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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

2024

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09/28

Sun

2014

自分の物事への姿勢の浅はかさにとても恥ずかしくなることが多くなり、きちんと調べるべきなのにとあらゆることに対して思う。
何かを言えばきっときちんと調べていないことは、きっと上の人たちはよくわかっているのだ。
そしてそんな浅はかさを見抜いた上で離れるなり寛大に付き合ってくれるなりしてくれている。
知ったことをすぐに使いたがり、知識を披露するのは、とても恥ずかしいことなのだと知った。
その知識の浅さは出せばすぐにわかられてしまう。
ジョージ・カーリンの言葉の中にこんな言葉があった。

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

http://feely.jp/9763/

とてもいい言葉なので全文読んで欲しいけれど、知識にはセンスが必要だし、ただ知っていればいいということではなく、ただ出せばいいというものでもない。
ちゃんと出すタイミングや、その知識が指し示す方向性などを吟味して使うべきなのに、身にもついていない知識を披露し、知ったような素振りで語ることの恥ずかしさというものを身にしみて痛感することが多くなった。
正直色々なものがキツイ。
これからは少しずつきちんとできるよう心がけようと思う。

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08/26

Tue

2014

帯広行ったり彫刻家と出会ったり

ここ一週間ぐらいのことを。
22日から1泊帯広におりました。
23日にやるばんえい競馬ってやつを見に行こうと、ふと思い立ちまして、22日の夜は知人に教えてもらった豚丼屋に並びまして、食べました。
あまり並んでまで食べようと思うタイプなのではないのですが、せっかくなのだから地元民が知る豚丼おすすめスポットで堪能して来ました。
その後ホテルの中で3時間ほどメンバーのお悩み相談。
自分も家族のことで相当精神を病んでいたことがありましたが、外国と言えど似たような事情があって、当時の自分の気持ちを思い出しながら話しを聞くだけでも楽になるだろうなと思いチャットでやりとりしておりました。
なんやかんや香港台湾カナダと広がっているので、今度はヨーロッパ圏のメンバーが欲しい・・・これは蛇足でしたが。
夜は屋台村が帯広にあり北海道はここが元祖。
狭い区画に10店ぐらいの店舗があるのですが、中のスペースは8人ぐらい座れればよい方。
密着した感じがより親近感を抱かせ話も弾みます。
その道路挟んで向かい側にもプレハブのような装いの小さな店が並んだ場所がありました。
屋台村では、あまり混んでいない店で大きなゆり根を食べながら色々と地元のことを聞きました。
十勝という場所はもうブランドになっているからTPPなんぞなんのその。
逆に売り込めるじゃんって話でしたよ。
道路挟んだ場所でも一店入ったのですが、美人に中から微笑まれ、ちょいと負けまして入ったのですが、そこで酔っ払ったお客がいて、高校野球部の監督の話になった時知人なのか「俺そいつ知っているよ。あいつ大っ嫌いなんだ」と話す人がいて、その嫌いな相手の友人が偶然にも真ん中に挟まれる形となり、お客同士一人挟んで3人で談笑していたのですが、さすがに挟まれた人はよい思いをせず、苦笑するあまりでしたが、でもそのおかげでと言ってはなんですが、自分とも話す形となり、ほんの少しの時間でしたが苦笑していた方と会話することができました。
消防署の署長さんなんですって。
また帯広は六花亭というお菓子屋さんの本店がある場所。
その社長さんの名前が出てくるぐらいだから、ああ、どんなところにどんなご縁があるかわからないなとしみじみ思いました。

