1年と4ヶ月前、同じ飛行機で関空を立ち、同じ飛行機でまた関空へと戻った。
嫌な気持ちでずっと過ごして来た1年だった。
関空に到着し、飛行機から降りて激しいにわか雨に打たれ、第2ターミナル内を歩くと嫌な気持ちがフラッシュバックし、大阪で親戚の小料理屋を訪ねる時も胃がキリキリしていた。
数ヶ月前、もし京都に行くなら尋ねてと札幌にいる親戚から名詞をもらっていた。
「私の妹の娘たちがお店出しているから」
その小料理屋では、ちょうど予約が入っており、その予約のおかげで京都から親戚が手伝いに来ていて話が通じた。
オヤジの小さい頃の姿を知っているといい、「ああ、武ちゃんの息子さん」と喜んでくれた。
歯ごたえのある新鮮な刺身もご馳走してくれ、幸先のよいスタートだと感じ京都へと入る。
ホテルは昔住んでいた場所の近くの大宮。前は西院に住んでいた。
阪急電鉄の駅は「さいいん」と言う。だが京福電気鉄道、通称嵐電は「さい」と読ませる。
よく知られる「賽の河原」とはこの「西院」のことだと言われている。
西大路通りから西は魔界と呼ばれていたらしい。
その魔界に入ったすぐの小道に飲食店が並んでいて、以前住んでいた頃、そこで自分の団体のロゴを描いてくれたデザイナーさんと出会った。
京都に着き、まずお世話になったラーメン屋に入ると、すぐに店長が気がついてくれて、
「お久しぶりですね。どれぐらい経ちましたか。もうそんな経ちましたか。そんな経ったようには感じませんね」
顔を覚えてくれていたのがとても嬉しかった。
ほとんど街も変わっていなくて、懐かしいというよりも、普通に近所を歩いているような感覚だった。
その後デザイナーさんと夜に河原町の丸井で会うと、
「なんかfacebookでやりとりしているので、久しぶりだと感じませんね」
前はバー内の暗いところで話していたので、明るいところで面と向かうのは初めてだったけれど久しぶりの再会に心が躍った。
桜肉の刺身を食べながら、互いに近況を喋りあう。と言っても、自分はまだ決定していない可能性の世界。あちらはデザイナー業と兼業で稼いでいる人。雲泥の差がある。
河原町や先斗町を歩いたけれど、懐かしいという感じは少しも生まれず、やっぱりここもか、と妙な気分に包まれながら歩いていた。
金がなくて食費を上手くやりくりしながら飲む金を捻出していたあの頃、何かとても充実していたものがあった。
色々な気持ちでここを歩いていたよな、と昔を思い出していた。
先斗町で連れて行ってくれたバーではデジャブがあった。現実では一度も来たことがないが「ここには来たことがある」と感じた。
写メを見ていたからではなく、トイレに入る時に、この間取りと奥座敷、見たことがあると感じたのだけれど、もしかしたらこの先思っていたことが現実になるのではないかと、どこか啓示めいたものを酔いの頭の中で泳がせていた。
先日札幌のバーで初対面のお客に絡まれ「こういう自信過剰で礼儀もなっていない勘違いしている人は言ってやったほうがいいよ」と言われた。
こんな自分でも20代のほとんど全てを暗いところで過ごして来た。絶望的な何かを感じて生きるよりも今の方がずっといい。少しぐらい、生きることを誇らせていただいてもバチはあたるまい。
京都には特殊なコミュニティがある。札幌とは少し違って、よりフィクサーに近い繋がりがあることを確認できた。また戻るべきだなと強く感じさせられた一日だった。
2日目は河原町八坂神社東山清水神社と食べ歩きをしながら歩いていった。
阪急河原町駅を降りて薄ら笑いが止まらなくなった。新京極や錦通りを歩きながら、近くにある神社にことごとく5円玉を投げ入れながら、高揚感を隠し切れずにいた。
昨日よりももっと実感めいたものがある。戻った。完全に違う感覚が支配し始めている。散歩から帰ってきて餌を待つ犬の感覚に近いかもしれない。庭に戻ったぞ、と。
案の定、八坂神社では大吉を引いた。
そうだろうとも。今自分は引いてこれる力を持っていると確信できる。
おみくじを結んできて、円山公園でこじんまりした茶屋があったはずだとうろうろとさ迷い探し当て、涼みながら寒天をつるんと食す。
東山で八坂の塔を見ながら、あの時憎しみに完全に心を濁らせた自分や、激しい雨に煙る塔を思い出した。
傘の中から見上げた角からの景色は光り輝き眩しいほどのものへと変わっていた。
同じ場所で同じものを見上げる。あの時の気持ちを思い出しても今とは重なることはなかった。つまり、関空を降りてすぐの気持ちは心の別の場所に隔離されたのだと感じた。
清水寺では夕暮れの雲間から差し込むいく筋もの光に照らされた境内を眺めることができた。
あの時も、今回も、自分の心の中をものの見事に表わしていた。
ホテル近くに帰ると大宮でコンサートをしていた。出店も出ていてまた立ち食い。近くのラーメン屋を屋台の兄ちゃんに勧められ、気になり寄るが個人的にはいつも行っていた、初日に挨拶した店の方が味は好きで、余計にまた食べたくなってきた。
どんな味なのか思い出そうにもちょっと思い出せない。味覚とは、少々曖昧なものなのかもしれない。
3日目は朝に豆腐屋に行き、豆腐で舌鼓を打つ。ブログにも以前書いた清川豆腐店。下手な豆腐料理屋よりもずっとおいしい180円の豆腐。増税でも、お値段据え置き。豆腐屋のおばちゃんも健在だった。
