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あさかぜさんは見た

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10/03

Wed

2012

イベントがありすぎる京都

ついついイベントが多くて出かけてしまいそうになるけれど、京都に来たのは仕事をするためでもあり、いつまでも報酬が金銭ではなく現物支給ではお金がなくなってしまうので、しっかり仕事をしたいと思います。
今年は我慢する。
来年こそはイベントに顔を出しながら色々回りたいと思います。

さて、いろいろ気になることが出てきているのですが、観光地といえど、祭りが多すぎるということに気がつきます。
ほとんど毎日のようにあり、イベントの無い日はないのではないかというくらい。
それだけ神社仏閣の力が強いということなのですね。

昨日、京都府立大学にて「京都力を探る」と題しまして今年から三年かけて公開講座をするみたいなのですけれど、「平安京の仏教ー最澄・空海とその後継者たち」という講演を聞きに行きました。
所謂京都における仏教の発展がいかにしてなったか、という内容だったのですが、私の中で印象に残ったのは「徳一が最澄に論争で負けてから仏教の流れが変わった」という点と、最後の質問の中であった答えなのですが「何故民間信仰があったにも関わらず仏教などが力を持つようになったか」という問いに対し「体系化がしっかりなされたからではないか」ということでした。

宗教が体系化するには「テキスト」が絶対必須であり、「テキスト」は「呪術」でもあります。
昔は山側に死体を捨てていた、という話も聞き、中央と周辺との違いが目に浮かぶようでした。
当然昔は今のように食糧事情や経済が安定していたわけではなく、天災飢饉火災などで街が壊滅的な状態にもなっただろうし、いつ崩れるかわからない生活に大きな恐怖や不安を持ち、何か大きな力に頼りたくなる気持ちもわかるような気がいたします。
栄枯盛衰の中には「憎しみ」も多分に含まれます。
栄耀栄華の裏には、その分「憎しみ」の力があるのではないかと私などは強く感じるわけです。
その民の「憎しみ」の力をいかになだめるかが政治の力であり、宗教の力であるか、を感じます。
そこに「テキスト」がいかなる役割を持ったのか、個人的には気になるところです。

人の心における「恐怖」というものは「憎しみ」を時として凌駕するものが多々ありますが、ふと先日の別の講演の中で出てきた「感染呪術」と「類感呪術」を思い出しまして、至る所に触れて作用するとされているものがあったり、お守りやその代わりとなるものがたくさんあり、京の街は「呪術の街」なのだなと祭りの多さなども見るとしみじみと感じ出すわけです。
漠然と感じているものを理論体系化し、組織化すると、それは大きな力を持ちますが、漠然としたままでは形にしたものよりはるかに弱い。
現代においても社会は「テキスト」に縛られております。
現代は「法」という「呪術」が機能しておりますね。
その「法」には漠然とした「恐怖」や「憎しみ」の力が働いて新しい法ができたりするのですから、現代は完全に理論体系化された「呪術の世界」と言えます。

さて、「祭りとは何ぞや」という疑問がぽっと浮かぶのですが、それを調べるのは来年になりそうです。
ひとまず昨日は三条通を歩き錦小路で鱧串と出汁巻き卵を食べまして、京の味を少しだけ楽しみました。
あと今月はぼちぼちと講演に出かけたりするくらいで、ほとんど引きこもり生活です。

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09/27

Thu

2012

貴志祐介氏の講演

昨日、第54回京都大学未来フォーラム「なぜエンターテインメントに残虐な表現が必要なのか」という講演に行ってきました。
「ここが京大か。北大よりかはこじんまりとした感じ」という印象を受けつつ、いや、北大が異常なだけかもしれませんが、氏のすぐ後ろに陣取って聞いてきました。

文筆業などをやっている人なら知っている人も多いと思いますが、都条例にも触れつつ、話されておりましたよ。
本当は講演聞きに行くときはしっかり下調べしなきゃいけないのだろうけれど、そんな金銭もなく、というか、買う本も選ばないと食料がなくなる状態なので活動そのものはしょぼいっす。
質問もしたかったけど他人の話し声が聞こえる中ではうまくまとまらず、悔しい思いをしながら帰ってきました。

