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あさかぜさんは見た

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11/24

Sun

2024

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10/23

Tue

2012

時代祭 平安神宮と北海道神宮と

今月14日に春日祭というのがありまして、西院にてふと眺めておったのですが、鼓笛隊の音色に「おや?」と思ったのであります。
メロディーラインがどこかで聞いたことのあるような、っていうか毎年聞いている北海道神宮の札幌祭で行列の鼓笛隊が奏でるやつではありませんか、と思ったのです。
でもちょっとスローというか、違う気もしたのですが、聞いてみればわかるとまず北海道に電話。
維新勤王隊に来てもらった大正15年からやってるんだって。
大元は平安神宮とのこと。
ハキハキと答えてもらい、今まで気にしていなかった、あのメロディーが実は京都に繋がっていたとは知りませんでした。
一方春日神社の方は、しっとりと答えていただきました。
維新勤王隊が奏でているメロディーは山国隊というのが元らしい。
こちらも平安神宮から持ってきているとの回答でした。

ちなみに動画見つけたので比べてみましょうか。

最初は北海道神宮。


時代祭。


春日祭。


例えば京都の祭りは道路を占拠するものが多いので警察が必ず出動するのですが、可道路封鎖のお知らせの看板には「神事につき」と春日祭の時は書いてありましたよ。
神様と一体の街なんですね。

春日祭の様子。











時代祭の様子。


























肉眼ですと少々わかりづらいのですが衣装や道具などは、細部まで細かいです。
あ、たまに影がありますが人ごみの中から映したのでごかんべんを。

近代から古代へと時代を遡りながら当時の衣装などを再現する人間絵巻ということみたいなのですが、先頭から最後尾まで2時間少々の長い行列です。
観光案内所の学生さん曰く「京都には屈辱的な時代があって、そこだけ抜けている」とのことですが、今回は割愛。
来年の時代祭りは平安神宮前できちんと待機して、しっかり事前調査してから行けそうです。
まずは今年はどんなものか下見。
来年は立脚も用意しないといけませんな。

しかしまあ、時代祭りへの突っ込みたいところは、時代絵巻物ならメガネの人とか私服で馬引くとかはちょっとよして欲しいなと思ってしまいました。
特にキャスティングがどうなっているのかわかりませんが、ほぼ先頭を彩る維新志士たちのぐたりとしたこと。
威厳がない。
しゃきっとしてない。
ただ歩いているという感じ。
あれは拍子抜けしちゃう。
なんか背筋が曲がっててダラダラと歩かれると、風味の抜けたかつお出汁のように「もったいない感」が漂ってしまう。

その日の夜、鞍馬のほうで火祭りがあったのですが、私はお財布の関係でここでダウン。
色々使い果たしてしまいました。
イベント多いからすぐ足りなくなっちゃうよ。
帰り際に外人の人に電車の切符の買い方がわからないと英語で尋ねられ、片言で頑張って案内してきたけれど、本当にこの京都は観光客の多いことで。
ああ、英語はなせれば、ここでビジネスできるじゃないですか、と思ったしだい。
夢は果てしなく続きそうです。

今回はざっくりと様子だけということで今日はここらで。

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10/20

Sat

2012

「芥川賞取ってよ」

「芥川賞取ってよ」
と言われ、
「あ、はい。わかりました」
と返事をしてしまった私。
タロットカードと「お話」ができる占い師気質の人に言われたものだから、やったらいいことあるかも、なーんて思っちゃった次第。
返事しちゃったからにはやらなきゃいけないもんね!

さて、今書いているもので芥川賞を取ってくれとオーダーが出てしまい、はてさて、芥川賞は公募形式ではなく、あちらさんが勝手に出版されたものの中から選び取っていく賞。
だから、ざっくり言っちゃえば「身内の賞」なわけです。
候補作品が選ばれるまでにどんなやり取りがあるのかもわからないしね。

今書いている作品の性格上何がよいのかなと、数日前に下の右親知らずを一本「摘出」いたしまして(抜歯じゃなくて摘出です、と言われ抜かれました。何針か縫ったのよ)、非常にグロッキーな状態で作品にぴったりな文学賞を探していたら、ありました。
「太宰治賞」
またここに挑戦するのかと妙な気持ちではありますが、来年の六月発表で七月発表の芥川賞選考には間に合うでありましょうから、これしかないわけです。
っていうか、その前に書かなきゃいけないものがあるので、缶詰しなきゃいけない。
取れるのかなー、いけんのかなー、太宰治賞で芥川賞というのも皮肉、というより太宰自身が芥川賞を渇望して取れなかったという因縁がありますから、もしこのダブル受賞など成し遂げたら、夢枕に彼が立って私など呪われてしまうかも。

