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あさかぜさんは見た

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04/08

Fri

2011

東電じゃない政府側で原発について説明している人

西山英彦さんという方らしい。
今まで一度も気にしたことがなかったが、この人の経歴を見ると法学修士だった。
つまりコテコテの文系やんけ、ってことで少し驚いたのですが、この人は「原子力安全保安院」でもなく「審議官」というポストの人なのですね。

ということは、この方は「公務員」として忠実に職務を行っているに過ぎないのですね。
専門家としての本音など一言も出てこないし、政府や東電側から伝えられた内容を一言一句間違いなく伝えるのが、この方の仕事。
この人が間違いを言っていたとしても責められるような立場には一切ないわけだ。

じゃあ原子力保安院の上の人や東電側の社長はどこにいったの?
原子力安全保安院は経済産業省の機関なのだから、事実上の支配関係は象徴の官僚トップということになりますわな。

いやー、しかしテレビって凄いよね。
毎日映像とか流されると、あたかも映っている人たちに責任があって、何かがあった時映っている人たちが悪いんじゃないかとか思っちゃうものね。
でも実際には映っている人たちなんて、ただの「捨て駒」に近い人たちだったり「都合よく利用されるべき立場の人」だったりもするわけだから、言い方は悪いけれど黒幕には国民感情的に責任追及がいかないように何重にもフィルタリングされているわけだ。

「隠された被爆労働〜日本の原発労働者」
1995年イギリス







この番組を見ると、すっと入ってくる部分がいくつかあって、少なくとも20年近く日本の中枢部の体質というのは一切変化することなく動いてきたのだなと漠然と察知することができる。
「腐っている」のではなく「何一つ変化などしていない」というのが厳密な表現になるだろう。
当然内部浄化もされないまま、ここまできたわけだ。

毎日のWEBでは東電が福島市町村9箇所に金額は公表していないが1億8千万ほどの見舞金を支払ったとされ、浪江町は2千万受け取り拒否(謝罪もなしに金だけとはどういうことか)ということらしい。
放射能被害は因果関係を証明できないだけに裁判も非常に苦しい。
札束口の中に詰め込んで黙らす手段が通じないと今度は裁判で落とす。
エネルギー政策は国家事業だからね。

蛇足だけど、日本の原発技術はエネルギー政策とは言うものの「隠れた核武装」を世界に知らしめるための技術だったのだということもわかった。
まあ、濃縮ができるのだから、普通に考えればそうだよね。
国民感情としてはもう原発ひとつで世界の信用を失っているのだから、これ以上は原発は受け入れられないけれど、日本は外交上のひとつの強力なカードとして「核技術放棄」は絶対に選択できないと思うんだけどな。

「思惑」は絶対国民には知らされないのだよね。
いつだって。
その「思惑」にいつまでも気がつかないで抵抗しない国民性っていうのもどうなんだろうと思うけれど。

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04/05

Tue

2011

東電?政府?原発対応

雑記。

正直なんだかよくわからなくなってきた。
ちょっとずつ放射線などの基準を変えていっているみたいだし、この一ヶ月の間でも細かな基準値の修正や、情報を制限しているのが良くわかる。

ところで、海流を調べてもすぐわかるけれど、福島からダダ漏れさせた放射性物質を含んだ水はカナダ、アメリカ、メキシコにまで行く。
最近ヨウ素ばかりの発表だけれど、セシウムはどこにいったの?原子炉でできるセシウム137の半減期は30年とちょっと、ということらしいしプルトニウム239に限っては2万4千年。
放射性ヨウ素だけが出て、セシウムは出ないのかな?本当に良くわからない。

少なくともいくら隠したとしてもカナダやアメリカでセシウム137が検出されれば世界的な国際問題になるし、日本は世界各国から莫大な保証金を請求される可能性もあるのでは?
特にセシウムが放出するγ(ガンマ)線は物質透過力が高く内部被曝すると大変危険だとブルーバックスの本に書いてあった。
さすがのアメリカもこれは怒るよ。

気になるのは誰が海に流していいかってことを決断したか。
内閣が東電と共同で対策室を作ったのではなかったのかな?だとすると菅直人首相が最終決断したのかな?
東電はいまだに福島の人たちに謝罪もせずに賠償金を払おうとして福島の人たちの感情を逆なでしているし、政府の対応も大雑把過ぎて海外からの不信感を買っている。

資金力のある企業は風評被害のコストを軽減するために壊れた工場を海外に移すだろうし、放射性物質のせいで数年以上は海外からの不信感をぬぐうことはできない。
ブランド力が落ちるということは、値段の競争力も落ちる。
今までのやり方なんて一切通用しなくなる。

怒りをもつ前に気持ち悪くなって吐き気がしてくるほど。
明らかに東電の災害対応が悪いのに、どうして公的資金投入の可能性まで示唆させなきゃいけないのだろう。
福島の人は日本国にこれから絶対税金払わなくなるよ。
それだけ聞くだけでもはらわたが煮えくりかえってくるのは他人である私でもよくわかる。