私も規制に対してはよく考えることがありましたが、例えば「犯人がそれを持っていたから」という理由では規制する根拠や論拠にはならず、専門的な議論をするには反証もしなければいけないものを、それがまったくないまま話は進んでいます。
これは実害の方ではなく、非実在における推定被害の方です。
つまりは表現のほう。
反証というのは「なぜその他の人間は同一の物品を所持しながらも犯行に及ばないのか」ということを踏まえなければならないということです。
規制派の理屈から捉えると、おそらく「想像なくして行動なし。想像の根源となるものを排除すべし」「規制による推定抑止効果」というのが最も根底にある意識であると思うのですが、人間の信じる根底の中には類感呪術(○○をすれば~になる:遠隔型)と感染呪術(お札など身につけることで効力がある:接触型)があると言っていました。
確かについったーなんて見てるとそういうのすごく多いし、いつの間にかうわさが真実のように扱われていたりする。
そのうわさが一種の暴力装置として働くこともあるというのが現代の特色です。
心理的にも安直に因果関係を結べるものは叩きやすいし、例えば昨今の政治家におけるスキャンダルだってそう。
どんな性癖があったって、政治手腕に影響するわけではないのにSM好きだったら次の選挙で落ちるとかね、たぶん仕事とは関係ないところで仕事そのものまで見られたりするのも同じことだと思います。
実はその裏には大衆の不満や鬱憤が溜まっていたりする。
そんな風に「表現規制はスケープゴートにも利用されている側面があるのではないか」と指摘しておられました。

それで、どうして残虐な表現が必要かというところなのですが、読者にとって緊張感が伝わる手法として主人公たちを100%追い詰めてようやく1%伝わっていくということや、死を見つめることによって、ようやく生の境界線が現れるということや、そもそもの現代社会の仕組みの中に暴力があり、暴力は抑制であり、抑制は秩序であることをあげられていました。
その「暴力」とはなんぞやを作品によって疑似体験させることによって、所謂作品そのものが「ワクチン」の効果を持つということです。

都条例のこともそうですが、大阪も確か規制に乗り出していたと記憶しております。
私も氏と同じ懸念をしていたのですが、いかに担当者が質問者に対し「いやいや、そのケースはいいんです」と言ったとしても、条文が残っている限り、場合によっては「いや、条文に照らし合わせるとアウトです」と突然翻される可能性だってある。
これは氏の言葉では「検閲が厳しくなると時代における為政者によって都合のいいものが規制される」という状態になります。
つまり「表現の自由が侵される」というのは、ここにあるんですね。

最近の御伽噺は読んでいなかったのですが、子供用に因果応報の話を改変しているのだそう。
いきなり改心して善人になるケースが多いのですか?
だとしたらグリムなんて読ませられませんね。
親の立場として「自分の小説は子供には読んで欲しくない」と冗談を言っておりましたが、悪に対する想像力が養われないと突然過剰反応したり魂が傷つけられたりと、取り返しのつかないことが起こるということを言っておられました。
そこで重要な言葉がありました。
「魂の傷を教えるのと与えるのとは違う」
この言葉は非常に難しい。
現代人は「不愉快なもの」に対して過剰反応する性質があるので、「不愉快なもの=尊厳を傷つけられた=魂を傷つけられた」という論法に摩り替わっていくのです。
ロジックの飛躍なのですが、この手の飛躍は「日常茶飯事」になってきています。
他者への配慮よりも個人の利益優先で成り立っておりますから、「魂の傷を教える」というのはいかなることなのか、これは作者側の葛藤ですが、やはり作り手としては悩むところだと思います。
そして作品を受け取った側にとっても「魂の傷とは何か」を考えて欲しいところなのですが、これは各々の感想や感受性に任せるしかありません。

