべてがご存知の通りでございます。

我々が放射線障害をみる時には総量を見ます。それでは東京電力と政府は一体今回の福島原発の総量がどれくらいであるか、はっきりした報告は、まったくされておりません!

そこでわたくしどもはアイソトープセンターの色々な知識を元に計算してみますと、まず熱量からの計算では広島原爆の29.6個分に相当するものが漏出しております。
ウラン換算では20個分のものが漏出していると換算されます。さらに恐るべきことには、これまでの事件で、原爆による放射線の残存量と、原発から放出されたものの、放射線の残存量は、一年にたって、原爆が千分の1程度に低下するのに対して、原発からの放射線汚染物は10分の1程度にしかならない。

つまり今回の福島原発の問題はチェルノブイリと同様、原爆数十個分に相当する量と原爆汚染よりも、ずっと多量の残存物を放出したと言うことが、まず考える前提になります。

そうしますと我々システム生物学と言うシステム論的に物を見るやり方でやっているんですが、現行の、総量が少ない場合にはある人にかかる濃度だけを見ればいいです。しかしながら総量が非常に膨大にありますと、これは粒子です。粒子の拡散と言うのは非線形という科学になりまして(非線形科学)、我々の流体力学の計算でも最も難しいことになりますが、核燃料と言うのは要するに砂粒みたいなものが、合成樹脂みたいなものの中に埋め込まれております。これがメルトダウンして放出するとなると、細かい粒子がたくさん放出されるようになります。そうしたものが出てまいりますと、どういうことが起こるかというのが、今回の稲藁の問題です。

例えば岩手の藤原町では稲藁5万7千ベクレルプロキログラム(1kgあたり5万7千ベクレル)、宮城県の大崎1万7千ベクレルプロキログラム、南相馬市10万6千プロキログラム、白河市9万7千プロキログラム、岩手6万4千プロキログラム、ということでこの数値というのは決して同心円状にもいかない。どこでどういう風に落ちているかは、その時の天候、それから、その物質が例えば水を吸い上げたかどうか。

それで、今回の場合もわたくし南相馬へ毎週末700km行って、東大のアイソトープセンター現在まで7回の除染やっておりますが、南相馬に最初行った時には1台のNaIカウンターしかありません。
(NaIシンチレーションカウンター=放射線測定器)
農林省が通達を出したという3月19日には、食料も水もガソリンも尽きようとして南相馬市長が痛切な訴えをウェブに流したのは、広く知られているところであります。そのような事態の中で通達一枚出しても誰も見ることができないし、誰も知ることができません。

稲藁がそのような危険な状態にあるということは、まったく農家は認識されていない。農家は飼料を外国から買って何十万という負担を負って、さらに牛にやる水は実際に自分たちと同じ地下水を与えるように、その日から代えています。

そうすると、我々が見るのは、何をやらなければいけないかというと、まず、汚染地で徹底した測定ができるようにするということを、保障しなくてはいけません。我々が5月下旬に行った時に先ほど申し上げたように1台しかなかったと言ったけれど、実際には米軍から20台の個人線量計がきていました。しかしその英文の解説書を市役所の教育委員会でわかんなくて、我々行って教えてあげて、実際に使い出して、初めて20個の測定ほうというのができるようになっている。これが現地の状況です。

そして先程から食品検査と言われていますが、ゲルマニウムカウンターというのでなしに、今日ではもっとイメージングベースの測定器が、はるかにたくさん半導体で開発されています。

なぜ政府はそれを全面的に応用してやろうとして、全国に作るためにお金を使わないのか!3カ月経ってそのようなことが全く行われていないことに、私は満身の怒りを表明します!