なーんて、また取らぬ狸の皮算用では逃したときの私の精神的ダメージが大きいので、気楽にやろうと思います。
この賞なんせ相当しっかり文章書かないと及びもしない賞。

京都に来て色々祭りを見ながら気がついたことも記事にしたいし、調べたいものたくさん出てきたし、浮気心がたくさんあり集中できなくて大変です。
まずは完成させないとね。

P.S.
口が小さいのでいつも歯医者ではこじ開けられます。
なので今回も口の端が切れたまま四日ほどたっておりますが、殴られたみたいに切れていて食べるために口を開けるたびに口の端が切れるのでちょっと大変。
術後も特に異変なく過ごしております。

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10/15

Mon

2012

やましな駅前 陶灯路(とうとうろ)



かつて私たちは「密会」をしていた。
暗闇の中の自然の光の中で、心を打ち明けあっていた。
灯篭や行灯や提灯の薄明かりに照らされながら。
京は、その「密会」によって歴史が動くことが多かったことだろう。
陰謀を張り巡らすものたちは獣のように息を潜め、周囲の物音に気を配っていたであろうし、男女の間においては語られぬ数多くの恋物語が生まれては消えていったのであろう。

烏丸駅近くのビルの中にあった観光案内所で偶然出会った学生さんの案内で知ることになったこのイベント。
大きな祭りではないが、一区画ほどのメイン会場に清水焼や切子ガラスの器の中にキャンドルが灯されている。

清水焼は高価なものもあり、焼き物の灯篭にいたっては現役作家が無償で提供しているのだそう。
作家と地域と人を繋ごうという狙いがあると言っていた。
京都橘大学の学生と教授が一体となって山科区を巻き込んでイベントを企画するという試みで、会場のスタッフにも学生さんを見かけることが多かった。





日本という国は世界の中でもひときわ明るい。
宇宙から日本を見たとき、他の国にはないほど輝いている。
私たちは「明るさ」を追ってきた。
たくさんの電気を使い、便利な世の中にし、そして「明るみ」のある人間を求め、「暗闇」を押しやっていった。
表現という領域においても、「明示」され、わかりやすく、面白く、「秘密」めいた表現は避けられ、観客に考えさせるようなものが徐々に少なくなってきている。
「密会」には、人様に打ち明けられないような暗いイメージが付きまとう。



明るくない人間にはやましいことがあるのでは、と疑われるくらい私たちは「明るさ」を信じている。
無駄に「暗闇」に想像を膨らませ、余計な詮索をしなくてもいいように。

例えば『ゲゲゲの鬼太郎』という水木しげるの代表作品がある。
昔のアニメは白黒なのはしょうがないが、何度もリメイクされて最近も放送された。
その放送を見たとき、年代を追うごとにハイトーンになっていることに気がついた。
現代版は「暗色」が避けられ「明色」が主に使われているのだ。
現代人はあふれ返った情報の中から想像を「編集」している。
明示された情報の中から切り貼りして物事を理解しようとしている。
「暗部」と言えば、「よからぬ部分」という意味だ。
都会では夜空の星さえもよく見えぬほど明るいため、星を美しいとはなかなか思えない。





「暗闇」には「秘密」がある。
心理的にも明るいより暗い方が互いが密着しやすくなるし、不思議と打ち溶け合ってきて秘密を打ち明けたくなる気持ちがふわふわと浮き出てくる。
うまく見えないからこそ、たくさんの想像力をかきたてられるし、キャンドルの灯りで浮かび上がる陶器から、作家が何を思って作ったのかを様々な角度から考えさせられる。
光を通じて陶器が密やかに語りかけてくる。
芸術には想いがあるし、祭りには心がある。



おそらく古今東西「暗闇」と「不安」はセットで付きまとっているものだろうと思う。
「秘め事」もそう。
人間が最も想像力を働かせるのは「恋」と「恐怖」だ。
月明かりに浮かぶ波紋は「恋」をしていれば美しいと思うし、「恐怖」にかられているのならば気配として恐れる。
キャンドルの中に浮かぶ人の影を見ると、どこかほっとし、新しい出会いがあるのではないかと期待する。
暗闇の中に浮かぶ自然の明るみは、人のあたたかさと同じくらいの明るさではないだろうか。
見えていても見えないものがたくさんあるのが人で、しかし見えないからといって冷たいというわけではない。
本当の「物語」は、「暗闇」の中から数え切れないほど生まれる。
「語り」と「騙り」は同じだから。