現実の世界は世の人々が言う美談とはかけ離れていて、結構魑魅魍魎の世界。
権力とかお金とか関わってきて、大きくなればなるほど、もう酷いものです。
裏切りや奪い合いや巧妙で狡猾なやり取りなど当たり前。
他人への思慮分別など策謀に巡らされるわけです。

私も「臭いものに蓋をし続ける」ことが、いずれ大きな社会的な損失として表出してくるのではないかと考えています。
海越えたら日本の理屈なんて存在しなくなるのだから、人間のありのままの姿をいかに議論できる状態にするか、議論をしあえる自由な空気を作れるかが、成熟した教養を持ち合わせた社会へと発展する鍵だと思うし、しっかりした大人を育てる社会的な度量だと思います。

蛇足なんですが、京大には約7000円コースディナーを出すレストランがあって、ちょっとびっくり。
洒落てるね。
無料で講演開いているみたいなのでちょくちょく顔出したいな。


追記:
講演が始まる前に『悪の教典』の映画の予告編を流しておりました。
講演ポスターにも単行本が。
そしてこの講演のタイトルに絡めて話したという流れなのですが、「ぜひ買ってね!」ということですね。
わかりました。買います。

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09/23

Sun

2012

1日400円生活

と、言いましても、食費の話でございます。
下手に外食するよりおいしいものが作れるようになると、自分で色々試したくなるものでして、料理が楽しくなってきます。

京都にはフレスコという安売りのスーパーがあって、それに合わせて周囲のスーパーもあの手この手で値引きをしてまいりますので、スーパーが乱立しているところは何かとお得地帯なのでございます。

京都に来てまずスーパー以外にお世話になったのは歯医者とポラギノールだということは置いておきまして、まず前に住んでいたところは身近に一軒しかスーパーがないので比べる必要性もなかったのですが、ここは三軒もありますので、チラシを見ながらあちらこちらと、少しでも安いものを購入し、時には期限切れ間近の半額商品などを購入して冷凍しておくという手段も身に着けまして、わりと食生活は豊かでございます。

例えば鮭の切り身200gほどを半額で100円で購入し、ネギが2本で100円、油揚げが3枚で120円。
鮭とネギ1本50円と油揚げ1枚40円、これで味噌汁を作り、ご飯一合50円ほどと考えて、250円ほどで一日以上はまかなえることになります。
食べきれないのだもの。
自分で漬物など作ったりしてストックすると結構ご飯もすすみます。

その他直径15cmのゴマ豆腐を片栗粉で作ったり(70円ほど)、24cmのフライパンでカボチャのパイを作ったり(100円ほど)と、一人で食べるにはなかなかな分量に成りまして、こんな生活を送れるのも支援して下さる方たちのおかげなのですが、言いたいことは、私は元気ですってことなんですよ。

でも札幌市民なんですよね。
京都に住んでいても。
税金の申告とかは札幌にしなきゃいかんわけです。
申告するほどのものもないんだけどね!

まあ、こちらに来て思うのはカビが生えるのがめちゃくちゃ早いということで、ちょっと油断して放置しておくとびっしり生えてきやがるわけですよ、やつらは。
そんなんで食材は無駄にはしたくないと、かぼちゃの種をむいておつまみを作り3時間かけて一握りしかできず、こりゃー買ったほうがいいなと思ったり、マヨネーズを作ろうとしてなかなか固まらず、増殖していってどこまで油を入れればいいのだろうと不安になったりと、それよりもマヨネーズって油使いすぎだろと夜中一人でツッコミを入れたりと、本業そっちのけで、道がそれまくりなわけです。

こちらに来てよく思うことは札幌とは水道水の温度が違うということで、今でもぬるま湯のような水が出る。
気温や気候が違うのは当たり前とは思いながらも、水道水にふと「ああ、札幌とは違うのだな」という思いを抱くのは妙なものですね。
望郷。
不思議な感傷です。