第二番目です。私の専門は、えー、いわゆる、小渕総理の時から、内閣の抗体薬品の責任者でして、今日では最先端研究支援ということで、30億円をかけて、抗体医薬品にアイソトープをつけて癌の治療にやる、すなわち人間の身体の中にアイソトープを打ち込むのが私の仕事ですから、内部被曝問題に関して、一番必死に研究しております。
そこで内部被曝がどのように起るかということを説明させていただきます。内部被曝というものの一番大きな問題は癌です。癌がなぜ起こるかというと、DNAの切断を行います。ただしご存知の通り、DNAというのは二重らせんですから、二重らせんの時は非常に安定的です。

それが細胞分裂するときは、二重らせんが1本になって2倍になり、4本になります。この過程のところがもの凄く危険です。そのために妊婦の胎児、それから幼い子供、成長期の増殖の盛んな細胞に対しては、放射線障害は非常な危険を持ちます。

さらに大人においても、増殖の盛んな細胞、例えば放射性物質を与えると、髪の毛、それから貧血、それから腸管上皮の、これらはいずれも増殖分裂の盛んな細胞でして、そういうところが、放射線障害のイロハになります。
(過去の放射線を浴びた原発作業員は髪の毛が抜けたり歯が抜け落ちたり倦怠感が抜けない、白血球の減少などの影響が出ている)

それで、私どもが内部に与えた場合に具体的に起こるので知っている事例を挙げます。これは実際には一つの遺伝子の変異では癌はおこりません。

・・・最初の放射線のヒットの起こったあとに、もう一個の別の要因で、癌の変異が起こるということ、これはドライバーミューテーションとか、パッセンジャーミューテーションとか、細かいことになりますが、それは、えーと、参考の文献を後ろにつけてありますので、それは後で、あの、チェルノブイリの場合や、セシウムの場合を挙げてありますので、それを見ていただきますが、まず一番有名なのはα線です。

プルトニウムを飲んでも大丈夫という東大教授がいるというのを聞いて、わたくしはびっくりしましたが、α線は最も危険な物質であります。それはトロトラスト肝障害というところで、わたくしども肝臓医は、すごくよく知っております。

要するに内部被曝というのは、さきほどから一般的に何ミリシーベルトという形で言われていますが、そういうものは全く意味がありません。I131(ヨウ素131)は甲状腺に集まります。トロトラストは肝臓に集まります。セシウムは尿管上皮、膀胱に集まります。これらの体内の集積点を見なければ全身をいくらホールボディスキャンやっても、まったく意味がありません。

トロトラストの場合の、このちょっと小さい数字なんで、大きいほうで後で見てほしいのですが(資料1の2枚目の右上のグラフ)、これは実際にトロトラストというのは造影剤でして、1890年からドイツで用いられ、1930年頃から日本でも用いられましたが、その後、20から30年経つと肝臓がんが、25%から30%に起こるということが分かってまいりました。最初のが出て来るまで20年というのが何故かと言うと、最初にこのトロトラストα線核種なのですが、α線は近隣の細胞を傷害します。その時に一番やられるのは、p53という遺伝子です(癌抑制遺伝子の一つ wiki)。
トロトラストによる放射線の晩発障害 (09-03-01-11) - ATOMICA -)

我々は今、ゲノム科学ということで人の遺伝子を全部配列を知っていますが、一人の人間と別の人間はだいたい三百万箇所違います。ですから人間を同じとしてやるような処理は今日ではまったく意味がありません。いわゆるパーソナライズドメディスン(個別化医療 米国例レポート)と言われるやり方で、放射線の内部障害を見るときにも、どの遺伝子がやられて、どういうふうな変化が起こっているかということをみることが、原則的な考え方として大事です。

トロトラストの場合は、第一段階ではp53遺伝子がやられて、それに続く第二、第三の変異が起こるのが20から30年後かかり、そこで肝臓癌や白血病が起こってくるということが証明されております。

次にヨウ素131、これはヨウ素はご存知のとおり、甲状腺に集まりますが、甲状腺への集積は、成長期の甲状腺形成期が、もっとも特徴的であり、小児に起こります。しかしながら1991年に最初、ウクライナの学者が甲状腺癌が多発しているという時に、日本やアメリカの研究者は、ネイチャー(科学雑誌)に、これは因果関係が分からないということを投稿しております。なぜそういったかというと1986年の以前のデータがないから統計学的に有意だということが言えないということです。

