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あさかぜさんは見た

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01/20

Fri

2017

行動派は正しい

朝のNHKで鈴木亮平さんが出ていた。
私は「変態仮面」に出ていた彼の尻を見て、かつての淀川長治さんが「ターミネーター」に出ていたアーノルド・シュワルツネガーの尻をやたらと褒めていたかのように「あんな美しい男の尻は見たことがない」と、あちらの気もないのに個人的に大絶賛していた。
興味深く番組を見ていると、やはりこの人も「因果」を持っているようで、そこにいるべくしているのだろうと強く感じた。
人と人との縁。そこから生まれる避けられぬものを背負っていき、出会うべくして出会っていく。
そんな彼の話しの中でとても興味深い内容があった。
事務所へ売り込みをかけていた時期の頃。
電話で飛び込み面接の予約を取ろうとするとだいたい流れるので、電話をかけ「下にいますので今行っていいですか?」と言うと「わかりました来てください」となる。
そして小さな点でも「(趣味でも何でも)履歴書に書き足しました(または、変更しました)」と顔を出し、覚えてもらうために数ヶ月ごとに定期的に置いて行くという作戦を取った。
皆知っていても実際にやる人は少ない。
という話していた。
この話とてもよくわかるし、何故なのか僕もよくわからないが、この手の労力を実際に払う人がほとんどいないのは周囲を見ていてもよくわかる。
いつまでも頭で考え「あーだこーだ」と時間を浪費し結局立ち止まっている人のなんと多いことか。まるで待っていたら自分を認めてくれる人が現れるかのような考え方までしている。
時間は僕も浪費しているし、そこは責められる立場じゃないけれど、何故行動できないのか。
たぶん僕の中にもあるし実際やってみて感じるのは、自分が抱える恐怖に打ち克つ一瞬の勇気が必要になる。やっちゃえば引けないのだから怖かろうが震えようがやるしかない。
絶望してやめちゃったら先がない。
僕の場合諦めて生きる屍になるくらいなら恐怖に震えながらでもやった方がましだと思ってる。
でも大きな差って、ほぼここにしか生まれてこない。
勇気を出して人と対話を繰り返しながら接点を探す。現実で行動していく。これは理屈じゃない。
やるか、やらないのか。
ただそれだけの問題。
ちなみに同期の脚本家にも教えたら、その方法で仕事を掴んだらしい。
脚本家は鈴木さんのことを言っていた。
「長く不遇で腐りそうな時期ではあったけど、そんなことはなかった」と。
労力が報われないと、人間腐りそうになる。実際腐っていく人も見てきた。自分を過大評価をして、そのギャップで腐る人も。色々。
鈴木さんには恩師がいて、その人から見られて「恥ずかしい仕事かそうじゃないか」といつも考えていると言っていた。
今僕も誰かというわけではないけれど、他人はとても強く意識している。昔とは違うのは自分がどう思われても、どうでもいい、ということ。その代わり相手によい作品を届けたい。
最初に夢や希望を抱いて行動していく。
でもそれだけじゃ足りなくなる。
やがて囲んでくれた沢山の人たちのことを想いながら仕事をしていく。
この手の人は諦めない力を秘めている。
難しくもなんともない。
とてもシンプルなことなのだ。
やり抜くのか、諦めるのか、常に相手にしているのは現実世界の問題なんだ。


ちょっと付け足すと、実際に体を動かすことの力は凄まじい。
間違っていることも白になることがある。
それぐらい力を持っている。
諦めないということは、不可能だと思われていることも可能にすることがある。
だから夢があるのなら希望を持っているのなら、今すぐ動くことだ。
そうでしか道は開けない。