あとはやはり文化活動の質が断然違っていて、京都ならではなのでしょうか、仏教の無料講演やその他の講演が活発です。
おかげさまでお金のない私でも行けるものがたくさんあってウキウキしております。
ごめんだけど、やっぱり札幌、文化活動ということでは断然弱いです。
こういうのが歴史の違いなのかなと思ったり。

こちらに来た限りは、背水の陣ですし、予算考えながら色々なところに顔を出していきたいと思いますよ。
アピールしなければ何も起こらないのだから、礼儀なんて考えていられないもの。
当たってたくさん砕けてきますよ。

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09/16

Sun

2012

ファンへの値段

「千人だな。一人二人じゃしょうがない。千人ファンがつけば食っていける」
という話を札幌の焼き鳥屋のマスターが言っていた。

今京都に居るが大阪が近い。
そういえば、と思い出す。
そもそも、そこの焼き鳥屋のマスターには数年前に会っていたのだけれど、元々は娘さんがやっていた2号店のお店に出入りしていたのがきっかけだった。
そこには大阪から流れてきた元ホストも働いており、娘さんとの間に子供を一人もうけて結婚し、閉店後はしゃぶしゃぶ屋をやりながら暮らしていたが、ある日忽然と姿を消した。
朝起きたらいなかったらしい。
私も「驚くような話じゃない」とは感じたが、マスターも「いずれはそうなるかなと思っていた」と言っていた。
まあ、普通の親とはちょっと違った肝を持っている人だ。

そこの焼き鳥屋、北大の近くなので学生の客などが多く、また長くやっているので卒業生なども来る。
中には数年ぶりに現れてオヤジさんの顔を見に来るお客もいるのだそう。

元ホストの男の料理の腕は、それほど悪いものじゃなかった。
お店を出してやっていけるだけの腕はあり、しゃぶしゃぶ屋を始めたが閉店してしまった。
焼き鳥屋のマスターだって、最初は周囲にライバル店が多く、太刀打ちできるような状態ではなかったらしい。
それが今は新しい一軒家に店を構えるまでになっている。

この差はなんだろう。
忍耐力の差だろうか。
それとも、立地の差だろうか。
人間性の差だろうか。
焼き鳥屋はうまいにはうまい。
サービスだっていいし、ボリュームもある。
学生が大勢で来ても、思ったより高くつく値段設定ではないし、そもそも焼き鳥という食べ物はいつ来ても同じ味が楽しめる。
ある一種の安心感がある。

しゃぶしゃぶ屋は少し値段設定が高かった。
しゃぶしゃぶのセットを頼んでしまうと4000円は最低でも欲しい。
焼き鳥屋は手軽に2000円以内で十分楽しめる。
どちらの店もBSEの問題などにぶち当たっていて、牛を超えて肉そのものへの不信感が高まっている時期を越えている。
差はしゃぶしゃぶ屋は開店しばらくしてだったことぐらいだ。

人が納得する値段設定というのは難しい。
値段が高ければ質が高いだろうという思いは強く持つし、自分なりにお金を払ったことへの満足感、体験や時間をすごすことへの満足感が欲しい。
それが得られなければ、次はない。
その前に「お金を払いたいな」という気持ちがなければ店にすら入らない。
入る前に入りたいと思わせ、入った後に満足感があり、出た後にまた来ようと思う。
そんな3つの条件をクリアして初めてリピーターが成り立つ。
その場所を好んでくれる人が千人いれば十分成り立つという焼き鳥屋のマスターの話は納得できる。

そもそも、ネット上でも千人のファンがいれば、という話はある。
「千人の忠実なファン」というケヴィン・ケリーのコラムだ。
少し違和感を感じるのは「千人」という数字だけが勝手に一人歩きしているような気がする。
焼き鳥屋に置き換えたって、「焼き鳥のファン」は数多くいても「そこの焼き鳥屋のファン」は最初はゼロだったはずだ。
「ファンがゼロの状態ではどうすればいいのか」
という最も初歩的な問題を真剣に考えている人はなかなかいない。
当然、ジャンルによってやり方は違うだろうし、つかみから始まってコースのフィニッシュまで導くには、どこにだって手を抜いてはいけないのはわかる。