ホテルに戻って食べた後嵐山方面をゆっくりと歩く。天龍寺の蓮の花や無骨さの中に優美さ整う庭を見た後、竹林やその奥へ。トロッコ嵐山駅がお休みで少しがっかりしたけれど、その奥に人形を作るアトリエがあり、別の面白さも発見することができた。
ふと立ち寄った二尊院で鷹司家の墓を見つけることができたし、改めて知識を深めなければと気を引き締めることもできた。
日本一小さな美術館と称する場所では東北出身の方と話が弾み、久しぶりの渡月橋も眺めることができた。
嵐電で降り、祇園祭もぐるりと眺め、屏風を公開する日にまた来ることができたが2年経ってもわからない有様。
成長したのか成長していないのかもわからず、人と待ち合わせのため梅田へ。
迷路のような地下を進み、サラリーマンが集う串カツ屋へ。案内がなければわからないような奥。そこに住んでいないと辿りつくことは難しいし、まず行かないだろう。道に慣れていないものは、入り組んだ先にある無数の中の一店など見つけることができない。だから本流のような大きな道を頼りにして動いていく。時には地図さえも持つだろう。
ハイボールを飲みながら背中に大阪のサラリーマンたちを感じる。目の前には若いサラリーマン。版権物を扱っている会社の社員だから、色々と交換できるものがあった。
今日の心の疲れをビールで流し愚痴を吐き捨てては、また明日の仕事に望む。雑多で庶民的な店の中で思う。お疲れ様です。10時にもなってくると店が空きだす。まだ週の半ば。深酒するにはまだ早い。
京都に帰ってから深夜3時、今度は西院のラーメン屋の店員に会いに。
以前住んでいた時に行った店に久しぶりに飲むことに。
「サラリーマンやっていると野心が削れていきますわ」
仕事終わりで少し疲れたような顔だった。
もっと何かの形で元気付けられたらいいなぁと感じながらも、今は自分の道をまっとうするしかないのだと、そうすることでしか京都には戻れないし、やり遂げなければまず自分が納得しないと感じた。
男の原動力となるものは色々ある。時にそれがスケベ心に始まるものでも、その気持ちが別の世界の入り口を開けることがある。
自分だって今この立場に立つとは思っていなかったし、憎しみから始めたものが繋がって別のものを形成しようとしているのだから、野心など持たなくとも好きになれるものを見つけられるかもしれない。その可能性だけは誰にも否定できない。
未来の可能性だけは、人は人を決め付けられない。
もちろん、可能性とは行為あってこその未来だけれど。
帰りはスクーターでホテルまで送ってもらったけれど、朝日と風がとても心地よかった。ちょっとしたアトラクション感覚で四条通を走り楽しかった。
4日目はさすがに昼まで寝ていて、10時にデザイナーさんと約束していたことをすっかり寝坊で流してしまうという失態を犯し、メールですいませんと謝り、そしてちょっと二度寝をし、島原でおいしいおかきを買い、壬生をうろうろし、お土産を買い、ホテルに戻ってラーメン屋に行く途中、大宮の出店であったお店を発見してしまい、店前で眺めていたらお兄さんと話しこみ結局食べることに。そして2年前からずっと気になっていた店に入りどて焼きを食べる。
今度は歩きながら烏丸へ。昔の記憶を頼りに、昔の記憶をなぞっていく。カジュアルフレンチのレストランがあって、ちょうど2年前の祇園祭の時、停電があって1階が使えなくなり2階席へと移動したことを言うと「懐かしいですね」と言っていた。
まだ同じ店だったんだと感じたけれど、そもそも「祇園祭に停電」というイベントが起こらなければ話はすっと通じなかった。自分の人生にはこのように印象深いイベントが起こることが多い。
本当はデザイナーさんと一緒にいった桜肉の店の2号店を尋ねる予定だったのだけれど、あまりにも懐かしすぎて時間を食い、閉店の時間に辿りついてしまい、せっかくオーナーに「サービスします」という名詞をもらってもいつ使うのかわからず仕舞いで財布の中に入ることになった。
祇園から夜の八坂神社。出店を片付けている最中だった。
夜の八坂神社にも懐かしい気分を抱いていて、2年前に買ってずっと携帯につけていたストラップを取って、5円玉9枚をストラップでまとめ、そして賽銭箱に入れて願い事を捧げた。
その瞬間、完全に区切りができた。
そして再度挨拶をしにラーメン屋に。
久しぶりに食べたけれど、やっぱりおいしかった。豚骨ベースだけれどさっぱりしている。辛子にんにくや酢を加えると1度で3度おいしい。
ラーメン店はたくさんあるけれど、この店はまた戻ってくる時にも残っていて欲しいと強く願った。
5日目は一度くらいは登っておくかと京都タワーで街を眺め、歩き回った街を再認識しながら、また戻ってこようって深呼吸をした。
帰りは晴れ渡っていた。胸の痛みも胃がキリキリすることもない。清々しい気持ちで帰ることができた。
さあ、ここからが本番だ。ここからが、あらゆるものを掴み取ることができるドラマの始まりだ。
気持ちとしては、今そうある。そうあれる。
有難いことだ。
これを本当に「有難し」と言うのだろう。
難あってこその人生ですね。
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