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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

2024

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03/07

Mon

2016

最近夢をよく見ているようだ。
かといってそのほとんどは忘れていて、よく見るのが身の危険を感じたり、最近になって増えているのが物凄く現実味のある夢で、完全にその世界の住人になっている。
ファンタジーのようなものは最近はなく、仕事や交流など懸命にしている。
数日前は「いけない。仕事があるから起きなきゃ」と思い瞬時に目覚めたというのもある。

今日の夢は覚えていて、京にいたのか、突然他店の飲食店に派遣されたのだが、まったく仕事内容も勝手もわからず接客か何かをしていて、さらには移動の際にリーダーのような紺の作務衣を着たおじさんに「京の人はプライドが高いから、少しでも上からのような物言いはしたらいかん」と叱られていた。
夢の中で経験もしたことがないことを教えられるというのは得をしたのか損をしたのか。
よく夢の中で教えてもらうことがある気がする。
現実で体験していないことを体験したり教えてもらったりしているような気がする。

夢の中でも学習できるものなのだろうか。
記憶の整理をするために夢を見るというが、今回のことだって体験したこともなければ、こんな具体的な言葉など聞いたこともない。
不思議な事もあるものなのだなと思ったし、もしかしたら夢の中も現実の一部なのかもしれない、なんても考えると面白い。

最近ようやく誰かに追いかけられたり襲われたりする夢が減ってきたところだ。

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02/17

Wed

2016

説教の意味のなさ

結論から言うと説教は自己満足でしかないのではないかと思い始めている。
というのは、長い目で人を見ていると、他人からの助言や忠告を受けて自分の考えを改めたり生活スタイルを変えていく人はほとんどおらず、自分のやりたい日常の中にどっぷりと浸かっている。
ましてや、他人が老婆心で言ったことなど、つまり当人の思考の中にまったくなかった忠告というのは自尊心を傷つけ反発心を抱かせたりすることもあるし、素直に聞いているようでも、ほぼ青天の霹靂状態なので心中穏やかではなく、また初めて聞く内容を一度聞いたからと言ってまな板に水、馬耳東風となる。
そりゃあ、聞かされている当人としては、いきなりどうしてこんなこと言われるのかという相手側のことや、自分のことを深く考察する視野の広さがないと、なかなか他人のお説教など聴けるものではないからだ。
ましてや自分は間違ったことなどしていないし、間違いかもしれないがやってみないことにはわからない、などという理屈で我が道を行かれては、それこそ説教の意味などなくなる。

そもそも。
本当にそもそもなのだが、どうして説教するんだろうって自分のことを色々考えたら、人生経験上見てきて「それはかなりの確立で失敗するぞ」という経験則からなのだけど、よく考えたら自分だってたいした生きていないし、それほど視野も広くないし、もしかしたらこの人なりの知恵で上手く切り抜けられるのかもしれないという淡い期待も持ったりするのだけど、やっぱりほとんど失敗しているし、失敗したとしても当人は自分なりに、恐らく自分の感覚なりに色々やりたいのだから、説教、もっと優しく言ったとしてアドバイスに当たるものは、最も自分を利するものではないと受け入れられないというのが自他共に観察してきた結論なのだ。

じゃあ、その自己満足、どうして満たしたがるのかということにもなるのだが、どうにもこうにも自分が充実していないと他人に説教をしたくなるという不思議な原理が働く。
とにかく忙しい人や楽しい時間を過ごしている人というのは、面白くない人とは関わらないし、関わっていこうとしない。
常に前向きで他人を楽しいものへと引き込んでいき、自分の人生と仲間たちの時間を充実させていく。
そういう人は、説教などという野暮な事はしない。
人の心の落とし所で粋にきめて来る。
本当に困っているときに、すっと助け舟を出すという風にね。
自分はよく出来ていないくせに、他人のことは気になる。
そういう気持ちの弱い人が説教をしたがるのではないか。
いろいろ自分のことを省みているが、そこらが思い当たるのだ。

