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あさかぜさんは見た

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11/23

Sat

2024

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06/14

Thu

2018

疑心暗鬼の種は摘み取るべし

一度「疑心暗鬼の種」を自分の中に植え付けてしまうと、努力して自ら摘み取らない限り、それは育ち続けてしまう。
よく中国の戦国物や、日本でも毛利元就の大河ドラマ等で疑心暗鬼の計は見たけれど、古今東西、人間の疑心を利用して滅ぼしていく例は後を絶たない。
だが、わりと現代にいたっては「疑心暗鬼」は「自滅の一手」しか残らない。
ただ、人間を信用するということは、全面的に無防備になることと同一視する人がたまにいるが、そうではない。
出来る限りの守りは固めておく。
これは当たり前のことなのだ。
僕は事前に「目の前の人が悪意を起こしても、そうできない環境を整えておく」のも「優しさ」だと考えている。
疑うことは失礼と考える人も中にはいるようだが、僕はつま先から頭の先まで善で成り立っている人間なんていないと思っている。
誰だって弱い。表現していないだけで。
僕はその人間の弱さを小説に書いたりする。自分でも堂々と出す。
こういう人間がいて当たり前なんだと体現している。
人を疑っている時、その疑心のほとんどは自らの体験からきている。
裏切られた経験のない人間は、その情報すら取り入れていない人間は、人を疑うことを知らないからだ。
つまり、他者に対する疑念は自らの底に沈んでいる人間への恐怖心を表出したに過ぎない。
もっと言えば「疑念」は「自己像」とも言っていい。
何故、この種を摘み取っていかなければいけないのか。
人に対する見方というのは養われていく。
使えば使うほどスキルアップしていくというわけだ。
何もスキルアップはプラスの面だけで伸びていくわけではない。
マイナスの面でも伸びていく。
人を悪く見る。
このスキルは使えば使うほど上達していって、悪い面から人を見るようになるし、疑念は使えば使うほど人を信用できなくなる。
マイナスのスキルを上げれば上げるほど、人生長い目で見ると、自ら培ったマイナスを引き寄せていく。
不思議とその手の仲間も増えていく。
仲間の輪が不安で強化され、その結束から心がよりマイナス面で強化される。
プラスに転化することが難しくなってくる。
人の心とは不思議なのだ。
見ていないつもりでも、無意識が反応する。
どんなに知識があろうと今まで見てきた人間では例外がなかった。
だから起こりもしていないことに不安や疑念を起こすことに、最も自分が警戒しなければいけない。