次の日、前日の雨とは打って変わって晴れ晴れとした天気で、ばんえい競馬を見に。
隣接している十勝村という場所で高橋涼子さんというシンガーソングライターさんと出会いました。
ビラを配っている人に「一曲だけでも聴いていってください」と言われ、そこまで必死になっているのに一曲も聞かないで行くのは、なんだかな、と思い聴いていたら結構綺麗な歌声。
最近いい歌い手さんを自分の作ったコンテンツで使わせてもらえないかなと交渉することがあるのですが、狙い目は会社の所属じゃなくてフリーで立ち回っているっていう人で、ちょうどそのような匂いがしたのもあり、最後まで聞き、CDを一枚買い、話を聞くと次の日に札幌でやるから来てくれとのこと。
ミニライブ風景も見に行けば少しは違った感覚が手に入れられるかもしれないと予定に入れ、ばんえい競馬では人生初めての競馬をやり、3レース全部おじゃん。
結構しっかりとした馬選んだつもりなのですが、馬は見かけによらず、最初小さな山、直線、大きな山、と重い重りを引いて乗り越えていくレースなのですが、その直線で止まっちゃう馬がいる。
賭け事すると変な気持ちが生まれるもので、誰かに金をかけて思いを託しちゃうと「お前なんでそこで止まってしまうんじゃい」って恨みがましい気持ちが芽生えるっていうか、外野にいて、たぶん賭ける金がでかくて、しかも懐に余裕がなくて、せせこましい生活を送っている人間ほど、無理強いをするというか、自分以外の人の気持ちを理解しないというか、そもそも己の立場を超えて理解しようとする考えが浮かばないのではないのかなと、自分の妙な気持ちを考えてみて思いました。
純粋に馬に頑張れっていうんじゃなくて、自分が儲けるために馬に頑張れっていう気持ちが大きくなっていきそうな怖さが、何か自分を後ろめたい気持ちにさせちゃうんです。
純粋に馬を応援できる人は素晴らしいなとも思います。
ですがね、さすがに競馬場ほどではないにしろ、やっぱりどこかしら見た目からうさんくさそうな人はちらほらいる。ギャンブルやる人の中には金銭における勝った負けたで興奮する人の方が断然多いのだろうなと感じました。
ばんえいはスピードがない。
早足で歩いて追いつく程度のレース。
一レース1分半少々。
そういう、競馬で抱くようなイメージとはまったく違う、力強く大地を踏みしめていくレースなので、もう少し別の切り口が必要なのではないかと感じさせた。
その後十勝村で無かん水麺を使用した牛乳ラーメン塩味を食し、卵麺と小麦麺の中間のような硬さで甘みのある新しい食感の麺に感動し、そして駅でチーズケーキのような味わいのソフトクリームを食べて札幌に帰りました。

翌日高橋涼子さんのミニライブで綺麗な歌声を堪能し、そのライブ会場で昨日ばんえい競馬の会場にいたニュージャージーから来たという人を見かけ少し話し、マスターとも少し話しこみ、すすきのへ。
最近出入りしている面白いコミュニティのバーへ行ったのですけれど、衝撃的な出会いをしました。
谷本洋さんという陶芸家の方で、さらに自分にとって幸運なのは質問者が偶然にも同席してくれて色々聞いてくれたっていうのがよかった。
自分も感性を失わずに生きてこようと思ってきたけれど、彼の感覚に比べれば浅すぎて己に噴飯するほど。
芸術家としてはサラブレッドですが、それでもよほど苦労なされたのだということは経歴からも話からもわかり、表現が明瞭。
冗長なところは一切なく、素直な質問者もいるので、意地悪な質問もしたかったけれど、答えを聞いていて何が返ってくるのかうっすらと見えて、そして人間の器としても芸術家の感性としても、まず桁が違うってことを感じさせてくれて、本当に逃げ出したい気分にもなった一日でした。
映画でアマデウスってやつがありましたけれど、モーツァルトに嫉妬するサリエリの気持ちが正直また一つわかりました。
いや、本当に、ごめんなさい、自分性格悪いものですぐ批判癖が出てくるのですが、この方はもう素晴らしい。
本当によい出会いをさせていただいたとともに、このようなことを書くのもおこがましく、またわかりきったことですが、未熟さを再認識したと同時に、自分が何を失いかけてきて、そして荒みかけているのかもよくわかりました。
私はこの方といっぱいお話したいけれど、私は口を開くよりも前に、作品をどんどん作ることの方が先なのではないかと思わされました。
さすがにモノをちゃんと作っているだけの人で、ちょっとした話にも惑わされない。きちんとその人を見ようとする。その腰の落ち着け方一つでさえ、今の自分には到底及ばない。つまり、モノづくりの一人としては、手ぬるすぎるところにいるのだということ。
だから会いたいけれど、今は話すことが何もない。
そういう人でした。

