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あさかぜさんは見た

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11/23

Sat

2024

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11/04

Sat

2017

忙殺される日々


ここ一ヶ月、突然支笏湖まで月を見に行ったり、


富良野・美瑛方面へ出かけていって十勝岳で雪に見舞われたり、


夏あたりに見た青い池で、今度は紅葉も含めて見てみたり、


四季彩の丘で花を楽しんだり、


ラーメンスープの研究たまにしたりしてました。


忙殺というよりも、仕事の合間を縫って弾丸スケジュール組んで疲れ果ててたという感じ。
一つだけ印象深く残っていることがあり、美瑛に新星館という須田剋太・島岡達三美術館があって、終わり際に寄ろうかと思いきや開いておらず、帰る途中で庭にいたおじさんに「待ってください。ぜひ見ていってくださいお願いします」と声をかけられたのが館長で、そこから長々と詳しく説明してくださりながら館内を巡ったのだけれど、あの時何故「お願いします」と言ったのか、その「お願いします」が物凄く自分の中で引っかかっていて、忘れられないでいる。
須田剋田と司馬遼太郎、そして館長の大島墉(よう)。
少なくとも館長の大島さんは美術的価値を見抜く才能がある。
須田剋田に感じて絵を見たけれど最初はわからなかった。
説明されても「うーん」という微妙な印象でしかなく、下手のような印象があって、形も変だし崩れている感触がある。それは絵の中に描かれているものを一つの形として見ようとしていた。しかし、司馬遼太郎の文章の中に「抽象画」という言葉があり、自らの中で形に対する意味を分解してみると、すっと理解できるところが出てくる。
意味に縛られていた自分を解放するというか、途中で後藤純男の日本画も見ていたから余計に形から意味を形成しようとしていて、そうじゃないのだと頭の中に言い聞かせるには結構な時間が経ってからだった。
大島さんのことを小説にしたら売れると本人が言っていたので、相当面白い人生なのだろうけれど、大阪にまで行かなきゃいけないことと、資料も集めないといけないことを考えると、各次官も含めてどう低く見積もったって200万。300万円は確保しておきたい。司馬遼太郎も絡んでくるとしたら相当な資料を漁っていかなきゃいけない。書けるだろうか。書きたい気持ちはあるのだけど、いつ書けるのか。クラウドファウンディングやってもなぁ・・・あれこれ思いをめぐらせている。

そうそう。静内町にも行ってみました。北広島は駅前が弱い。静内町は小さくてもちゃんと整ってる。という話が出たので自分の目で見てみようと思って。
行ってみてわかったのは地元愛が強い人たちが沢山いたということ。
今は廃線濃厚となった日高本線の話を駅の観光案内所の女の人に聞くと、とにかく話が止まらなかった。学生時代にさかのぼって、どう電車を利用していたのか思い出話と共に語ってくれた。途中で買った商店のおばあちゃんも嫁いだところから話し出した。まあまあ、ストーリーと共に地元愛は強くなっていくものなのだと強く感じさせられた。

今年も目標は達成できず仕舞いで終わりそうだけど、まったく収穫がないわけじゃなかった。
何をどう進めていくか、悩んでいた睡眠問題も少しずつ解消されそうだし、よくなればいいなと思う。
本当に睡眠に関しては悩んでいたから、明るい兆しが見えてよかった。