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01/11

Wed

2017

子供の頃の衝撃は今でも残る ザ・人生訓

大人になるとさまざまな事を忘れるけれど、これだけは不思議と覚えているんだよね。
当時NHKが珍しくニュースの後にアニメをやっていた時期があって、その頃「不思議の海のナディア」という長編アニメを放送していた。
好きだったアニメなんだけど、今でも印象に残っている言葉がある。
調べると30話。
サンソンという長身の人が、道なき道を自作のマシンで木をなぎ払い草を刈り進んでいき、相棒のハンソンに「もっとまともな道走ろうよ」と言われ叫ぶ。
「道だと? 道なんてものは俺様の通った後に出来るものだぁ!」
その時小学生だった自分は電撃が落ちた。
今でもいい言葉だと思う。
自ら道を開拓するならば茨の道なのは当たり前。
誰もが通る安全な道に欲しいものがなければ、道は傷ついてでも馬鹿にされてでも自分で切り開くべし。
でも誰も通ったことのない道なら誰しも避難するのは当たり前で、生き方そのものが違うのだから気にすることもないと思えるようにようやくなってきた。
その手の人たちは新しい挑戦をする人の失敗をどこかで望んでいて「そら見たことか。俺の方が正しかった」と言いたいだけなのだ。
その姿勢を見ても、やっぱり考え方も生き方も違う。
人のこと気にしていたら我が道はいけない。
自分が生き残るためにはどうすればいいのか、どの分野ならトップに立てるのか、そういう単純な思考だけ繰り返して挑戦していけばいい。
道がないのなら、自分だけの道なら、道がないのは当たり前。
でも道はなくとも道なき道を行っても生き残れるノウハウはあるはず。
それは進み経験してみなければ同じような友はできない。
色々読んでみると、どの時代にも前人未到の歩みをする人は馬鹿にされたみたい。
もちろん屍の方が多いのはわかっているけれど、でもやらずに非難する人間よりかはずっと立派だと思っているし勇気がある。
そういう人じゃないと、正直生きることに飽きてきそうだから頑張るのさ。

この話ちょいちょい繰り返すかもだけれど、そういうもんです。
人生訓は身にまとって人生と共に磨いていくものだから。

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01/04

Wed

2017

年間一千万の実績を作れ

行政書士の方曰く。
「僕のところに来る人って何が何でも金を稼いでやろうっていう人ばかりなんですよね。なので曖昧にこうしたいっていうと芽が出ない気がしますね」
「実績、となると確定申告ですね。これを元にして融資となると判断されると思いますし、やはりお金が回収できるかどうか厳しい目で見られるのは当然のことです」
「まず、一千万。これぐらいはクリアできないと厳しいかと思います」
突然凄いハードル高いんですけど、でもこれぐらいはやってのけないといけないってことなんだよね。
わかりました。

P.S.
つまりは、一円でも二円でも稼ぐという金に対しての執念が必要だった。
「実績」とは全部「お金」で判断される。
レビューとかじゃなくて「いくら売ったか」が大事なんだ。
今まで少しずつ発表して人気が出て・・・みたいなことを考えていたんだけど、一円でも多く稼ぐことでしか立場を証明できないとなると、もうこれは問答無用で売っていくしかないってことだ。
「何が何でも金を稼ぐ」
足りなかったのはここへの意識だった。

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01/02

Mon

2017

やる気のない願望と夢への目標の違い

今までの自分にとって「夢」や「目標」というのがいかに曖昧であったのか、というお話。
「~をしたい」とか「幾ら稼ぐ」なんていうのは全て願望の類で、今道筋がパッと見えてきて色々な事を調べだしておりますが、今まで考えていたことに決定的に足りなかったのは「具体案」だったのだなと痛感しました。
どうして具体案が浮かばなかったかというと、やりたいことはあったけれど、そこへの道筋が曖昧で具体的じゃなかった。
「具体的」って意味もわかっていたようでわかってなかった。
いわば自分にとっては「超具体的」な感じです。
例えば今「起業する」という観点で物事を組み立てていくようにしておりますが、そうすると何が足りないのか炙り出てくる。
全部こと細かくスケジュールと予算と見込み売り上げ、絶対かかる費用など、その他諸々のことを計算して無理のないプランを立てていくってこと。
あと、途方もない目標ばかりで途中をどうすればいいのかをずっと悩んでおりましたが、その途中ってやつが、わりとあっさりと手の届く範囲にあると知り、ついに中間地点を埋める算段もできてくると、あとは達成するための情報集めなど、とにかくやるべきことが具体的で、かつ時間と労力を積み重ねればできるということで、やる気が湧いてきたわけなのです。
僕の思考は常にネガティブで「どうせ理解されない」みたいな考え方がどこかにあるし、それが植えつけられたのもあったし、今までの経験から裏付けられている。
その「どうせ」が腐る方に向かうのではなくて「どうせ誰も理解してくれないなら自分でやるしかない」と思うようになった。
「誰に期待しても自分が望んだものは出来上がらない。だったら自分で作るしかない」
これも「どうせ」っていう考え方の表れなんです。
どうせ、命一つ。
どうせ、いつか死ぬ。
どうせ、サラリーマンやろうとしても、偏屈すぎて上手くやれない。
どうせ、他人が期待したことに上手く応えることができない。
どうせ、スピードを要求されてもどんくさい。
どうせ、一般社会には馴染めない。
どうせ、誰も自分の望んだものを作りはしない。
じゃあ、普通にして滅びるしかない人間が生き残ろうとするなら自分でやるしかないじゃないか。
そういうネガティブが一周しきったような考えなんです。
もう、いいじゃないですか。
いい年だし、戦国時代なら隠居のことも考えなきゃいけない年だし。
体力も自信ないし勉強も上手くできない。
本当にマイペースでしか進めない。
どこかの部品で生きるには欠陥品過ぎる。
じゃあ何かしていくしかない。
自分の国を作るしかない。
小説書いていても今の主流の流れとは物凄い違和感を感じる。
実際賞に送ったって落ちる。
もう、自前で全部揃えるしかないじゃないですか。
そのことは考えていたのに、具体案がないばかりにね、ここまで伸びてしまいましたね。
たぶん皆「具体的」の本当の意味を僕のように漠然と理解していないのだと思ってる。
今までの自分は作品を積み上げればいいんだ的な考えがあったのだけれど、具体的というのは、A作品を書きました、この作品の読者層とターゲット・作品の中心となるテーマはどの年齢とどの考え方の人に訴えかけ、その人たちに作品をマッチングさせるためにβのような方法を取り宣伝し、宣伝機関と宣伝方法は以下のような方法で、宣伝期間は公開までのこれまでの期間で予算はいくらかかり、宣伝を受け取った何パーセントが実際に作品を読んでくれるまでの見込みがあり、その上で売り上げは最低これくらいは確保できるであろう、その上でトータルで差し引きこの程度の見込みがある、という見立てが具体的ってことなんですよね。
もうこれを理解するまでに10年以上かかった。
というか理解するまでってよりも、ここまで考えが到らなかったという表現が正しい。
それだったらねぇ、やりますよ。
気がついたのですもの。
今年は「具体的に」ね。