しかし統計学的に有意ということが分かったのは、先ほどもナガタキ先生からお話がありましたが、20年後です。20年後に何が分かったかというと、86年から起こったピークが消えたために、これは過去のデータがなくても因果関係があるということがエビデンスになった。いわゆる、ですから疫学的な証明というのは非常に難しくて、全部の事例が終わるまでだいたい証明できないです。

ですから今我々に求められている、子どもを守るという観点からはまったく違った方法が求められます。そこで今行われているのは、ここには国立のバイオアッセ―研究センターという化学物質の効果を見る、福島昭治先生という方が、ずっとチェルノブイリの尿路系に集まるものを検討されていまして、福島先生たちが、ウクライナの医師と相談して、集めて500例以上の、この、前立腺肥大のときに手術をしますと膀胱もとれてきます。これを見まして検索したところ、高濃度汚染地区、尿中に6ベクレルパーリッターと微量ですが、その地域ではp53の変異が非常に増えていて、しかも、その、増殖性の前癌状態、我々からみますと、p38というMAPキナーゼ(分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ)と、それからNFカッパーB(NF-κB)というシグナルが活性化されているんですが、それによる増殖性の膀胱炎というのが必発でありまして、かなりの率に、もう上皮内の癌ができているということが、報告されております。

それでこの量に愕然といたしましたのは、福島の母親の母乳から2から13ベクレル、7名で検出されているというがすでに報告されていることであります。次のページお願いします。我々アイソトープ総合センターでは、現在まで毎週700kmだいたい一回4人ずつの所員を派遣しまして、南相馬市の除染に協力しております。

南相馬でも起こっていることはまったくそうでして、20キロ、30キロという分け方がぜんぜん意味が無くて、その幼稚園ごとに測っていかないと全然ダメです。それで現在、20キロから30キロ圏内にバスをたてて、1700人の子どもが行っていますが、実際には、南相馬で中心地区は海側で、学校の7割は比較的線量は低いです。

ところが30キロ以遠の飯館村に近い方の学校にスクールバスで毎日100万円かけて、子どもが強制的に移動させられています。このような事態は一刻も早くやめさせてください。

今その一番の障害になっているのは、強制避難でないと、補償しないと、その参議院のこの前の委員会で当時の東電の清水社長と海江田経済産業大臣がそういう答弁を行っておりますが、これは分けて下さい!補償問題と、この線引の問題と、子どもの問題は、ただちに分けて下さい!子どもを守るために全力を尽くすことをぜひお願いします!

それからもう一つは現地でやっていますと、除染というのは、緊急避難的除染と恒久的除染をはっきりわけて考えていただきたい。緊急避難的除染を我々もかなりやっております。例えばここの図表にでております、この滑り台の下(資料1、3枚目)、滑り台の下はちっちゃい子が手をつくところですが、この滑り台に雨水がザーっと流れてきますと毎回濃縮します。右側と左側とずれがあって、片側に集まっていますと、平均線量1マイクロのところだと、10マイクロ以上の線量が出てきます。それで、こういうところの除染は緊急にどんどんやんなくてはいけません。

それから、こういう、様々なコケが生えているような雨どいの下、これも実際に子どもが手をついたりしているところなんですが、そういうところは、例えばですね、高圧洗浄機を持って行って、コケをはらうと、この2μシーベルトが0.5μシーベルトにまでなります。

・・・だけれども、0.5μシーベルト以下にするのは非常!に難しいです。それは建物すべて、樹木すべて、地域すべてが汚染されていますと、空間線量として、一か所だけを洗っても全体をやることは非常に難しいです。

ですから除染を本当にやるという時に、一体どれぐらいの問題がかかり、どれぐらいのコストがかかるかといことを、イタイイタイ病の一例であげますと、カドミウム汚染地域、だいたい3000ヘクタールなのですが、そのうち1500ヘクタールまで現在、除染の国費が8000億円投入されています。もしこの1000倍ということになれば一体どれほどの国費の投入が必要になるのか。