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09/22

Fri

2017

自炊はやっぱりいいものです

バランスのよい栄養摂取を外食でコントロールできる人はほとんどいない。
気をつけるといっても、だいたいはテレビの受け売りで日常の摂取食品を選んだりする。
だからこそ「自炊」を推奨するわけだけど、この「自炊」と「コスト」を直結させて考える人たちがいる。
つまり素材を切る時間、調理する時間、(食べる時間)、片付ける時間。
この括弧書きで記したもの以外は「時間のコスト」を食う。
外食、もっと簡単だとコンビニ製品ならば、ゴミも家に持ち帰らず捨てられるし、プラスゴミコストも考えると圧倒的にコスト削減になっていると言う。
だけれど、僕は調理の分野もやっていて食べさせることをしているけれど、そのことを主張しているのは「家族に調理作業をしていない人」じゃないかなと直感する。
というのは、人間って体調があるから、どんなに好きでも「今日はこの気分じゃない」というのがある。
その「今日はその気分じゃない」は、赤子が直感的にやっていることで、基本食べたくないものは栄養的に足りていて、食べたいものは栄養的に足りないもの、というのがわかっている。
つまりは、大人の好き嫌いの感覚って直感的な栄養摂取として、かなり隔たっているということになる。何故って大人は頭で考えて物を食べて何が足りないかを「好み」という「長年慣れ親しんだもの」で選んで来るから。
人は野菜も食べなきゃいけない。
肉も食わなきゃいけない。
炭水化物も食わなきゃいけない。
何故かと言うと、野菜が血糖値上昇のクッションになり、肉を受け入れるようになり、炭水化物の糖分値の急摂取を和らげる。
そんな風に色々と理由がある。
きちんと自他のコンディションと付き合いながら料理を作る。
それは便通や胃の様子や食欲や体温や血液や脳の働きに繋がっていく。
これらのことをきちんと考えて「コスト」というのならわかるのだけれど、人体の機能そのものから目を逸らして「コスト」を考え、なおかつ「手料理」という「コミュニケーション」すらも無視して「コスト」というのだろうか。
時間のコストを考える人は皆独り身なんじゃないだろうか。
それか、親友を招いて家で会食などを一切しない人たち。
小さいテーブルを囲んで、お手軽手料理つまみが三品くらいあって、酒をぐいぐいと飲むとか、たこ焼きパーティーとか。
今は「旬のもの」という意識がなくなって通年あるものが多いのでわからなくなってきているが、本来なら地物はとても香り高くて旨みも多い。
その手のものを料理するには、いきなりではきつい。
最低限何か味付けを知ってないと最高の贅沢はできない。
そこはやっぱりプロに任せたほうがいいんじゃないかって思うかもしれないけど、そういう贅沢を親友と分かち合うという気持ちがあった方が人生は豊かになる。
まずは「自分の体と細かく付き合うためには料理は必要」。
その上で「自分以外の大切な人の健康を守るためにも料理は必要」。
そして「誰か大事な人と楽しい時間を過ごすために料理は手助けになる」。
ということ。
やっぱり自炊はいいものですよ。

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09/11

Mon

2017

ふと書いたものがプライベートな問題にまで突っ込む内容だということで、読んだ方からNGをもらった。
個人的にはよいできだと思ったのだけれど、NGをもらったのなら消去するしかない。
特に消すことにためらいはなく、またいいのができる瞬間を自分の中で待つといいと、いつも感じている。
書き終わった瞬間から欠点は見えている。
ただ、「きちんと妄想で書かないといけないよ」と言われた時には、正直憤りを覚えた。

以前、人の意見を聞いて、自分の作品がぐちゃぐちゃになった経験を何度かした。
私は作品を作る時、誰かの迷惑になるとか、誰かを傷つけるとか、そんなことは感情の中から一切排除することにした。
当然でしょう。「作品」を歪ませて、いいものなんてできないんだから。
ただ純粋に「作品」に集中していく。
小説家は心底ヤクザな職業だ。
ずっとこれは覚悟している。
自分を売り、他人を売り、そして利益を得る。
売文家になるんだったら話は別だ。
だけど人間を真正面から見つめて、それをきちんと描くのなら、当然避けては通れない道がある。
「他人に心地いいだけのものは絶対に描けなくなる」
その代償として、自分への誹謗中傷、刺されてもしょうがない。そういうものを、きっちりと覚悟している。
魂を売り渡す行為なんだ。
自分の身の安全を守っていて芸術家なんてできないよ。
そのことは「人間を描く」小説家として文章を書いていてよく学んだことです。