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03/06

Tue

2018

硬直化する組織

この時期になるとやってしまう風邪。
今回は久しぶりにがっつり引いてしまい、仕事も休むことに。
飲食店に働いていると
社畜ミュージアム
https://www.youtube.com/watch?v=V35knsZr2GM
に出てくるような人によく出会う。
特に連勤自慢とか、寝てない自慢とか、よくある。
具合悪いとか、そういうのを言うと「仕事来て働きながら治した」とか、「それくらい大丈夫」とか必ず言われる。
特にシフトに穴をあけると代えがいないため、本当にそのまま人が欠けるという事態になる。ギリギリでやっているため、現場は相当しんどくなる。
冷静によく考えてみると、例えば体力的にあまり強くない人は残れないから、当然残った人の理屈がまかり通ることになるし、周囲もそんな具合だから職場の理屈は普通にマッチョ思想になってくる。
別に飲食じゃなくても、今ある「俺の時代はこうだった」「周りもこうだから」みたいな理屈は、劣悪な環境であればあるほど最後には、その劣悪さに耐えられる人しか残っておらず、その理屈を当然として言うとなると「社会悪」を公然と述べて見下すという、本人さえも気が付かないような害悪をまき散らしている結果になり、若者が煙たがるのも当たり前の話ということになる。
むしろ会社にとって最悪「不正をしなければ利益が得られない」という状態にまで落ち込み、会社は「不正を隠すための事務処理」を下に押し付け、現場は呪いの言葉を吐きながら仕事をするという人間の生活としては最悪の状態を過ごさなければならず、そこまでガチガチのプレッシャー状態に落ち込むとDVを受けている女性と同じ心理になったりする。
つまり「自分がいなければこの人はダメになってしまう」「ここから抜け出しても自分の新しい生活が想像できない」「ダメなところばかりじゃないし、いいところも少しはあるから」など、似通ったところがたくさんある。
特に心理プレッシャーが強いと一種の恐怖状態に陥るから、そのせいで心理的な硬直が強くなるのかなとも。
これからの時代働き手が少なくなるため、いかにクリエイティブな組織を作り上げるかが大事になると感じているし、特に人はいくらでもいるという理屈は通用しなくなり、いかに辞めさせないで育てるかが重要になってくる。
今までは「お客様に価値あるものを提供する」が当たり前だったけれど、これからの時代は「働いてくれる人にどれだけ付加価値を与えて育てるか」に重きを置いて「価値あるものを提供する」かが問われてくると僕は考えている。
だからこそ日本型の働き方の考えは崩壊する・・・というよりも崩壊を止めるためのマッチョ思想がどこからともなく湧き上がるだろうし、新しい組織づくりができずに硬直化したままの思想で誰かにつぶされるまでやるんだろうなと思っている。
会社に対して嘆きや恨み節を吐くくらいなら、自分でやった方がいい。
結局もう会社は人生を保証してくれなくなった。
いつ潰れるかわからない。激しい時代の移り変わりの中で硬直した組織では、おそらく対応できない。何故なら一番最初に書いた理由で「ダメなものは残り続ける」から。
なんとまあ、うっすらわかってきちゃうと、早く離れないとなと思うけど、またこれもね、生活があるから遅いペースでしかできないっていうね。
悲しい。

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02/20

Tue

2018

人格の形成と多重化

また主人格の他に人格を持っていた人間と出会った。
まだ三人しか出会ったことがないが、共通していることがある。
やはり、人生の中どこかで見聞きしたか、自らの中に作りこんだ想像上の人物(こんな人間になれたら楽なのに等)、主を補う形で反対のものが出てくる。
主人格が性格上できないことを他の人格で補う形だろうか。
それ以上の人格になると抑えつけている感情によって形成される人格が違い、分裂した人格をまとめるマスター人格が形成される。
マスターとなっている人格は他の分裂した人格たちと会話をすることができるが、その他の人格たちはやり取りすることができないことが多い。
もちろんこのことは主人格は知らない。
そして親となる存在からの物理的ないし精神的虐待からの大きなトラウマを抱えているということ。
トラウマ、ようは精神的抑圧やショックが大きく、かつ多ければ多いほど人格は増えていくということ。
マスターは他の人格の様子を知っているから突然現れても、どこにいるかわかるが、他のものは主人格の記憶から大きく断裂されていることが多いため、どこにいるのか把握していないことがあること。
主人格との記憶の断裂の深さはトラウマと精神的抑圧の程度に比例しているということ。
分裂か、もしくは演技か、というのは以前海外の死刑囚が取り調べの際に「どの人格が出ても当人が必ずやる癖が出る」ことで見抜いた例がある。
つまり分裂した人格は癖も言動も趣味も違うし、主人格と重なるところは少ない。
主人格は運転が上手いのに、分裂した人間は下手なことは珍しいことではない。
私の対処法としては催眠をかけていく手もあったけれど、まず当人の話をじっくりと聞くことだった。
今まで精神の底に沈んでおり、昇華されずに存在していたという事実は、それだけ主人格が何かに対して精神的な抑圧を感じさせられているか、しているか、だからだ。