人間は、欠陥があって当たり前なのだ。

人は、あまりにも当たり前すぎる理屈に対して理解する努力を放棄する。
自分の中で「わかっている」と「思い込んでいる」からだ。
でも実際「わかっている」っていうのは、「行為にできてこそ」「わかっている」、となるわけであって「その言葉を知っているからわかっている」とはならないはずなのに、現代人のあまりの多くの人はこうなっている。
ほとんど例外なく、こうなっている。
で、挙句の果てには「その言葉を知っているから」「その現象を知識としてどこかで読んだから」「人はこうあるべし」という形で「説教」が始まるという、まことに無意味な、まことに滑稽な、本人は物凄い深いことを言っているつもりで薄っぺらな、中身のあるようで経験がないばかりにまったく抜けている、どうしようもないことを言い始めてしまうという現象が起こるのではないかと考える次第なのです。

かといって経験則から話しているとしても、やっぱりあまり役に立たないのではないかと強く思うのは、人の話も聞かずに「こうすればよくなる」的な、相手無視の、心情無視の、人生無視のお話を始めちゃうから、聞かされているほうも「早く終わらせてくれねぇかな」と、ありがたい話もまったくありがたくなくなる現象が起こるわけでありまして、じっと我慢して相手と向き合うこともせず、わっといきなりやりはじめちゃうところ、やっぱり説教する側が相手の話を聞かないのですから、聞く側だって、聞くわけねぇだろってことになるわけでありんす。

以上の理由から、やっぱり説教っていうのは意味を成さないし、ただの「言ってやったぜ。俺いいこと言ったな」という自己満足にしかならず、なんか物凄いうまいこと言ったつもりでも、やっぱり「ウケたらいいな」的なスケベ心が働くので、どこかで聞いたような見聞きして、さも自分が体験してないのに体験したかのようなことも差し挟んじゃうと、もうすべてが駄目になるわけです。
人に言っていいのは、あくまで自分の経験のみであって、自分の過去の欠損や後悔を人にぶつけたって自分の人生なんてよくならないし、相手の人生もよくならないし、なんか本当に説教って役に立たないんだなと、思うんですが、またやっちゃうんだろうな、という自分もここにいます。