今日もまた同じ場所でお会いすることができたのですが、彼が帰った後、彼が持って来て下さってマスターにプレゼントした器でマスターのはからいで特別に飲ませていただいたのですが、最初日本酒、最後にはラム酒を注いでみました。
深い茶褐色のような、なんとも言えない色合いなのですが、中に貝殻の図があり、そこから太陽のフレアのように一回転半外の淵に向かって渦を巻いている。
乾いている時には砂のように大変味気がなく、かといって、見るものに無意味さを与えるものではないかのような、若干歪で趣のあり、手のぬくもりが入っている器だったのだけれど、手の平に納まりそうなその器は濡らすと非常に官能的で、舌を伸ばしたくなるようなほど艶めいていて、水面に浮かぶ光は器の中で乱反射していくつも浮かぶようだった。
特に琥珀色の液体を入れたとき、中にまるで土星のような迫力が浮かんだ。
「こいつは地球を越えたね」
とマスターが言ったが、まるで燃え盛る炎を見るようだった。
器の表面にまでバシバシと火花を散らし、偶発的なように見えて計算的な炎の踊りを間近で見た。
そいつを大事に飲み、そして家に帰ってきた。

その方は優しい人だった。
わざわざこんな野良犬の遠吠えにも振り向いてくれるような人なのだから。
いつか、この方と強烈なインスピレーションを交換し合えるよう、己の中にある「刃」を「血」を、もっともっと純なものへと近づけなければいけないなと勉強させていただいた。
そして高橋涼子さん。
小さな規模ではあるけれど、ちゃんとファンがついていて、そして小さな規模だけれどちゃんとやっていける。
それを見させてもらった。
これから団体を動かしていくのに、人数につきどれだけの規模を作らなければいけないのか指標ができた。
色々と勉強させていただくことが多く、収穫の多い一週間だった。
彼女が居なければ谷本さんに出会うこともなかった。
そういう偶然の連鎖が、言うなれば幸運の連鎖が、今の自分を少しずつ作り上げている。

ありがとうございます。


※後で追記。
先日またちょっとした縁でばんえいの騎手に兄貴がいるという方と話したのですけれど、「どうして馬は途中で止まるのか」「騎手はどうして後ろに引っ張るのか」という理由が判明しました。
まずペース配分しないと馬の心臓がやばくなるということと、後ろに引っ張ってペースを保つ。
そして同時に後ろに引っ張らなければ前のめりに倒れることがあるということ。
ようは馬の体を壊さないようにとの配慮も入っているのだそう。
そこがわからなければ普通の競馬に慣れている人は苛々するよね、と言っていました。
そういうのちゃんとわかっていれば、もう少し見方も変わったんだけどね。
普通の競馬と違うならばちゃんと違いを説明しないと面白みがわかりませんね。
ということで、その騎手の嫁さんがやっている店が屋台村のすぐ近くにあるということが判明したので、またちょっと尋ねる理由ができました。

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08/09

Sat

2014

国家の国民として

指導者がいかに高尚なことをのたまっても、その指導者についてくる人間はすべて高尚というわけではない。
人は感情に振り回されるどうしようもない生き物で、自分すらも制御できない。
特に怒りや憎しみや嫉妬や焦燥。
そういった心の狭さが自分を苦しめ他人に危害を加えることは多々ある。
別に指導者じゃなくとも個人の問題として感情と行為の問題は常に付きまとう。
今日も世界のどこかで戦争をやっている。
贅沢な暮らしをして、明日の仕事や生活のことを考えながら、自分には災難は起きないと安心して生きている。
とても平和な事だ。平和ボケをしていると言う人もいる。
この国では年間3万人ほど自殺者がいる。
特に60歳以上の人間が1万人だが、50歳以下の人たちが1万人以上毎年亡くなっている。
40代が5千人。
私の世代の30代が4千人。
未来ある20代が3千人。
この数値は毎年出ている。
今戦争で1年あたり健康な1万人の人間が死んだら、この国の人は何と言うのだろう。
本当にこの国は「いい国」なのだろうか。
ある人が「投資」と「消費」のお金の質は違うと言っていた。
その内容のことをまだ調べられずにいるのだけれど、私たちは一体何に対してお金を払っているのだろう。
「税金」ってやつもある。
お金を無視した行為もある。人に対するちょっとした優しさだ。
無関心であれば、係わり合いがなければ、ある問題に対してまったく関係のない自分がいる、まったく関係のない生活を送れる。
どこかでそう思っているんじゃないだろうか。
いや、正直に告白すると自分がそのクチなんだ。
だって、何もできないじゃないか。悩んでいる人はたぶんいないさ、だなんて思い込んでる。それよりもお財布の中身や次の給料や報酬の振込みのことなんて考えている。
個人の小さな問題が、日々の全てだ。
許せないタイプの人間がいる。その許せなさで苛立って、どうしようもなくなる。
きっとその人にもいいところはあるはずだし、悪人というわけではない。
悪人でもないのに許せないのだ。おかしなことだ。
その感情が他人を苦しめているのはわかっている。
私は感情に振り回される。酒に頼って忘れることが多すぎる。ツイッターなんかにも愚痴めいたことをたくさん書いてしまうような愚かな人間だ。
こんな私でも愛してくれた人がいたし、今でも好きになってくれる人がいる。
その「愛情」を糧にして生きている。生きられる。
惜しみなくとは言わないが、芸術活動に対してプレゼントやチップをくれる人もいる。
そういうのがなかったら、自分は生きる気力を持っていただろうか。
他の人はどうだろうか。愛するものがあって、愛されることがあって、だからこそ困難にも立ち向かえたのではないだろうか。
「隣人を愛せるかどうか」「愛するものを見つけられるか」というのは、個人の大きな問題だ。
そして私たちがお金を手放す時、税金にしろ買い物にしろ投資にしろ、もう少し真剣に考えた方がいいのではないか。
そして将来何を残したいのか育てたいのか、そのためにできる自分の優しさを問い続けた方がいい。
本当に優しくあるには、あらゆるものを受け止めなければいけない。
それらのことはきっと、この国の礎になっていくはずだと私は信じている。