「カポーティ」という映画があった。
フィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー男優賞をもらったカポーティの「冷血」という小説を題材にしたもの。
ある死刑囚を巡る物語で、ノンフィクション小説というジャンルを確立した。
映画の中でとても凄みを帯びていたのが、カポーティ自身が死刑囚へ取材をするために様々な手を差し伸べるのにも関わらず、裁判の延長をノイローゼになるくらいに悩むシーン。
最後の死刑執行間際のフィリップのアドリブによる涙を流すシーン。
「死んでくれなければ、作品が完結しない」
しかし長く接してきて、まるで「友」かのような感情もある。
これ以後、カポーティは長編小説は一切発表せず、アルコールと薬物に溺れていった。
詳しく知りたい人は小説の「冷血」と映画の「カポーティ」を見るといい。
この映画は小説家としての永遠の課題を示しているけれど、結局は行き着くところまで行くと魂の問題に関わってくる。
ある意味、芸における魂の問題は常に病気のように付きまとってくるから、どこで落ち着かせるかを定めておかないといけない。
生きようとして、それをするんじゃない。
魂を捧げるために、それを深めていく。

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09/06

Wed

2017

夜中の気まぐれで、いい出会いをする。

酒にやられて十六時間も寝続ける。
そりゃそうだ。だいたいウィスキー一本近くは空けたんだから。
ふといつもは寄らないコンビニに仕事帰りにいこうと近くの居酒屋で飲んでから駅を通りすぎるとホームレス風の男性が座っていた。
たまに改札閉まった後に通るけど初めて見る。
ついでにその奥にも男の若い子が座って寝ている。
珍しいこともあるものだとコンビニで二人のお弁当とお酒を買い、まずあんちゃんに「おにぎり食べる?」と渡し、奥のホームレス風の男性には弁当を渡そうと「おいちゃんお腹空いてる?」と聞いたが「いや、食べ物はいっぱいあるんで」と言われたので、じゃああんちゃんにお酒も弁当も全部あげようと渡す。
話を聞くと芸術科の学生らしく、漫画やアニメ方面の道を志していて、飲み会帰りに乗り過ごしたのだと言う。
父親の仕事の関係で高校まで東南アジア方面を転々としていたようで、かなり特殊な経歴の持ち主。
久しぶりに学校の先生が絶対教えてくれない芸術家論を話まくってきたけど、かなり真面目に聞いてくれてた。
朝陽が昇るのを共に眺め改札を通るのを見送ったけれど、案の定帰った途端調子に乗ったツケを便器にお支払し、そのまま深夜まで寝続けるというありさま。
でもまあ、よかったなと、記憶少しないから変なこと喋ってなきゃいいけど。