ただひとつだけわかるのは、今の日本の政府や東電の状態は地震によって暴き出された真実の姿なのだってことだけ。
毎日落ち着かないよ、本当に。


P.S.
よい生地を見つけました。
英語圏の総合科学誌「ネイチャー」の福島原発事故Q&Aの日本語訳

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04/01

Fri

2011

多くの人間が望むことは実現し、多くの人間が意識もしないことは実現し得ない。
光の波長のように確立として実現可能性の高いものは、多くの人間の祈りが込められているか、無意識に望んでいることなのではないのか。

またこの世界は「人間」というひとつの「観測システム」を通して観測されている。
人間という観測システム以外のもので世界を観測した時、別のものであることは人間には観測し得ない。

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04/01

Fri

2011

精神の調子が良い時、素直にいろんなものが入ってくる。
悪いものも良いものも分別されず素直に入ってくるので、頭の中がぼんやりした状態で、互いにぶつかりもせず干渉しあう。
これは個人的な感覚だから説明するのは難しい。

この記事はメモ書きとして使おうと思う。
箇条書きに近いものもあるので人に読ませるものでもなのだが。

妙なイメージが見える。
最初は躍起になって動いて人を励ましていた人が、やがて関心が薄れ忘れたようになって行く姿。

人の考えは確証的なものが得られないだけに、何もかもが正しい。
ただし、決定していないどの考えにも反論は加えられるので、どれも間違っている。
つまり未来へ実証的に動いていくか、それともデータによる法則性を提示するか、になる。

希望は「バタフライエフェクト」で、つまり「蝶の羽ばたきが、地球のあちら側の台風を起こす」という理論に基づくが、その反対も言える。
たいがい「覚悟のない希望」を唱える人間ほど非常時に逃げ出すものだ。

「私は自分を貶めても平気だし、自分の底を知っているからいくらでも這い上がれるまでの期間を予測できる。でもあなたは違うみたい。必死につくろって今たっている位置を保とうとしている。あなたと私の間にはそれだけの決定的な佐がある。今のあなたには私を見抜くことができない」

世の中には自分のことを相手に出す時に歪んだ形でしか出せない人がいる。
俺もそうだよ。
思い返せば、家庭内に会話というものがあふれていたら、俺はわざわざ自分の気持ちを文字にするまでもなかった。
人一倍認められたいとか、認められないゆえの歪んだ他人への恨みとか、典型的な日本人の閉鎖的な発想が、強烈なアレルギー反応として体に染み付いている。

たいてい人は自分自身への矛盾や盲点が、そのまま他人への盲点になる。
自分のことを知らない人間は他人に自分を押し付ける。
なぜか。
それは自分の中の矛盾や盲点から起こる強烈なフラストレーションを他人で実証したいという欲求があるから。
矛盾の解消を実証によって補おうとする。常に。
自覚しているならまだかわいいが、自覚していない人間は話し合うに値しない。

そう、だから自分は友達を失う。
人の矛盾なんて暴くことはない。そっとしておけば幸せに過ごせるじゃないか。
ある意味身も蓋もない考えでは、人から賛同されないのは当然のことなのだ。
もっと認めてあげればいいのに。

よく考え、よく物事を見ている人は観点が鋭い。
年は一切関係ないということがわかった。
年配でも自分を誤魔化し続けている人はいる。

希望も絶望も同時に語る。
それは現実だろ。
希望は「実践」において重要。
だが他人に説くものでもないと思う。
希望は語るものじゃなくて見せていくものだ。
そして魅せられた人が希望を実践していく。

東京というのは情報に操られる都市なんだな。
だから希望的な情報も「価値」となる。
絶望的な情報も吸収される。
だから現実と脳内仮想を両立した一種の情報都市になっている。
資本主義社会に生きていて、毎日その社会を維持させるために働いて金を回しているのに「自粛ムード」が流行るのは、どういうことだろう。
経済学を学んだことのない私でも金は血で、血が回らなくなると体そのものの組織が死んでいく、という理屈を知っているよ。
自粛したからって何の助けにもならないばかりか、逆に個人も他人も苦しめることになる。
この矛盾を解消するために他人にも「自粛」を促すことで生まれる矛盾を解消しようとする。
きっと「働く」ということも、とても個人的なところに理由があるせいだろう。
東京人などの都市人間は「公共性」を「社会を通して」ではなく「社会を構成している私個人を通して」見ている。
その典型例が巨大組織のトップに見られるような(目立つからよく見えるのだろう)、へんちょこりんなやつなんじゃないだろうか。
「私個人」で「社会」を見ているから、不安も恐怖も簡単に伝染していく。
「システム依存」が酷くて、ひとつシステムが狂うと都市機能も、中に生きている人間そのものも混乱していく。
実際脆いとは薄々わかっていても、目の当たりにするまで信じられないのは、結局自分にとって都合の良い情報を集めて暮らせる「半仮想地域」だからなのではないのか。