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07/27

Sun

2014

優しいという、なにか。

ショッピングモールのトイレに近い目立たないベンチに平日たまに座っている男がいる。ある日気がついて気にするようになったのだが、土日にはいない。平日だけだ。携帯をずっといじっていて、そして夕方ぐらいになると去る。色々予想はできるが、すべて邪推にしか過ぎないので止めておく。一つ言えることは、目が乾いていて優しくない。あらゆるものへの無力感か、それとも憎しみか。あの手の目をした人間にもう少しだけ否定するようなことを与えていくと、もう人を大事にしないだろう。モノみたく、復讐の手っ取り早い象徴を打ち砕くように、人を扱っていくだろう。いや、これもただの邪推だが。
先日、変な事があった。交差点をゆるゆると自転車で渡りきり、赤信号で待っていたのだが、赤信号で向こう側から渡ってきた男に突然すれ違い様に「キチガイ」と言われたり、人が片側を歩いていてその後ろを自転車の中年が走っていて、私は先にスピードを上げて片側を走りぬけたら、自転車の男に舌打ちされたり。
別に自分のことじゃなかったのかもしれない。だけれど、なんか変だなと思ったやつにはあまり関わり合いたくないのが人間だと思う。
人が人に対して優しくできるのはどこまでなのだろうと思う。人間性によっては限界というものだってある。自分だって例外ではなく変わっているから、ある日ポイと捨てられてしまうかもしれないし、ゆっくりと周囲の人は距離を取り出すかもしれない。
どうなったとしても、自分は自分でやるべきことをコツコツとやっていきながら、永遠に未完の芸術性ってやつを追い求めていくしかないのだけれど。

そういえば、先日三線を弾く人に出会った。その人は馬頭琴奏者も知っているとのことで、札幌にもそんな人間がいるんだなと地元の力を再発見したようで嬉しかった。
でもそれらはバラバラに存在していて、自分だってたまたまレストランのカウンターの横に座らなければ知りも出来ない人だった。
最近ちょこちょこと出会うミュージシャンの人だって自分が出向かなければ出会えなかった。
その人たちの力を結集して意表をついたバンドチームで音楽を奏でたいとか色々夢は膨らむけれど、まだまだ求心力が足りないし、人望も名声もない。
それにきっとプロの人たちだからさすがに無償でというわけにもいかないだろう。
例えば最近は名刺交換のようにFacebookでアカウントを教えあうことができる。人数は増えるのだけれど、知り合いなだけで友達と言うわけでも仲間と言うわけでもない。そこが勘違いしやすいところなのだけど、いつか一緒に素敵な事できないかなと願い続けているわけです。

どうしたら新しいことができるだろう。古臭くても今までなかったものを地域に根付かせたりできたら楽しい。
現代人は疑りあっているようで人を求めている。寂しさに耐えきれるほど人間は自分に都合よく生きられない。必ず弱さを包み隠し、弱さを包み隠すからこそ矛盾を抱えている。