ですからわたくしは4つのことを緊急に提案したいと思います。第一番目に国策として、食品、土壌、水を、日本が持っているですね、最新鋭のイメージングやなんかを用いた機器を用いて、もう半導体のイメージ化が簡単です。イメージ化にして流れ作業にして、この、シャットしていって(封じ込めて)、やるということでの、最新鋭の機器を投入して、抜本的に改善してください。これは今の日本の科学技術力でまったく可能です。

二番目。緊急に子どもの被曝を減少させるために、新しい法律を制定してください。わたくしのやっている、現在やっているのは、すべて法律違反です。現在の障害防止法では、各施設で扱える放射線量、核種などは決められています。東大の27のいろいろなセンターを動員して現在南相馬などの支援を行っていますが、多くの施設はセシウム使用権限など得ていません!車で運搬するのも違反です!しかしながら、お母さんや先生たちに高線量のものを渡してくるわけにはいきませんから、今の東大の除染では、すべてのものをドラム缶に詰めて東京へもって帰ってきています。受け入れも法律違反、すべて法律違反です。このような状態を放置しているのは国会の責任であります!

全国には、例えば国立大学のアイソトープセンターというのは、ゲルマニウムをはじめ最新鋭の機種を持っているところはたくさんあります。そういうところが手足を縛られたままで、どうやって、国民の総力をあげて子どもを守れるでしょうか!これは国会の完全なる怠慢であります!

第三番目。国策として土壌汚染を除染する技術を、民間の力を結集して下さい。これは例えば東レだとかクリタだとか、様々な化学メーカー。千代田テクノルだとかアトックスというような放射線除去メーカー、それから、竹中工務店なんか、様々なところは、放射線の除染に対して様々なノウハウを持っています。

こういうものを結集して、現地にただちに除染研究センターを作って、実際に何十兆円という国費がかかるのを、今だと利権がらみの公共事業になりかねない危惧をわたくし凄くもっております!国の財政事情を考えたら、そんな余裕は一瞬もありません!どうやって除染を本当にやるか。七万人の人が、自宅を離れて彷徨っているときに国会は一体何をやっているのですか!!

以上です!!」

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07/29

Fri

2011

平野綾という声優のスキャンダル写真が流出したと騒いでいる人の反応が面白くずっと追っている。
私はこの人の声がいまいちピンと来ない・・・というか、最近見た最新アニメなんて映画を抜けばコードギアス以来ない。
そして私の世代なんて「聖闘士星矢」とか「北斗の拳」とか「ヤマト」とか「ガンダム」とか「マクロス」とか「ルパン三世」なので最近出てきた声優さんは「?」である。
ということでどこかで声聞けないかなと思ったらあった。

「涼宮ハルヒ」は角川がライトノベルの主戦力としていたので名前だけは知っていたが、あまりよく内容は知らない。
一緒に出ていた男の声優さんは「銀魂」の主役ということはわかった。
その「銀魂」の杉田智和と並ぶと、うーん・・・うーん。
声優としては今は彼女は上手い部類に入るのだろうか。
昔は力がはいっていて凄いものがあったけれど、今の声優さんはひょろひょろした感じがする。
声にね。

時折平野綾がタレント活動をしていることで、最近の声優さんは舞台もやるし歌も歌うし「マルチタレント」としての位置づけを目指そうとしている。
声優一本だけじゃなかなか食っていけない厳しい現実を反映している。
この流れは芸能事務所の財政状況・所属事務所の意向などを推測すると容易に理解できる流れではあるが、昔からの価値観やこれ一本でとかいう意識が強かったり、特にアニメなどのキャラが絡んでくると、本人の素行がそのままファンの「キャラを汚された」という意識に直結するため、昔の声優さんは顔を出すことを嫌った。

当然声優さんも「芸人」の世界と同じように名前も役もよくわからないような声優さんもいるし、そんな声優がゴロゴロしているにも関わらず、この世界を目指す新人がごまんといるのは、こちらの小説の世界とあまり変わらないだろうと思う。
つまり憧れや思いを塔のごとく積み上げては現実に打ち砕かれるという真実が待っていないこともないわけだ。