精神の形成は突然されていくわけではない。
特に小さな子供は性格はあるが、考え方や価値観の移行が起こりやすく、また芯となる精神の背骨のようなものはあっても周囲の肉付けまでは完ぺきではない。
例えて言うなら外皮が柔らかく、多様な価値観を知らないので、信じてきてかき集めた精神の大事なものに衝撃を受けると、そのまま卵のように壊れてしまうということだろうか。
私の知っている三人の人たちの親は皆外面はとてもいいのだが、家族間になると豹変することが多かった。
多くは「親の気に入らないことをしたため、何かの過剰な罰を与える」という名目で暴力や精神的な攻撃をする。
あとは家庭環境の複雑さや性的な虐待も含まれる。

私たちは人を見る時、自然と相手を「こういう人物だ」と決めつけ、自らの価値観を中心にして相手の評価をする。
人間がバイアスをかけること(色眼鏡)は人間の心の性質上避けられない。
だが「人格」とはなんだろう。
分裂した人格たちは用がなくなれば消えていく。
主人格が精神的に抑圧されるものがなく、自由に自分を表現できれば、分裂した彼ら彼女らに頼ることはないのだ。
私たちだって極めて曖昧なものにしがみついている。
記憶と経験という曖昧な価値基準を軸にして人格を形成しようとしている。
生まれた時から不思議と癖がある。
恐らく生まれ持った癖のようなものを土台にして、そこから骨組みが出来上がっていくのだろう。
あとは、環境と人。
育ての親の影響は強く、大人になっても自制心が働かず、独善的で、価値基準が感情的で行動もフラストレーションにまかせたまま突発的に行われる、そんな親が多い。
そしてその親の親も「躾」と称するなどして似たようなことをしている場合が多い。
ほぼすべて、「箱庭」のような状態の中で子供は精神的な抑圧状態を受ける。
もし誰か気が付き助ける人や親戚付き合い近所付き合いが活発ならば「箱庭」は崩れ去っているはずなのだから。
ようは人格の形成とは大きな流れの中にあるとも言える。

便利になってくると、より細分化されたコミュニティが形成されてくる。
大人になると趣味で繋がることが多いだろうが、子供の頃は「似たような環境」「感情」等「同調」によって繋がることが多い。
コミュニティは成熟してくると排他性が強まる性質がある。
つまり便利になればなるほど細分化され成熟したコミュニティに新規の人間が入りづらくなるという性質が強まるため、排他性の性質を常に崩し続けなければ、細分化したものが、どんどん孤立していくことになる。
言うなれば「身内同士」だけで物事は成り立ち、他者の介入をしづらくし、価値観の閉塞化を招く。

人格の分裂を防ぐものは、今まで環境や人によって植え付けられた「価値観の閉塞」を崩し、ただじっくりと話を受け入れて彼らの心の奥底まで掘り下げていくことが重要になる。
昇華を促すのだ。
その際、一切否定語を使わないということ、相手の価値観に疑問を持たないということ、精神の深いレベルまで入った時、自らの独善的な価値観を相手に植え付けないことが絶対条件になる。
そのためには接する人間が広い見識を持つために様々なものを、ひとつの価値として存在していることを認めていかないといけない。

普通に暮らしていて多重人格の人間に出会うことは少ないだろうけれど、もし誰かが「人が違ったようになっている」「その間の記憶が抜け落ちている」の2点が揃ったら、無理に接することなく、やんわりと専門医に任せることを強くお勧めする。

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02/17

Sat

2018

やめていく人が多い中で

情熱を持ち続けることはとても難しいことらしい。文章をやっていて周囲を見ていても思うし、別の世界でも同じだ。熱が冷めてしまったとか、忙しいからもうできないとか、見返りがないから絶望に近い気持ちで嫌になるとか。
自分はどうして続けているのかを問われれば、「客観的に見て才能が感じれる」ということと「アイディアがまだ浮かんでくるから」ということと「この分野でしか本当の自分は出せないから」からだろうか。
やめられるものならやめてしまいたい。
面倒だし、懸命に作ったほど反響が薄いと感じているし、でもきっとやめる時は死んだ時だ。
皆情熱をもって続けているのだろうか。
僕はただ一生の中で最高に満足する瞬間を作りたいだけなんだ。
その瞬間を味わうことこそ魂の至高。
美味いものを食いたい。
そんなグルメの嗜好に似ているかもしれない。