反省ばかりの毎日ですよ。

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02/02

Tue

2016

職場のスタッフで自殺者が出る

自殺したくなったらまず電話しましょう。
http://www.lifelink.or.jp/hp/link.html


職場の人が自殺した、という。
他のお店で働いていたアルバイトの35歳前後くらいの女性が突然睡眠薬を大量に服用して亡くなり、店長もスタッフもショックを隠しきれず気がふれそうになっているのだと言う。
数日前まで元気で、自殺直前には店長にも「死にたいです」とメールが来ていたそうだ。
だけれど気が落ち込んでいることにも気がついていたが、さすがに死にはしないだろう、という安心感があり特に真剣には受け止めなかったようだ。
「死ぬくらいなら生きられるだろ」
とある50歳前後の男性社員が言っていたけれど、「それは健康だから考えられることなんですよ」と言っておいた。
市販の睡眠薬は大量服用してもなかなか死なない。以前に大量摂取して死亡したり自殺に利用される例が出てきてから成分が少なくなったのだ。
だから恐らく医者から処方された睡眠薬を大量に取っておいて、それを一気に服用したであろうことは推測がついた。
だとすると心療内科にも通っていただろう。
聞くと、そうらしい、と言った。
「自殺者が多いとは知ってるけど、まさか自分の身の回りで起きるとは思わないじゃない」
男性社員の人は瞳を潤ませながら言っていた。
すると話を聞いていた女性も「私の息子の学校の同級生も自殺しましたよ。密葬でしたから、どうして亡くなったのか一切わかりませんけれど」と話していた。
うちも、死の直前までいったことがあっただけに、うつ病などの精神疾患は所謂「気持ちの持ちよう」でどうにかなるようなものではないと知っているけれど、いまだに「気持ちの持ちようでなんとかなる」と思っている人は多い。
そして何よりも毎日のように職場で接していただけに店長も「自分に非があったのではないか」と思い悩んでいるという。
人の突然の死、自ら選ぶ「自殺」という行為には、理由がなければありえないことだと思うのが普通だろう。
だけれど遺書でも残してくれない限りは誰もその理由を知ることは出来ない。
周囲の人間は、心優しい人は「自分にもっと何かできていれば、あの人は死ななかったのではないか」と十字架を背負う。
だけれど死ぬ側にとって自分の気持ちに押し潰され精神が死のうとしている時に誰かのことなど考えられないし、絶望に浸されているのだから全ての希望は閉ざされている。
だからあらゆる説得は意味を成さなくなってしまう。
打てる手があったとしたら、本当に心の底から吐いた言葉を馬鹿にされずに真摯に受け止めてくれる存在が必要だったのだと思う。
そして生きていてもいい、誰かが存在を必要としていてくれる、そんな身近な血の通う存在があれば、もしかしたらこういう事態を回避できたかもしれない。
内閣府が発表している平成26年度の自殺者の総数は25427人。
3万越えをしている年が数年あったことを考えるとだいぶ減った方だ。
減りはしたが、50以下の人間は毎年1万人以上のペースで死んでいっている。
死者の理由のトップは「健康問題」とある。
この日本という国は履歴書に「傷」がつくと、それをマイナスポイントとして差し引く。
真面目に働いていない期間があると「この人間にはどこか欠点がある」という目で見る。
特に社会上「~しなければならない」という抑圧的な空気を共有し実行することで初めて「社会で一人前に生きられる人」とみなされる。
直接の知り合いではないし、一度も会ったことはない人だから死の理由はまったくわからない。
それでも、この事実はその人を取り囲んでいた人たちの人生観を変えることになる。
「死」という、絶対的に変えられない現実の前に、気持ちは落ちていくばかりだろう。
「自殺」というのは、それだけ重苦しい。
死にたいと思ったことは沢山あるし、きっと思春期の頃は楽に死ねる手段があったら、たぶん死んでいたかもしれない。
最後の逃げ場があったから、逃げて逃げて逃げ続けて僕は今生きている。
精神の安全な場所が見つかるまで、とにかく逃げ続けた。
安定するまで15年かかった。
その間、逆に家族がうつ病になって、命が失われる寸前までいった。
家族の場合は皆意識を改めた。
全力で助けようと努力した。
うちの場合は助かったけれど、やっぱり心の交流ができないと本当に辛いと思う。
言うなれば、僕らは会話なんてしていない。
本音で、心の底から、会話することを逆に恐れている。
それだけ本心を曝け出すにはリスクがあると肌身で感じている。
なんでだろう、と思う。
僕も大人の人と接して「誰も理解してくれない」と辛かった時期があった。
何故誰かと一緒にいるのにもかかわらず寂しい思いをしなければいけないのだろう。
自ら死ぬと「自己責任」で、誰かが殺すと「殺人」になる。
上述のように「健康問題」と言っても、恐らく過労などにより心身が崩れていったことは身をもって体験したことでもある。
「過労死」というのは、認定基準がとても厳しい。
例えば職場で受けたストレスを毎日の酒で流すとかで休む時間も満足に取れず、結局は体調を崩し職場復帰もままならず生活も困窮し結局自殺してしまうとなると、当然「過労死」ではない。
だが職場環境のストレスや労働の内容により心身が疲弊してくるというのはありうる話だし、特に心がどれだけ病んでいるか、体力がどれだけあるかなどは個々人によって違ってくるため原因が突き止めづらい。
だからすべて推論になってしまう。
当然自殺するまでには複合的な理由があって様々なことが積み重なり最終的に死ぬことしか考えられなくなるというか、死ぬことが一番楽になれる方法なのだと追い詰められるところまでくるのだから、一概にはこうだと言えないのが歯がゆい。
心が大丈夫だと思っていても、体が拒否反応を示すというのを初めて身をもって体験すると、人は精神論ではどうにもならない存在なのがよくわかるし、そして現代人は「心の安心」を求めているにも関わらず互いを監視しあっているし、精神が荒んでいるとなると他者を見下していく。
その最終的な受け皿となっている人たちが自殺者なのだとしたら、とても悲しい話だ。



自殺したくなったらまず電話しましょう。
http://www.lifelink.or.jp/hp/link.html


追伸:ちなみに、自殺についての記事を公にする時どこに連絡をすればいいのか、というのが自殺者を食い止める一手段になるといいますので、他の方はブログでこの手の記事を書く時は必ず連絡先を載せてください。