そういえば、子供の頃の自分はアニメのキャラだけを見ていて、そのアニメキャラの声を「声優」という存在がやっているなど微塵も考えなかった。
それだけ「キャラに近い演技」をしていたからだろうと今からみればわかるだろうが、子供はそんな「大人の事情」など考えないので、声優本人が出てきて喋っているのを見た時「うわあ、普通のおじさんだ」と少なからずショックを受けたことは覚えている。
しかしそんな思いもさすがに小学校低学年くらいまでだったが、その子供のような純真さを持ち続けているのがアニメファンなのかもしれないと思ったりするところがある。

正直に言って平野綾を見ていると、そこらへんにいる今時のお姉ちゃんと何ら変わらないところがあって、私などは驚きもしないのだけれど、アニメファンは子供のような純真さで声優を見ているので烈火のごとく怒るのだろう。
声優ではないのだが、昔付き合った女に手ひどい目にあい、素行を聞いているだけで吐き気をもよおし目がまわったことがある。
そう、そう言えばその時はまだ童貞で女性の体に触ったことはあっても、挿入はしたことがないという時でしたので、女性というものへの憧れが強いだけに現実の勝手気ままさに衝撃を受けたわけですな。
その時はさすがに殺意に近い憎しみすらも持ったものですが、ツイッターや掲示板をみていると今回の平野綾への熱心なファンたちの攻撃は当時の私の2乗3乗以上の憎しみでもって攻撃しているわけです。

それだけ積み上げてきた妄想の力が大きいだけに、裏切られた時の反動が凄いのですな。
さらによく考えてみると女性に対しての勝手な妄想を積み上げていた時は確かに童貞の頃が強くて、女性経験をしてしまうと、現実感が出てきて勝手な妄想はなかなかできなくなるわけです。
ある意味「何も経験していないからこそ突拍子もない現実離れした夢を大事にできる」ということで童貞力は強いわけです。
確かに創作の場面においても「そこに行っていない人・体験していない人」が名作を作った例はたくさんあるし、行っていないからこそ、強い憧れを膨らませることができ、豊かな感性を無限に膨らませることができるという側面もあります。
そして意外にも現地に行くと膨らませていた幻想が見事に打ち砕かれるという例はないわけじゃない。
これぞ、妄想の素晴らしさでもあり怖いところでもあります。

人間はこうして妄想することで自分の望んだものを積み上げて、自らの価値観に沿って美化していく性質を持っているのですな。
そして現実感を根底に置かないものは常に「浮世離れ」していくわけです。
「浮世」とはよく言ったもので「憂き世」とも書きます。
この「憂き世」とは「辛いこの世界」とか「無常の世の中」という考え方にも通じていくわけですが、まさに妄想の力とは、ある意味「辛い現世を一時でも忘れ去ろうとする癒しを求める力」と置き換えることもできないわけじゃない。
「憂き世離れした世界」の住人に求められがちなことは「辛い現実を忘れさせてくれる理想的な人・世界」だったりするわけです。
しかし何も「童貞」そのものが悪いわけじゃない。
別に童貞であろうとなかろうと、現実世界では自分の価値観ばかりを押し付ける人は子供の世界だろうと大人の世界だろうと嫌われるわけです。
正しい「童貞力」とは「孤高の力」でもあるわけですから、彼らと対等になるには同じくらいの「孤高の力」が求められるのかな、と思ったしだい。

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07/27

Wed

2011

電子「書籍」という「呪縛」

新しいテクノロジーが生まれた時、人はその道具といかに対峙すればよいのか迫られることは今に始まったことではない。
大昔であれば突拍子もない発明は人々の生活から置き去りにされ、長い年月を経て「既に~を発明していた者がいた!」と教科書に載るだろうが、ウェブテクノロジーも次々と進化している中、一体「テクノロジーとは何か」を自分たちの生活から見つめて、いまいち理解し切れていないのが日本の「出版業界」のようだ。