今年のテーマは「かぐやひめ」だったそうだ。
書も学生さんたちが用意したもので、暗闇の中でストーリーを追えるようになっていた。





私たちは「明暗」の中にいる。
それは命というものを使って歩んでいる、この今でこそ「明暗」なのだ。
「明暗」があるから「尊ぶ」気持ちも生まれるのだろう。
たくさんの想像力の中に、また新しいストーリーが生まれることもあるし、新しいストーリーの中で、たくさんの想いが生まれるのだろう。
懸命に学生さんたちが企画し、小さな会場では生演奏も聞けて、ついつい酒に手を出しほろ酔いで歩いた秋の一日。
美しき密会をさせてもらいました。
よい出会いをしたことに感謝です。

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10/07

Sun

2012

昨日壬生狂言を見てまいりました。
狂言は生まれて初めてで、能よりかはわかりやすいものの、身振り手振りのみで示すため、やはり下知識がないと何を示しているのか少しわからない部分もあり、パンフレットを買い、それを見ながら楽しんでまいりました。
壬生狂言は口頭伝承だそうで、今でもしっかり伝承され、そして楽しんでいる人たちを見ると、歴史というものを感じると共に、一番派手な演出のある「土蜘蛛」が終わったら結構な人が帰っていったところに、やはり現代はエンターテイメント性がないといかんのか、帰っていった人たち、とも思ったりなんかしたり。
「眠くなるなぁ」
と京都弁でしゃべっていた観客がいらっしゃりましたな。
3日にわたってあり、今日明日と連続で6演目やるようです。
私は用事が有るので1日だけ。

壬生寺、というと全国的に有名なのは狂言よりも、もしかしたら新撰組のほうかもしれないと思いましたが、壬生寺=新撰組ではなく、歴史はもっと深いようです。

壬生寺は正暦2年(991)、園城寺(三井寺)の快賢僧都によって創建され、古い名を地蔵院、宝幢三昧寺、などと号した。
壬生寺公式HP

とありますので、地元の人からしてみれば新撰組など勝手に居座ったような心地になりますでしょうな。
しかし今ではしっかり新撰組のお寺としてお寺側から積極的にアピールされてます。
この近くは新撰組ゆかりの建物も残されていてファンが巡礼するコースにもなっています。

さて、壬生狂言。
昨日の題目は賽の河原、土蜘蛛、大原女(おはらめ)、大沸供養、橋弁慶、棒振、と最後の棒振りは締めの演技なので、全6演目、なんと13時から17時半までずっとやり、800円で鑑賞できるというお得なものなのです。
一番の見所は「土蜘蛛」で、こちら土蜘蛛が手から紙のテープを幾筋にも放つという見た目にも派手だし、2階ほどの舞台から下へと飛び降りるシーンもあり、演出が一番驚きに満ちています。
最初の「賽の河原」も地獄の鬼が子供の舌を引っこ抜いたり、釜で煮たり、むしゃむしゃ食べたりと、恐ろしい姿が舞台上で展開されます。
大人は「わー」と釜の中から子供の代わりの人形が出てきたときなど驚いていましたが、想像力豊かな子供は夜眠れなくなりますね。
私昔小さな頃住んでいた家に、なんとトイレの扉の上のほうに鬼のお面があり、ちびりそうになりながらトイレに入っていっていた記憶があります。
壬生狂言は仮面の劇なので、それはもう鬼の仮面は恐ろしいわけです。
あの仮面も長年伝えられてきているものなのかもしれませんね。
「大原女」は立小便はするわ、腰布で洗った手は拭くわ、人のハンカチで鼻はかみまくるわ、そりゃーもうお下品な老婆が出てきまして、その品のなさが喜劇なのですが、男のスケベ心もまた笑いを誘うところです。
一番解説が必要なのが「大沸供養」で、敵討ちという部分は解説文を読まないとなかなか見えてこない。老婆との離別を名残惜しくしているシーンと敵方の懐に侵入しつつ掃除下手なシーンは緊張感があってよかったな。
「橋弁慶」は牛若役の小さい子がばったばったと現れる敵を切り倒していくというのが見ものというか、切られ役も小さな子などがいるので、たぶんお母様方とその関係者たちが見に来て「ああ、我が子も頑張っているわ」と自慢げに話すのが主の話でした。
っていうか、せっかくの子役の登場にもカメラで撮影禁止だから勇士を映せないんだよね。残念。
「棒振」は厄払いの役目があるんですって。
そのまま締めで「棒を振る」という感じです。
この時間になると暗くなってきて半袖では肌寒かった。