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12/29

Thu

2016

胃腸炎といっても色々な種類があるのですが、ノロウィルスかどうか調べるのに保険適用外ですと言われ、これだけニュースでノロだなんだと言っているのに不思議と思っていたのですが、ノロウィルスへの特効薬がなく、対処法は基本的にノロだろうとそうじゃなかろうと変わらないとの事なので自宅でずっと寝ております。
しかしまあ、凄いもので飲んだ水がそのまま下からストンと落ちてくると言ったらわかりやすいでしょうか。
ようやく引いてきたのですが、大変なのがよくわかりました。
吐き気もするものですし、病気になっても食用旺盛な私が食べたくないところまできたので、ほとんど重湯のようなものを二日間食しておりました。
今年は確かによく病気をした年ではありましたが、最後の最後で胃腸炎かよ! と我が身のダメージなのか、それとも今回はウィルスか何かなのかわかりませんが、心当たりがあるとすれば「お酒」と「ストレス」でしょうか。
どれに原因があるにせよ、手洗いうがいなどしっかり欠かさず、そして・・・け、け、けけけけんこう管理をしなければいけないと・・・自信ありません。
お酒を飲まずにストレスを紛らわす方法があればやってみたいものです。

さて、さすがにこれだけ寝ていると、寝ていても疲れます。
全身の倦怠感があるのはもちろんのこと、同じ姿勢で寝ていても疲れますし、脱水症状に近い状態になっていくので唇は乾燥し、肌は土色になり、尿の色は濃くなっていくという有様で、少し体を起こしていても疲れるし、腰あたりのだるさはいつもの五倍だし、おなかは痛いし、そろそろトイレットペーパーでケツが切れるんじゃねぇかってくらい出しているので、体重はものの四日間で見事に二キロ減りました。
それにしても食べもしないし動いてもいないのに体は生きるべくして活動しているということが、こういう時にしみじみわかってきますね。
体の中から減っていくパワーを補うために、食事をするのですが、人間は外から補わないと生きていけない生き物だと実感いたしました。
そう考えると小さな頃から知識とか経験とか食事とか色々なものって外から仕入れているもので自前じゃなかなかできないものです。
今回は早めにまずいなぁこれと思っていつもは遠慮するお医者にいきましたし・・・去年の同じ頃にも人生初じんましんで皮膚科に・・・なんやかんや死にたくないんじゃんこいつ、と苦しみ悶えながらも思いましたが、その時考えていたのは「また書き物の予定送れちゃう・・・」ということでした。
人間、生きる糧とは「自分のしたいことで成すべき事がある」ことなのかもしれません。
最近ハッと閃いたことがあって、まずはやってみようかなと思っているので、それをやり遂げるまでは未練が残る。
今年ももう終わりますが、あらゆる予防は危険が起こった後のコストよりも安くつく、という教訓を踏まえまして、終わりにいたします。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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