そもそも彼らは電子書籍と騒ぎ立てるが一向に昔のしがらみから、垢抜けて出ることはできない。
というのもあらゆる記事を読むにあたり彼ら業界人は「本」というものにこだわりすぎていることが見て取れる。
そもそも日本語の「電子書籍」という名前も既に間違いだったのではないかという気がしてこないまでもない。
つまり発想の方法があくまで「紙の本」と「電子の本」という対比でしか見ておらず、「電子書籍」を「コンテンツ」とか「ツール」という認識に改めることがないのだ。

これは「著作物に対する権利関係」、もっと言えば法律の事まで言わなければいけないだろうが、今回はそろそろ「電子書籍」を「紙の本」と比較すること事態が根本的な過ちであるということをハッキリ言いたい訳である。

当然現在電子書籍に関わろうとしている人たちは「かつて紙の本で育った人たち」だ。
だから「携帯でストーリーを読む」ということもないし、「青春時代の友達・恋人のやり取りを手の平サイズの端末で済ませる経験」もなかった。
だからこそ「離れているノスタルジックな時間」や「忍耐力」や「孤独な時間を思索に当てる」という豊かな時間を持っていた世代と、これからの世代は感覚がかけ離れている。
そして「古きよき時代を思い浮かべる世代」からは「若者にとって読書とは何か」という視点で新しいツールが語られることはない。
ここに落とし穴があるということにすらも気がつかない。

例えばこの記事を例に挙げよう。

電子書籍が紙に負ける5つのポイント(WIRED.jp)

ここには5つの理由が挙げられている。

1)読了へのプレッシャーがない。
2)購入した本を1カ所にまとめられない。
3)思考を助ける「余白への書き込み」ができない。
4)位置づけとしては使い捨てなのに、価格がそうなっていない。
5)インテリア・デザインにならない。

ぱっと見ただけでも「紙の本はこれだけ優れている」という点から電子書籍を見ているに過ぎないが、電子書籍を「コンテンツ」とか「ツール」だと思えば別にこの考えはどうでもよくなる。
そして感覚を携帯世代に合わせてみよう。

1、携帯世代には読了へのプレッシャーよりも、別の目的がある。
つまり一昔前に帯で流行ったが「泣ける」「感動」を入れると売れるなど、本は小説であろうと「目的別」によって売れていると見たほうがよい。
だからこそ自分が望んでいないものへの抵抗感が強く、また「目的」に沿って買っているということは既に「コミュニケーションツール」であって「感情の共有」が最終的な目的となっている。
「ビジネス書」を買いに来た人が「感動の純愛小説」なんてものには目もくれないのと一緒だ。
本屋での偶然の出会いを期待しているのは本に慣れ親しんだ玄人であって、年間5冊も読まない人は「偶然の出会い」よりも「目的のものがあって本を買う」ことが言える。

2、必要ない。
これはプログラムの問題であり、きちんと整理できるようにユーザーのニーズに応えればいいだけの話だ。
しかしだいたいプライベート端末、携帯の中に入っているデータと言えば「人にはおおっぴらには言えないもの」だったりする。
少し話がずれるが、私の男友達は携帯の中にいやらしい動画がたくさんストックしてあって、確実に「何が好きか」がハッキリとわかる。
その友達も同じで趣味の違いがハッキリわかったと言っていた。
日本の電子書籍市場のほとんどの内訳はBLとエロ漫画だったりするわけだし、個人の好みに沿ったものしか買っていかないわけだから、「一箇所にまとめる」のは「中への透明性がはっきりでる検索」などで充分だろう。
問題は書店とは違って中身が不透明であるため、買う前の問題が山積みとなっているわけで、買った後の問題などプログラムの問題でしかないということ。