こちら側に来るとこういう民間伝承に近い形で地域の人たちぐるみで一生懸命伝えている物事って凄く多いのですね。
実際見聞きしながら感じることは伝承と発信の力。
意味を伝え、形を伝え、想像力を伝える。
年に3回ほどやっているらしいので時期が合えば1つだけでもご覧くださいませ。

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10/04

Thu

2012

大丈夫であるように-Cocco 終らない旅-




Coccoについては、あまり詳しく知らなかった。
シンガーソングライターで、拒食症を患っていた、というぐらいの知識だ。
どうして興味を持ったかというとこの後の映画で『KOTOKO』でベネチア映画祭オリゾンティ部門でグランプリを受賞したからだ。
この映像はドキュメンタリーだけれど、音楽活動を通してどんな視点を持っているのかというのがわかった。
ちなみに彼女が沖縄の人であるということも、この映像で初めてわかった。
沖縄の人間は基地問題と共にあり、毎日のように基地について考えている。
中で「阪神大震災の慰霊モニュメント」も出てくるし「六ヶ所村」のことも出てくる。
身内が働いていて給料を貰っていたら、どんなに村から離れていて関係なかったとしても何も言えない、ということを村の関係者の人が話していたのが印象深い。
Coccoはファンの手紙を貰って「六ヶ所村」のことを知り、そして沖縄の問題と重ねあわせて考えていた。
自分たちが生活を送っている裏で何らかの犠牲を背負っている人たちがいる。
特に都市圏に住んでいる人間はこの意識を持ちづらい。
かく言う私もずっと札幌に住んでいて、それなりの都会であるので、都市を維持するための労力は思い描くのが難しい。
原発の問題も基地の問題も、国家の裏でどういうやり取りがあってそうなっているのか民衆には理解しづらい部分があるし、「民意」と言ってもダイレクトに反映されているとは言いがたい。
「生活をするための、しょうがないこと」
こんな意識が取り巻いているのではないだろうか。
映像の中でもCoccoは絶望だけじゃなくて何とか前向きに生きようとしていると言っていた。

ふと他県に移って私も気がついたことがある。
地元以外の他県の情報は「東京の視点」でニュースになり、地元は「地元の視点」でニュースになる。つまり地元の問題は「東京では問題にならないこと」は外に出ていかず、地元に閉鎖的に情報が流される図式になっている。
Coccoが沖縄の問題は沖縄だけでたくさん流れている、というようなことを言っていた。
中にはジュゴンが海に帰ってきたというニュースが差し挟まれ、道民の私はそのニュースを映像の中で始めて見た。
このドキュメンタリー映像は、ほとんどCoccoのファンぐらいしか最初は興味を持たないかもしれないが、はっとさせられることがある。
それは「誰かの苦しみや悲しみを救おうとすることで自然とメッセージ性が出てくる」ということだ。
六ヶ所村から住む女性から手紙を貰ったCoccoが「助けてっていう手紙がほとんどだけど、この手紙には一言も助けてと書いていなかった」とあった。
このメッセージからもCoccoが祈りの対象のようなものであり、救いの神のような扱いをファンから受けているのではないかと思わされる。
さまざまな苦しみや痛みや悲しみに目をむけ、音楽を通してそれらを少しでも緩和できたらという気持ちが全編に流れている。

最後のほうに親としての視点があった。
一人でいたときと、親になったときの気持ちの変化が宮崎アニメ「もののけ姫」を通して語られていたのが面白かった。
守るものが出来ると、つまり後世のためのことを考え始めると、一人でいるときとはまったく視点が違ってくる。
絶望よりもなるべく希望を残していきたいし、共有したいという思いは誰にだってある。
しかし希望だけ並べ立てても現実は塩辛い。
なぜなら生きることそのものが何者かに犠牲を強いることだからだ。
この構図は人間が生物である限り変化しない。

全ての人間の苦しみを救うことは不可能だ。
だからこそ「終わらない旅」なのだろう。
彼女のファンではなくとも、何かと考えるところがあるしっかりとしたドキュメンタリーだった。


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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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