いや、これからの時代現実から遮断されればいつだって「半仮想地帯」に陥る可能性がある。
きっと箱の中から箱を見るのと箱の外から箱を覗き見るのでは感覚が違うだろう。

日本はこれからよりコンパクトな地域づくりをしていかないといけなくなる。
抑制ではなく「最適化」の方向へ向かっていく。
贅肉をそぎ落として筋肉をつけるにはどうすればよいのかの都市づくりをしなければ、また同じところに戻る。
そういうのは、もう東北の人たちは望まないはずだ。
西と東で日本は大きく変わるような気がする。

英語は来年から、と思っていたけれど、もうちょっと早めなければいけなくなった。
外貨を獲得する方向にシフトしないと自分も生き残れない。
日本語ももっと叩き込まないといけない。
今年はまず当初の計画を通しながらスピードを速めないと。
文学賞狙いの文章とか。

賞金が入れば現地入りもできるから。

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03/28

Mon

2011

 口の中にまで錆びた鉄の苦味が染み渡っていきそうな気分だった。
 これから一体どうすればいい。
 目の前に広がる瓦礫を見ながら感情すら抜け落ちた理性がぼんやりとここに立っているようだった。
 昨日まであった物が一瞬にして瓦礫になる。
 昨日までいた仲間が見つからなくなった。
 津波の後の瓦礫の鉄はわずか一週間も経たないうちに錆びだしている。
 奥歯で錆びた鉄の粉を噛むように、ギジャリと妙な音を立てそうだ。
 張り詰めすぎた悲しみが麻痺した感情の中で膨らんで破裂することがない。
 自分の人生は今まで一体なんだったのか。
 すべてが消え去り、何も残らなかった。家族さえも。
 たった一人残されて、どうすれば。死のうにも死ぬ場所すらも残されていないほど、すべてが死にあふれている。
 生存していくことすら無意味に思えてくる。
 冷たい雪が頬をかすめても、冷たいとさえも思わない。
 これが、現実かと、長い夢の中に引き込まれて二度と出られなくなったかのような気持ちでいた。
 家を探す。
 誰かと一緒にいても映像を見ているような、非現実感にたまらず家を探そうと思い立った。
 家。家だ。家はどこだ。
 瓦礫の中を歩く。嗅いだことのない朽ちた臭いが満ちている。人さえも見えない広大な瓦礫の凹凸をちっぽけな人間が放心しながら歩く。脳裏には家があるのだと強く信じて。
 大量の流木や積み重なった車や泥まみれの布や靴や海水のたまった場所がたくさんあり、ぬかるんでいる。足を取られながら目指す。
 家。家を。家はどこだ。
 息が切れる。自分は生きているのだろうか。まるで体が別人のもののようだ。
 足を取られているのは自分か。この瓦礫はなんだ。
 目印になるものが一切なくなった。どこを歩いているのかもわからない。
 壊れて積み重なった家屋の二階の屋根に登る。一階は流されてどこかもわからない。
 どれほど歩いたのか、どれだけ進んだのかもわからず振り返ると、それほど進んでいないことに気がつく。
 ため息と共に疲れがどっと出るようだった。
 海はずっと向こう側だ。むき出しの鉄骨になった三階建ての建物が見える。
 あれはきっと役所だった建物に違いない。前は周囲に建物があって自分の家からは見えなかったが、今は目印のように瓦礫の上にぽつんと骨組みだけ残し建っている。
 方角と距離感をじっと役所を見ながら想像する。自分の家があったのはここら辺なのではないかと足元を満遍なく見る。
 泥の中の水溜りが揺れる。太陽の光が反射したように思った水溜りの中に何かが見える。
 水溜りを覗き込むと自分の顔が映っていないことに気がついた。手をかざしても手は映らない。
 訝しがりながらも水溜りの奥を覗こうと顔を近づけると花の匂いがした。
 すっと息を吸い込むと花の香りが肺を満たしていくようで、生の純水がひび割れた地に流れ込んでいくような気持ちになり目を閉じて花の咲いている野を思い浮かべた。
 目を開けると水溜りの中に三輪の赤い花が映っていた。
 水溜りの中に手を伸ばしていくと手は水溜りの中に入り映っている花へと届いた。大きな花の両方に小さな花が二輪咲いている。
 その花を喉の震える体でめいいっぱい撫でた。傷つけないように、触れすぎないように。
 ぐっと息を強く呑み込み、水溜りから手を引く。涙がボタボタと落ちだして水溜りに落ちて自分の顔を映す。波紋は何度も顔を歪めている。
 不思議と花の匂いだけは体を満たしていた。何もかも流れ落ちた体の中に花の香りが満ちて、ただ一点の生を形作ろうとしている。
 空を見上げて呼吸をする。瓦礫の臭いがもうしなくなっている。
 涙を両方の手の甲で拭って地に払う。
 瓦礫の山を歩き出す。元にいた場所に戻るために。人のいる場所へ戻るために。
 花の匂いはいつまでも脳裏に満ちていた。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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