3、もし必要だとすれば作ればいいだけの話だが、あまり必要だと思えない。
勉強するために余白を使う、文章を共有するために手書きのメモをアップロードできるようにする、などといった技術はこれから出てくるだろう。
その答えはソーシャルネットワーキングの会社やアップルらへんがやってくれるのではないか。
懸念するほどでもない。
私は逆に本に書き込みをするのが嫌いで、発想はすべて別の紙かパソコンなどに保存している。
というのも本に書き込みをすると、その時の発想でまた再度本を読んでしまい、新しい発想で本を読めなくなるからだ。
昔の人はよく本に書き込みをするが、今の世代が「書き込み」をするとしたら「他の人がどう考えているのか」という点を引き出したい目的が強いように思う。
これは本の内容によって違ってくるため、書き込みを必要とする勉強目的の本は今までの発送を買えて「コンテンツ・アプリケーション」として売り出す必要がある。
つまり、ゲームとして。
本の文章のままのコンテンツだとしても、例えばマーキング機能をつける。
ペンタッチ機能で線引きした場所が書籍内から取り出せ、メモを書ける。
また引用メモからの逆引き・関連検索などもできるようにする。
一語関連検索、ひとつの単語に反応してコンテンツ内の関連文章一挙閲覧など。
そうなれば「ツール」としての利便性は高くなる。

4、価格に関してはインターネットのコンテンツそのものが「無料化」に向かっているため、紙の本を売るように高い金を取ろうとすると、たちまち抵抗感が出てくることは否めない。
お金を払ってコンテンツを楽しむという発想すら薄れてくるだろうことも充分考えられる。
日本で一番現実的なのは「ファンサイト」のような「月額課金」がやりやすいのではないかと思うが、その仕組みをどうするかは一概には言えないので省く。
しかし今までの料金形態は確実に崩してまったく異次元の発想から新しい料金携帯を作る必要がある。
しかもユーザーが「お金を払っている」となるべく意識させない誘導の仕方が大変望ましい。

5、コンテンツは共有し、コミュニケーションツールとしての機能が強く、インテリアとしての機能は「コアなファン」以外は望まない。
つまり、どの業界でも「グッズ」を「インテリア」として扱っているのは「それが大好きな人」でしかない。
アニメであろうと音楽であろうと本であろうと、どんな業界でもグッズを「インテリア意識」にまで高めているのは、惚れ込んでいる人しかいないのだ。
あまり興味のない人にそんなものを望んでも拒否反応を起こすだけである。
つまらない音楽や本はさっさと捨ててしまうし、本当に好きだったら「探してまで買おうとする」ぐらいの熱意が湧き上がるものだ。
しかしそれは「グッズ」という機能を果たすものだけである。
「コンテンツ」となれば、目的は「趣味」と「感覚」の「共有」である。
「同じ事を思っている仲間がこれだけいる。楽しい」というコミュニティー空間を作るための「手段」なのである。
また自分の「楽しみ」を満たしてくれる「ツール」としての機能なのである。
だからこそ「グッズ機能」は「共有化」や「興奮・惚れ込み」の後に出てくる「コアなファン層」に望むべきであって、最初からコア向けの発想をしてはいけないのである。


いかがであろうか。
この5つだけとっても、これだけ「本」というものとはかけ離れていることがおわかりいただけると思う。
正直に言って「書籍」というネーミング自体が業界に呪いをかけ、その呪いの中で電子空間であろうとも「本」という幻想を見ているに過ぎないのだ。
「電子書籍」は本ではなく「コンテンツ」です。
日本の電子書籍の夜明けは、私の子供世代になりそうな予感はしている。