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02/01

Mon

2016

睡眠は大事だよね

どうしてだろう。
世の中には短い睡眠時間でなんとかなる人がいるらしい。
ノーベル賞を取った小柴博士は一日十時間以上寝るらしいし、アインシュタインも十時間寝ていたという。
一方三時間や四時間という人もいるし、京極夏彦さんなどは三時間でよいと日刊イトイ新聞に書いてあった。
自分の場合は六時間から七時間半程度、まあだいたい六時間といったところだろう。
最近は眠っているようで眠れていない。
起きても眠く日中もぼんやりしていて、睡眠も浅く、寝つきが悪くなっている。
神経が過敏になっているのが自分でもよくわかるし、切り替えが下手なタイプなので引きずる。
眠ろうとしても、どうもぴりぴりしている。
まいったな、と思っている。
例えば体温が少し下がると眠りに誘われるというが、事前に体あたため効果もあまりきかなくなってきた。
困ったものだ。
子供のころはどうしてあんなに眠れたのだろう。
世界が変わったかのように新鮮だったのに。
ついに睡眠薬のお世話になる時がきたのかな。
ちょっと試してみようと思っている。
眠らないと抵抗力が弱っていくのが実感としてよくわかる。
そして眠らないことにはストレスも取れないし体力も回復しない。
妙な動悸もしているし、あまりいいことはない。
結構鬱っぽい症状になったりもするから睡眠時間と睡眠リズムは生きていく上でとても大事な要素だ。
やはり上記のように人によって睡眠時間はバラバラだし、三時間睡眠だと長く活動できるからお得な気もするけれど、個々人の体にあった生き方が一番よい。
最近、よく眠れる人が本当にうらやましい。
何も考えずに海なんかを眺める生活でもしてみたいものだと思っている。

そういや、ストレスや疲労が溜まってくると、穏やかだった人も本当にギスギスしだしてきて他者を責めがちな人になっていた。
それはほんの半年ほどで変わってしまう。
「あんな人だったっけ?」
しばらくぶりに会った人も首を傾げていたから、やっぱりストレスとか疲労は人を変えてしまう。
なるべくそうならないように過ごすためにも、自分も気をつけないと。

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01/26

Tue

2016

底辺の生活

仕事やめて文章一本でやろうと思ってます。
今年の目標というか、達成しなければいけないことなんだけれども、それ言ったら結構「大丈夫か?」みたいな目で見られる。
でもね、先ほどエンゲル係数上がっているというニュースもあったけど、どん底には変わりない。
社会の底辺にいる人間にとって、いつでもどうにでもなる労働力でいることは、これから先この社会で生きることに、さすがに危機感を覚えるのです。
どうせこのままいっても、消極的に人生が終わっていく。
たぶん餓死か病死か。
じゃあ積極的に生きるか死ぬか決めた方がいいじゃないですか。
先月から一ヶ月風邪を引きまして、今もまだ咳が取れない。
今までかかった治療費が二万。
これだけで生活がやばくなるレベル。
体を使って稼いでも、疲れて体調を崩してお金が飛ぶ。
本末転倒じゃないですか。
抜け出せなければ死ぬだけ。
単純明快すぎる理屈。
この先底辺にとっては危ない社会が待っている。
そして中流でいられるのも、あと少し。
だからもう時間がないのですよ。
気がつくのが遅いって?
まあまあ。ここはここなりに意識が何処に向かって日々を過ごさなければいけないのかがわかりましたよ。
金ですよ。
金。
つまり「どうやって生活していくか」です。
そのことしか考えられなくなったら文化的な生活も勉強も何もかもないわけです。
不安でそわそわして、毎日落ち着かなくて、疲れきっていて、残り少ないお金でお酒など煽って今日一日忘れるのが精一杯になるわけです。
そういう生活をする人間が、本当に「社会を構成する一員」になれますかね?
考えることも失って、ただの道具ですよ。
そんな人間が「命の価値」など見出すと思います? NOだと思いますね。
まあ、そんなことを学びましたね。
色々ありますが、とりあえずここらへんで。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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