自分はとても批判的だ。それがよくわかる。嫌なものは嫌だ。結構ハッキリしている。
もう少し寛容に我慢を自分に強いたほうがいいのだろうか。それとも自分に苦労が足りないから我慢ができないのか。ツイッターじゃ批判的な事ばかり書いていたりするから右肩下がりで人が離れていくし、先日も思いもよらない人から「私のこと?」と聞かれて何のことを言われているのかわからなかったりした。
自分が許せないのもあるのかもしれない。
自己分析したって今の自分に必要なのは膨大な知識と経験だ。
後はやり遂げる精神力と集中力。これは大事。

人は人に対してどこまでしたら「優しい」と言えるのだろう。
「赦す」っていうのは、相手の過ちを含めた全てを「赦せ」ばいいのだろうか。
自分にはわからない。今の自分にはとうてい理解できない。
ツイッターでの批判は自分への杭でもあるのだけれど、たまに忘れる。
忘れるってことはいいことなのかもしれないけれど、忘れる前にこなさなければいけない課題を放っておくと人生の中でまた同じ課題に直面する。
たまに憎しみや苛立ちや怒りを抱えている自分が嫌になってくる。
どうしようもできなくて酒に頼るのも嫌だ。
でもまあ、弱さがあって、それと上手く付き合っていくのが人生だ。
弱さを否定したり、肯定を超えて押し付けるようになったら、きっと今以上ダメなところに戻ってしまう。
自分が弱いから人にも優しくするというのは、ただの自己弁護のすり替えみたいで嫌だ。
だから、もう少し強くならないとと日々思うけれど、財布の中身は削れてスッカラカンだ。
まだそれで精神が廃れることはないけれど、でも、一番初めに書いたような人たちみたいになるのは自分の心では簡単な事だ。
長い間荒んでいた心はそんなに簡単に綺麗にはならない。

まあ、頑張るしかないのだけどね。

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07/21

Mon

2014


1年と4ヶ月前、同じ飛行機で関空を立ち、同じ飛行機でまた関空へと戻った。
嫌な気持ちでずっと過ごして来た1年だった。
関空に到着し、飛行機から降りて激しいにわか雨に打たれ、第2ターミナル内を歩くと嫌な気持ちがフラッシュバックし、大阪で親戚の小料理屋を訪ねる時も胃がキリキリしていた。
数ヶ月前、もし京都に行くなら尋ねてと札幌にいる親戚から名詞をもらっていた。
「私の妹の娘たちがお店出しているから」
その小料理屋では、ちょうど予約が入っており、その予約のおかげで京都から親戚が手伝いに来ていて話が通じた。
オヤジの小さい頃の姿を知っているといい、「ああ、武ちゃんの息子さん」と喜んでくれた。
歯ごたえのある新鮮な刺身もご馳走してくれ、幸先のよいスタートだと感じ京都へと入る。
ホテルは昔住んでいた場所の近くの大宮。前は西院に住んでいた。
阪急電鉄の駅は「さいいん」と言う。だが京福電気鉄道、通称嵐電は「さい」と読ませる。
よく知られる「賽の河原」とはこの「西院」のことだと言われている。
西大路通りから西は魔界と呼ばれていたらしい。
その魔界に入ったすぐの小道に飲食店が並んでいて、以前住んでいた頃、そこで自分の団体のロゴを描いてくれたデザイナーさんと出会った。
京都に着き、まずお世話になったラーメン屋に入ると、すぐに店長が気がついてくれて、
「お久しぶりですね。どれぐらい経ちましたか。もうそんな経ちましたか。そんな経ったようには感じませんね」
顔を覚えてくれていたのがとても嬉しかった。
ほとんど街も変わっていなくて、懐かしいというよりも、普通に近所を歩いているような感覚だった。
その後デザイナーさんと夜に河原町の丸井で会うと、
「なんかfacebookでやりとりしているので、久しぶりだと感じませんね」
前はバー内の暗いところで話していたので、明るいところで面と向かうのは初めてだったけれど久しぶりの再会に心が躍った。
桜肉の刺身を食べながら、互いに近況を喋りあう。と言っても、自分はまだ決定していない可能性の世界。あちらはデザイナー業と兼業で稼いでいる人。雲泥の差がある。
河原町や先斗町を歩いたけれど、懐かしいという感じは少しも生まれず、やっぱりここもか、と妙な気分に包まれながら歩いていた。
金がなくて食費を上手くやりくりしながら飲む金を捻出していたあの頃、何かとても充実していたものがあった。
色々な気持ちでここを歩いていたよな、と昔を思い出していた。
先斗町で連れて行ってくれたバーではデジャブがあった。現実では一度も来たことがないが「ここには来たことがある」と感じた。
写メを見ていたからではなく、トイレに入る時に、この間取りと奥座敷、見たことがあると感じたのだけれど、もしかしたらこの先思っていたことが現実になるのではないかと、どこか啓示めいたものを酔いの頭の中で泳がせていた。
先日札幌のバーで初対面のお客に絡まれ「こういう自信過剰で礼儀もなっていない勘違いしている人は言ってやったほうがいいよ」と言われた。
こんな自分でも20代のほとんど全てを暗いところで過ごして来た。絶望的な何かを感じて生きるよりも今の方がずっといい。少しぐらい、生きることを誇らせていただいてもバチはあたるまい。
京都には特殊なコミュニティがある。札幌とは少し違って、よりフィクサーに近い繋がりがあることを確認できた。また戻るべきだなと強く感じさせられた一日だった。
2日目は河原町八坂神社東山清水神社と食べ歩きをしながら歩いていった。
阪急河原町駅を降りて薄ら笑いが止まらなくなった。新京極や錦通りを歩きながら、近くにある神社にことごとく5円玉を投げ入れながら、高揚感を隠し切れずにいた。
昨日よりももっと実感めいたものがある。戻った。完全に違う感覚が支配し始めている。散歩から帰ってきて餌を待つ犬の感覚に近いかもしれない。庭に戻ったぞ、と。
案の定、八坂神社では大吉を引いた。