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07/26

Tue

2011

いえね、かゆくはなかったのですけど、足の皮がむけてくることがここ2,3年くらいあり、治りそうもないので足以外の皮膚の事も気になり行ってきましたのですよ。
皮膚科に。
足は左足のみなんですけどね。
それで前に友達にも言ったら「それって水虫だよ。移るよ。家族全員に迷惑かかるよ」とあたかもバイキンマンのように言うのでなんだか心配になり、色々話していたらその人もかつて水虫にかかったことがあり足に酢を浸して1時間くらいやって3ヶ月続ければ治った、というので今日やってみたのです。
黒酢で。
そしたらね、足から酢の臭いがする。
心なしか待合室で待っているときにも酢の臭いがする。
つけたのは左足だけなので、左足だけから。
皮膚科は平日なのに人多く席も全部埋まっている。
しかし周囲の人は「この人左足から酸っぱい臭いがしている」だなんて誰も思わない。
もう男の体から酸っぱい臭いがするっていうのは、もう「オヤジ臭」なわけですよ。
横に座っていた女性の方、席から4分の1ほどずれて遠ざかる。
これは臭っているんじゃないかと自らに疑いをかけたくなる。
「いやいや、まだそこまで俺の体臭はきつくないんだ、左足から酢の臭いがしているだけなんだ。酢に朝つけたから」
なんて言おうものなら、足の強烈な臭いを必死に誤魔化すためにまくし立てているようにしか見えないので、ひたすら黙っていました。
そして先生に見てもらう時、皮を採取して顕微鏡で見ますとのことでピンセット持って足に先生近づくわけですが、何もこちらから言ってないのに「酢使いました?」と突っ込まれ、「え、あ、はい。今日の朝使いました」と苦笑いしながら言うと「酢で水虫治るというのは俗説」とはっきりとおっしゃいましたよ。
えー!?
騙された?
俺友達に騙されたの?
え?じゃあ友達って水虫別の理由で治った?
と自分の事よりも人の事が気になっておりましたが、皮膚片を見てもらった結果「水虫です」と言われました。
左足だけ。
薬もらって「薬あげますから毎日一回塗ってください。2,3ヶ月で治りますから。酢使わなくていいですから」と先生ニヤリとする。
そっか、水虫って簡単に治せるんだね。
頑張ります。
というか、かつでその俗説を信じ何人ものつわものが酢の臭いを足からぷんぷんさせながら病院に来たんじゃないのか、とも思った。
今日は札幌も暑く、左足から酢の臭いを風に散らしながら颯爽と帰りましたよ。
夏だけに酢のさわやかな臭いが・・・ないない。
ということで、今日は左足から酢の臭いが一日中しています。
決してこれは「足の臭い」ではなくて「足につけた酢の臭い」ですから。

ちなみに同じ石鹸で水虫は移るかと聞いたら移りませんとのこと。
マットとかがダメなんだね。
菌が繁殖しやすいところ。

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07/25

Mon

2011

ファッション感覚で入れる人が最近いるようで、私の知っている友達も何人か入れている。
だけど刺青は消しても痕が残ることから「一生もの」である。
それで、だいたい安易に入れる人は「一生もの」っていうのが、どれくらいのことかわかっていない人が多いようだ。

というのも例えば20代、25ぐらいに入れたとして、20年ぐらいたち50近くになってきた時も、本当にそれが必要かと問われれば、どうやら揺らぐ人が結構いるらしく、結局は入れなければよかったなと後悔するらしい。
そりゃそうだろうな、とは思う。
若い時は肌が張っていて、見栄えもよいけれど、年をとってくればよほどの手入れをしていないと皮がたるんでくる。
見るに耐えないし、銭湯や温泉で50ぐらいの人が刺青入れて入っていくという将来の自分を少しでも想像したことがあるのかなと思ったりする。
自分が生きてきた2倍もの時間をさらに生きて、価値観が変わらないのだとしたらよっぽどの人だろうし、老人になっても残ってもよいだなんて若い頃は考えられないのだろうが、「一生もの」というのは簡単に考えているほど軽くはない。

昔は刺青はヤクザ者というイメージがあったが、「タトゥー」というカジュアル表現になり、デザインも綺麗なものが出てきただけに若気の至りで入れる人がいて、やっぱりその時は「アクセサリーを身につける」感覚でしかなく、万が一にも特定の何かを指し示すタトゥーなんて入れてしまい、一生それを背負えるかと言ったら、ほとんどNOの場合が多い。
その時は熱を入れて「一生~を大事にする」という誓いを天地天命にかけたりするが、一生っていうのは文字通り人生のすべてをかける、死ぬまでかける、ということなのだ。

50にもなって子供っぽいものを見せ付けられるのは、あまりいい気分ではないし、50にもなって大人になりきれていないとしたら、むしろ見ているほうが虚しさを感じる。
人間は長い時間生きていれば価値観は変わるものです。
人間は学ぶ生き物だから。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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