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08/23

Wed

2017

乗り過ごしの代償

常々働きすぎは逆にマイナスのコストを支払っているから止めるべきだと、人生初のじんましんを経験してから守るべきスタイルとしているわけですが、先日やっちまいました。
仕事帰りJR千歳線に乗り札幌から北広島で降りるわけですが、席が空いていたので座ったのです。
最終電車に揺られて、連日の勤務の疲れもあり、うつらうつらしていたのですが、降りる二駅前くらいでカクッと落ちてしまい、次に瞳を開いた瞬間「プシューッ」と音を立ててドアが閉まっている。ドアが閉まっているのはいいが見たことのない景色でさらに焦る。
「え? どこ?」
心は若干の動揺を覚えているが、いい大人。あたふたするわけにはいかない。
次の駅のアナウンスは「恵み野」。
どうやら2駅も過ぎてしまったようで。
逆に言えば2駅くらいで済んだからいいのかとも思いましたが、なにせ北広島もそうですが田舎の駅。
目の前に「白木屋」という居酒屋チェーン店があるのはいいが、タクシー一台もなし。
車もまず通らない。
静か過ぎてちょっと怖くなるくらい。
もうこうなってしまったからには、こうなる運命だったのだと腹をくくり、ひとまず飲み屋を探すけれどチェーン店は嫌だし、どうしたものかと駅から出ると、目の前で白木屋電気消えます。
「ふぉっ!」
妙な声出ました。
時間は0時半。
0時半で居酒屋完全閉店。
ネットでは1時までやってるって書いてあったのに。
しかも運悪く日曜日。
だいたいお店は休日が多い。
これは万事休すかと思いきや、通りかかった個人店に明かりがついていてマスターらしき人がタクシー客を見送っていたので「開いていますか」「開いてますよ」。
入ると若いお客さんがイベント業とかアイドルプロデュース業とかやったら儲かるかもと話しているがマスターやんわりと牽制をかけている。
こちらは疲れきっていてぐったりしていたので、いつも強い酒から頼むけれど果実酒を珍しく頼んでみると、あらまあ美味しい。
奈良県の梅乃宿のお酒らしい。果実果実していて「これはいいもの見つけた」と新しい発見をして少し満足する。
マスターがこちらに話しかけてきて色々話している中で、いつもはここらへんで飲むのかという話になり、実は乗り過ごしてと告白すると「あー、よくいるんですよ。でもお客さん、運がいいですね。前の駅の松島だったら、本当に何もなかったですよ」と言われる。
まあ、少しお店がある分だけ運がよかったのか、とは思ったけれど、さて駅前で多少肌寒く野宿は諦めたのでタクシーで帰るか泊まるかという選択肢。
もう疲れきっているので2・3時間も歩いて帰りたくない。
「一応タクシーの料金聞いておきますか?」
「頼みます」
横の若い客はホテルの値段調べてくれて駅前のやつが6500円だと。
カラオケなどもあるが、地元民じゃないと迷うからタクシー使ったほうがいいともアドバイスしてくれて、結局家に帰るまでの料金が4500円程度で行けるという。
じゃあもうそれで行きますわと頼んだのですが、マスター「この時間帯ならね、入って一年目のかわいこちゃんが運転してるんですよ。だいたい一台くらいなので、今夜もその子だと思いますよ」とこちらをチラチラ見てくる。
電話中も「多分大丈夫だと思いますよ」と煽ってくる。
「到着までちょっと待っててくださいね」
と黙って座っているが、内心それだけ言われるとちょっと期待する。
運転手とは言え、ちょっとひと時女の人と車内で一緒だなんて、男ならではの色んな妄想が広がる。
妄想広がると余計にわくわくもしてしまう。
お店の外に車の明かりが横切り、「あ、プリウスですから間違いないと思います」とマスターのほぼお墨付きがあり、外に出ると50過ぎくらいのおじさん。
思わずややかがんで運転席を見る。
誰もいない。
この方が運転手。
「あれ?」
とマスターの方を見ると申し訳なさそうにしている。
車のドア近くまで送ってくれたけど「あれ?」ともう一度言うと「すいません。ホントすいません」と謝っている。
人間上げて下げられるのが一番応える。
一時のわくわく感と、これからの三十分くらいの時間をどうしてくれるんだと内心毒づくが「運転手チェンジで」とも言えないので、お世話になったお礼をマスターに言って乗り込む。
運転手に住所を言うと「え?」と言われる。
そりゃ地元じゃないからわからないかと思いつつ、もう一度ハッキリと住所を言おうとした時に気がつく。
(このタクシー、カーナビついてねぇじゃん!)
しょうがないのでわかりやすく「北広島駅まで」と言うとようやく理解してくれる。
車が発進したけど田舎だから、ちょっと走っただけで周囲の明かりが消え去る。何もない。
車もほとんど通らない。
街灯も少なく、目だった明かりと言えばタクシーの料金メーターだけ。
夜だから車も少なくスピードを出すから、グイグイ料金が上がっていく。
(ああ、俺の、ああ、ああ、俺の、俺の時給。時給が飛んでいく)
しかもオジサン二人、車内で無言。
苦痛。
本当ならここでかわいこちゃん相手に話が盛り上がり、仕事の疲れに癒しを与えてもらったはずなのに。
メーター上がる。
オジサン二人。
無言の深夜ドライブ。
ついでに私のやりきれない度も上がっていく。
心がモヤモヤ。
ストレスを抑える。
メーターが止まらない。
オジサン二人の深夜ドライブ。
締めて料金3200円なり。
降りた瞬間心の中で「クッソッ」と思うが、乗り過ごした方が悪い。
乗り過ごし、恐ろしい。
そんな夏の終わりの切ないストーリー。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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