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02/09

Fri

2018

クリエーターギルド「ZeroKelvin」

昔バーで歌い終わった時「いい声だね。あんた、親に感謝しなよ」と見知らぬ女に言われた。
声に関しては自分でどうにかするのは限界がある。
遺伝子あるのみで、声質だけは天が与えたものに他ならない。
もし、小説という範囲だけにこだわっていたら気がつかなかった別の大きな道が、今自分の前に広がっている。
シナリオ、そして演技。
面白いことに声を出すと小説を書くよりも人が強く集まってくる。
知らない人から沢山好きだと言われ告白もされる。
不思議な世界だけれど、そんな今まで接したこともないような世界もあるのだと知る。
未だにこの世界のことをあまり理解していない。
なんせ声優の世界はアニメのキャラと直結しているし、個人の好みによるところが大きい。
それでも一度価値を感じてもらえると、ずっと居てくれるくらい根強いコミュニティができる。
電子書籍が出始めてから様々な論が出てきた。
でも本から伸びゆく世界の話をする人間はいなかった。
今僕は小説からシナリオに形を崩すことを覚え、演技もやりはじめている。
そしてゲーム、音楽、映像、プログラム、コスプレ、ダンス、絵、映像とチームを組んでやり始めることを少しずつ学んでいる。
誰も誰一人として僕が考える世界観の先を話す人はいなかった。
皆本を本の中に閉じ込めたまま籠の中から出さなかった。
当たり前の話だ。
飛ぶ鳥は皆恐い。
解き放ったら、自分のものではなくなるし、どこへ飛んでいくのかわからないのだから。
逆から言うならば、未来を語れる人間が何故少ないのかというと「自らに制御可能な籠の中の鳥」の話しかしないからだ。
実際、この「飛ぶ鳥」にやられる人が多い。
ほとんどの人間が創造力の限界を迎えるのは、自分の手を離れて、自らをも飲み込むような巨大な怪物になればいい、という発想をしないからなのだ。
もう古典SFの方が未来を学べる。
その世界が目と鼻の先に。
だからこそ、大きな、大きすぎるほどのスケールで物事を語らないと、追い付かないほど変化の波は激しくなっている。
既存のモデルケースを自ら破壊できる人間でなければならないし、自分というアイデンティティーさえも壊さなきゃいけないときも来るかもしれない。
そのような作業は誰にでもできるはずなのだ。
だけれど言葉で知るほど人間は「無知の知」を知らない。
新しい領域は全てが攻めの姿勢でなければ学べない。
もう、概念はAIが作れるとしたら、いや作れるのだから、人間が出来うる本物の芸術活動とはなにか。
人類の芸術家は、その議論から始めなければいけない段階まで来ている。
既存のものは基礎にはなっても未来にはなり得ない。
私たちは「ZeroKelvin」絶対零度。
人を動かす熱量まで高められなければ、原子の活動は止まるのだという戒めを持つ団体。
皆参加すればいい。
生活するには最も無駄と思われる「芸術」という分野で志を持ちたいのならば、ぜひとも集って我らが世界の感性の中心にならんことを目指そうではないか。
芸術家は既存の概念と常に戦わなければならないのだから。
己の才能の可能性に愚かしいほどの自負をもって時にはピエロになり笑いを与え、時には恨まれ、そして時には誰かの心をそっと気がつかぬように和らげ癒すのだ。
集え、集え!
我らはクリエーターギルド。
「ZeroKelvin」

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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