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あさかぜさんは見た

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11/26

Tue

2024

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12/26

Fri

2008

ふぞろいの林檎たち ~本当の林檎の話です~

ドラマの話じゃありませんよ。
本当の林檎の話です。
おばあちゃんに農家の親戚がおりまして、りんごやみかんを送ってきておりました。
おばあちゃん一人では食べきれないので、いくつか母親がもらってきていたのですが、並べてある林檎をよく見てみると、ふぞろいで形も色々あります。

もし、これがスーパーなどで並んでいると、「同じ値段なのに大きさも形も違うのはおかしい」と、あたかも「不自然さ」を強調するのですが、よく考えてみれば形も大きさも違うのが自然そのものの姿なのであり、形や大きさが揃っているというのは、ある意味「異常」なのです。

例えば、化学調味料のきつい味に慣れていて、天然の調味料で味付けしたものを「味が薄いし、おいしくないよね」というのも「異常」な話なのです。

私もふと気がついて、ぞっとしたのですが、我々の生活は「異常なものを正常なものとして受け入れる生活」をしております。
我々は自然界に存在し得ないものを次々と作り出しては、我々の王国を作り上げています。
その王国の中では、不自然で人工的なものが「自然」で、当たり前すぎる自然的なことが「不自然」、もしくは「不可解」なものとして、思考からも物理的にも排除して「自然の状態」に近づこうとします。

これではまるで逆さまで鏡のような世界です。
異常な生活を日常と呼び、自然なことを排除できないと不自然と呼ぶ。
売ってもらっているのに買ってやっていると言う。
金払ってるんだから。
金。
現代至上主義における人間の精神の行き着く先なんて、よく考えれば容易に考えられることでした。
金という価値基準で物事を数値化していけば、人間の精神だっておかしな方向へ行くのは目に見えていた。
やれ不平等だ、やれ損した、傲慢が支配して金に対する気持ちも腐りきるのはわかりきっていたこと。

自然というのはふぞろい。
我々は自然なものを受け入れられなくなってきている。
異常なものを正常と思い出して、本来の正常なものがなにかもわからなくなってきている。
末期でしょう。

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12/20

Sat

2008

飽食の中にある。
怠惰の中にある。

欲望が平然と満たされる環境があると、自分はだらけていくものらしい。

人は常に傲慢に打ちのめされる。
自分もまた、自分の中の弱いものに負けていく。

自分の戦い方は逆らいもせず、従いもせず、大きな流れを自分の力に変えて、さらに何倍もの力へと増幅させ、動かす。

己の精神力がこの程度では、ちゃんちゃらおかしい。

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12/10

Wed

2008



同じ立場になって、始めてわかったことがある。
私から、一言付け加えるとしたら映画の最後の点にある。
カポーティの崩壊は、死刑にあったのではない。
まだその時点では、再生する可能性は寸分でもあった。
しかし、その寸分の再生すらも奪った一番の原因は、
「冷血」が名声と富を限りなく吸い上げてカポーティに与えたという点にある。
作家の苦悩は、本当に人間に向き合った後、作品を書いた後、その何倍ものことが作者に降りかかる。
その苦悩は、想像に絶する。
でも、今私は、その端だけ、なぜカポーティが崩壊したか、その切れ端だけ、理解できるようになった。
「金脈」…欲望には殺されなかった。
純粋な精神ゆえに、死んでいった。

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12/06

Sat

2008

「小説家が人間を書くとき、当然その人間よりも深い苦悩を背負わなければなりません。そしてようやくその人間を見下しも美化もせず、真正面から受け止めることができるのです。本物の小説家であるためには、誰よりも死に隣接した場所にいなければなりません。苦悩の奥底から、人を下から支えるのです。それが作品に対しての最大の優しさとなり、人を受け止める大きな器となり得るのです。そして苦悩の分こそ、作品の人間味や抑揚となって充分に表現されてくるのです」

「小説家の能力とは、気づく能力ではなく、気がつかされる能力なのです。むしろこの後者の能力のほうがずっと大事です。人あっての小説。その人を無視するような投げやりなものは、もはやモノでしかないのです。それは小説としての意味も意義もない、ただのモノです。ですからガラクタに成り下がって忘れ去られるのです。小説家は幸運です。与えられたものすべてに感謝でき、そして生かしていくことができる。私は人間と向き合うことができて幸せです。己をしっかりとぶつけてくる、その語りかけに、向き合う幸福があるのですから」

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12/04

Thu

2008

誰も幸せにしない人

数字のために、人間を数値化し、そしてその基準から不利益をもたらすものを切るわけです。
これは単純な算数ともいえるような理屈で、我々はそこに準じているわけです。
このようなシステムの中で我々は生きて、そしてそこに身を捧げさせるために、あらゆる理屈を生み出してきたとさえ私には思えるのです。
そんなシステム社会の中で生きる我々に、どのようなぬくもりや希望がそこから生まれてくるというのでしょう。
私には理解することができませんでした。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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