そうだろうとも。今自分は引いてこれる力を持っていると確信できる。
おみくじを結んできて、円山公園でこじんまりした茶屋があったはずだとうろうろとさ迷い探し当て、涼みながら寒天をつるんと食す。
東山で八坂の塔を見ながら、あの時憎しみに完全に心を濁らせた自分や、激しい雨に煙る塔を思い出した。

傘の中から見上げた角からの景色は光り輝き眩しいほどのものへと変わっていた。
同じ場所で同じものを見上げる。あの時の気持ちを思い出しても今とは重なることはなかった。つまり、関空を降りてすぐの気持ちは心の別の場所に隔離されたのだと感じた。
清水寺では夕暮れの雲間から差し込むいく筋もの光に照らされた境内を眺めることができた。
あの時も、今回も、自分の心の中をものの見事に表わしていた。

ホテル近くに帰ると大宮でコンサートをしていた。出店も出ていてまた立ち食い。近くのラーメン屋を屋台の兄ちゃんに勧められ、気になり寄るが個人的にはいつも行っていた、初日に挨拶した店の方が味は好きで、余計にまた食べたくなってきた。
どんな味なのか思い出そうにもちょっと思い出せない。味覚とは、少々曖昧なものなのかもしれない。
3日目は朝に豆腐屋に行き、豆腐で舌鼓を打つ。ブログにも以前書いた清川豆腐店。下手な豆腐料理屋よりもずっとおいしい180円の豆腐。増税でも、お値段据え置き。豆腐屋のおばちゃんも健在だった。
ホテルに戻って食べた後嵐山方面をゆっくりと歩く。天龍寺の蓮の花や無骨さの中に優美さ整う庭を見た後、竹林やその奥へ。トロッコ嵐山駅がお休みで少しがっかりしたけれど、その奥に人形を作るアトリエがあり、別の面白さも発見することができた。
ふと立ち寄った二尊院で鷹司家の墓を見つけることができたし、改めて知識を深めなければと気を引き締めることもできた。
日本一小さな美術館と称する場所では東北出身の方と話が弾み、久しぶりの渡月橋も眺めることができた。
嵐電で降り、祇園祭もぐるりと眺め、屏風を公開する日にまた来ることができたが2年経ってもわからない有様。
成長したのか成長していないのかもわからず、人と待ち合わせのため梅田へ。
迷路のような地下を進み、サラリーマンが集う串カツ屋へ。案内がなければわからないような奥。そこに住んでいないと辿りつくことは難しいし、まず行かないだろう。道に慣れていないものは、入り組んだ先にある無数の中の一店など見つけることができない。だから本流のような大きな道を頼りにして動いていく。時には地図さえも持つだろう。
ハイボールを飲みながら背中に大阪のサラリーマンたちを感じる。目の前には若いサラリーマン。版権物を扱っている会社の社員だから、色々と交換できるものがあった。
今日の心の疲れをビールで流し愚痴を吐き捨てては、また明日の仕事に望む。雑多で庶民的な店の中で思う。お疲れ様です。10時にもなってくると店が空きだす。まだ週の半ば。深酒するにはまだ早い。
京都に帰ってから深夜3時、今度は西院のラーメン屋の店員に会いに。
以前住んでいた時に行った店に久しぶりに飲むことに。
「サラリーマンやっていると野心が削れていきますわ」
仕事終わりで少し疲れたような顔だった。
もっと何かの形で元気付けられたらいいなぁと感じながらも、今は自分の道をまっとうするしかないのだと、そうすることでしか京都には戻れないし、やり遂げなければまず自分が納得しないと感じた。
