自殺したくなったらまず電話しましょう。
http://www.lifelink.or.jp/hp/link.html職場の人が自殺した、という。
他のお店で働いていたアルバイトの35歳前後くらいの女性が突然睡眠薬を大量に服用して亡くなり、店長もスタッフもショックを隠しきれず気がふれそうになっているのだと言う。
数日前まで元気で、自殺直前には店長にも「死にたいです」とメールが来ていたそうだ。
だけれど気が落ち込んでいることにも気がついていたが、さすがに死にはしないだろう、という安心感があり特に真剣には受け止めなかったようだ。
「死ぬくらいなら生きられるだろ」
とある50歳前後の男性社員が言っていたけれど、「それは健康だから考えられることなんですよ」と言っておいた。
市販の睡眠薬は大量服用してもなかなか死なない。以前に大量摂取して死亡したり自殺に利用される例が出てきてから成分が少なくなったのだ。
だから恐らく医者から処方された睡眠薬を大量に取っておいて、それを一気に服用したであろうことは推測がついた。
だとすると心療内科にも通っていただろう。
聞くと、そうらしい、と言った。
「自殺者が多いとは知ってるけど、まさか自分の身の回りで起きるとは思わないじゃない」
男性社員の人は瞳を潤ませながら言っていた。
すると話を聞いていた女性も「私の息子の学校の同級生も自殺しましたよ。密葬でしたから、どうして亡くなったのか一切わかりませんけれど」と話していた。
うちも、死の直前までいったことがあっただけに、うつ病などの精神疾患は所謂「気持ちの持ちよう」でどうにかなるようなものではないと知っているけれど、いまだに「気持ちの持ちようでなんとかなる」と思っている人は多い。
そして何よりも毎日のように職場で接していただけに店長も「自分に非があったのではないか」と思い悩んでいるという。
人の突然の死、自ら選ぶ「自殺」という行為には、理由がなければありえないことだと思うのが普通だろう。
だけれど遺書でも残してくれない限りは誰もその理由を知ることは出来ない。
周囲の人間は、心優しい人は「自分にもっと何かできていれば、あの人は死ななかったのではないか」と十字架を背負う。
だけれど死ぬ側にとって自分の気持ちに押し潰され精神が死のうとしている時に誰かのことなど考えられないし、絶望に浸されているのだから全ての希望は閉ざされている。
だからあらゆる説得は意味を成さなくなってしまう。
打てる手があったとしたら、本当に心の底から吐いた言葉を馬鹿にされずに真摯に受け止めてくれる存在が必要だったのだと思う。
そして生きていてもいい、誰かが存在を必要としていてくれる、そんな身近な血の通う存在があれば、もしかしたらこういう事態を回避できたかもしれない。
内閣府が発表している平成26年度の自殺者の総数は25427人。
3万越えをしている年が数年あったことを考えるとだいぶ減った方だ。
減りはしたが、50以下の人間は毎年1万人以上のペースで死んでいっている。
死者の理由のトップは「健康問題」とある。
この日本という国は履歴書に「傷」がつくと、それをマイナスポイントとして差し引く。
真面目に働いていない期間があると「この人間にはどこか欠点がある」という目で見る。
特に社会上「~しなければならない」という抑圧的な空気を共有し実行することで初めて「社会で一人前に生きられる人」とみなされる。
直接の知り合いではないし、一度も会ったことはない人だから死の理由はまったくわからない。
それでも、この事実はその人を取り囲んでいた人たちの人生観を変えることになる。
「死」という、絶対的に変えられない現実の前に、気持ちは落ちていくばかりだろう。
「自殺」というのは、それだけ重苦しい。
死にたいと思ったことは沢山あるし、きっと思春期の頃は楽に死ねる手段があったら、たぶん死んでいたかもしれない。
最後の逃げ場があったから、逃げて逃げて逃げ続けて僕は今生きている。
精神の安全な場所が見つかるまで、とにかく逃げ続けた。
安定するまで15年かかった。
その間、逆に家族がうつ病になって、命が失われる寸前までいった。
家族の場合は皆意識を改めた。
全力で助けようと努力した。
うちの場合は助かったけれど、やっぱり心の交流ができないと本当に辛いと思う。
言うなれば、僕らは会話なんてしていない。
本音で、心の底から、会話することを逆に恐れている。
それだけ本心を曝け出すにはリスクがあると肌身で感じている。
なんでだろう、と思う。
僕も大人の人と接して「誰も理解してくれない」と辛かった時期があった。
何故誰かと一緒にいるのにもかかわらず寂しい思いをしなければいけないのだろう。
自ら死ぬと「自己責任」で、誰かが殺すと「殺人」になる。
上述のように「健康問題」と言っても、恐らく過労などにより心身が崩れていったことは身をもって体験したことでもある。
「過労死」というのは、認定基準がとても厳しい。
例えば職場で受けたストレスを毎日の酒で流すとかで休む時間も満足に取れず、結局は体調を崩し職場復帰もままならず生活も困窮し結局自殺してしまうとなると、当然「過労死」ではない。
だが職場環境のストレスや労働の内容により心身が疲弊してくるというのはありうる話だし、特に心がどれだけ病んでいるか、体力がどれだけあるかなどは個々人によって違ってくるため原因が突き止めづらい。
だからすべて推論になってしまう。
当然自殺するまでには複合的な理由があって様々なことが積み重なり最終的に死ぬことしか考えられなくなるというか、死ぬことが一番楽になれる方法なのだと追い詰められるところまでくるのだから、一概にはこうだと言えないのが歯がゆい。
心が大丈夫だと思っていても、体が拒否反応を示すというのを初めて身をもって体験すると、人は精神論ではどうにもならない存在なのがよくわかるし、そして現代人は「心の安心」を求めているにも関わらず互いを監視しあっているし、精神が荒んでいるとなると他者を見下していく。
その最終的な受け皿となっている人たちが自殺者なのだとしたら、とても悲しい話だ。
自殺したくなったらまず電話しましょう。
http://www.lifelink.or.jp/hp/link.html追伸:ちなみに、自殺についての記事を公にする時どこに連絡をすればいいのか、というのが自殺者を食い止める一手段になるといいますので、他の方はブログでこの手の記事を書く時は必ず連絡先を載せてください。
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