男の原動力となるものは色々ある。時にそれがスケベ心に始まるものでも、その気持ちが別の世界の入り口を開けることがある。
自分だって今この立場に立つとは思っていなかったし、憎しみから始めたものが繋がって別のものを形成しようとしているのだから、野心など持たなくとも好きになれるものを見つけられるかもしれない。その可能性だけは誰にも否定できない。
未来の可能性だけは、人は人を決め付けられない。
もちろん、可能性とは行為あってこその未来だけれど。
帰りはスクーターでホテルまで送ってもらったけれど、朝日と風がとても心地よかった。ちょっとしたアトラクション感覚で四条通を走り楽しかった。
4日目はさすがに昼まで寝ていて、10時にデザイナーさんと約束していたことをすっかり寝坊で流してしまうという失態を犯し、メールですいませんと謝り、そしてちょっと二度寝をし、島原でおいしいおかきを買い、壬生をうろうろし、お土産を買い、ホテルに戻ってラーメン屋に行く途中、大宮の出店であったお店を発見してしまい、店前で眺めていたらお兄さんと話しこみ結局食べることに。そして2年前からずっと気になっていた店に入りどて焼きを食べる。
今度は歩きながら烏丸へ。昔の記憶を頼りに、昔の記憶をなぞっていく。カジュアルフレンチのレストランがあって、ちょうど2年前の祇園祭の時、停電があって1階が使えなくなり2階席へと移動したことを言うと「懐かしいですね」と言っていた。
まだ同じ店だったんだと感じたけれど、そもそも「祇園祭に停電」というイベントが起こらなければ話はすっと通じなかった。自分の人生にはこのように印象深いイベントが起こることが多い。
本当はデザイナーさんと一緒にいった桜肉の店の2号店を尋ねる予定だったのだけれど、あまりにも懐かしすぎて時間を食い、閉店の時間に辿りついてしまい、せっかくオーナーに「サービスします」という名詞をもらってもいつ使うのかわからず仕舞いで財布の中に入ることになった。
祇園から夜の八坂神社。出店を片付けている最中だった。
夜の八坂神社にも懐かしい気分を抱いていて、2年前に買ってずっと携帯につけていたストラップを取って、5円玉9枚をストラップでまとめ、そして賽銭箱に入れて願い事を捧げた。
その瞬間、完全に区切りができた。
そして再度挨拶をしにラーメン屋に。
久しぶりに食べたけれど、やっぱりおいしかった。豚骨ベースだけれどさっぱりしている。辛子にんにくや酢を加えると1度で3度おいしい。
ラーメン店はたくさんあるけれど、この店はまた戻ってくる時にも残っていて欲しいと強く願った。
5日目は一度くらいは登っておくかと京都タワーで街を眺め、歩き回った街を再認識しながら、また戻ってこようって深呼吸をした。
帰りは晴れ渡っていた。胸の痛みも胃がキリキリすることもない。清々しい気持ちで帰ることができた。

さあ、ここからが本番だ。ここからが、あらゆるものを掴み取ることができるドラマの始まりだ。
気持ちとしては、今そうある。そうあれる。
有難いことだ。
これを本当に「有難し」と言うのだろう。
難あってこその人生ですね。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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