私は最近よく思うことがある。
それは「読者はどこにもいない」ということであって、本を読む人が「私の本を読む読者」にはならないということだ。
当たり前の話だが、どうしても同じジャンルでやると「これがうけてるんだから、俺のもいけるだろう」だなんて考えがちになる。
不思議だけど。

今は無料で小説がどんどん出ている。
ネットでは無料が当たり前。
お金を払わなくても面白い作品がある。
素人とかプロとか関係ない。
そういうのはもっと加速していくし、電子書籍となればインタラクティブな方向に向かっていくことは確実になる。
これはつまり「活字の値段」そのものが低下していくことを意味している。

じゃあもっと極端に考えて活字の値段がゼロになるのだとしたら、何でお金を取ったらいいのか。
ファンの何を満足させればいいのか。
その満足した千人のファンが求めるものを満たし続けるにはどうすればいいのか。
これが最終的な値段設定になるのだろうと考えている。

私は焼き鳥屋もしゃぶしゃぶ屋も他の店も、料理と人セットで行く。
人と話しながら飲み食いするのが楽しいから行くのだ。
私がお金を払う基準はそこにあるのだけれど、他の人はどうなのだろう。
私にとっては「千人」を考えるより、「目の前の一人」を考えていたほうがよっぽど現実的でしっくりと実感が持てる話だ。
その「目の前の一人」ならば満足させられる。

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09/13

Thu

2012

京都に着いてから

ある大預言者Kが言った。
「そなたの親知らずはいずれ災いをもたらすであろう。いつかは抜かなくてはなるまいて・・・」
なんて言ったかどうかはさておき、私の親知らずは今下に2本残っています。
そして札幌の歯医者で「今は元気なので持っていますが、いつ爆発するかわかりませんよ」と何度も言われていた。
痛くなったらいけばいいだろう、なんて気楽な気持ちでいたら、なんと京都に行く少し前から奥のほうが痛み出し、京都の歯医者に予約することに。
札幌では親知らずが横に生えていて普通には取れないので準備が必要ですと言われていたので、どう取るのか聞くと「歯を四分割にして取ります。もし痛いのが嫌であれば大きな病院で全身麻酔で寝ている間に取るという手段もあります」と言ったので「それほどか」と恐れおののいておりました。
痛みを感じ始め、そろそろ年貢の納め時かと今日歯医者に行くと北海道からの患者に先生に珍しがられまして、「僕ヒラフスキー場とか行きましたよ」と言われました。
滅多に遠方の患者なんて現れないものね。
そこでちょっと恐ろしいことを言われまして「うちじゃ抜けません」と言われました。
レントゲンを撮ってもらって見せてもらったのですが、親知らずの根元が神経と動脈にかかっているらしく、下手をすると動脈傷つけて血が止まらなくなり輸血が必要だとか、神経傷つけると麻痺が残るとか、たかだか親知らずごときで大変な話をされましたよ。
そして現在首筋が痛いのですが、それはリンパ節が腫れているからだということなのです。
親知らずが縦ではなく横に生えているために奥歯と親知らずの間に雑菌が入りやすく、その雑菌が繁殖している状態ということらしいのです。

「これが、首の下まで痛みが行くようだとまずいです。雑菌が降りてきているということなので。本当にごくまれなケースですが死に至ります。私の診ている患者さんでも年に2,3人は病院に搬送される人います」

「ふっ」と、あまりにも意識していなかった話に笑ってしまったんですけど、うおい!札幌では神経にかかってるとかいう話は出てこなかったぞい!・・・って話し忘れているだけかもしれないけれど。
ということで口腔外科に今度行くことになりまして、京大にも診察に行っているよい先生だということで予約とってやってもらいますが、一ヶ月くらい先になるそうなのです。
京都に来て最初の大仕事が親知らずの抜歯だとは。


それと、話が前後しますが京都に行くときに今回Peachという航空会社使ったのですよ。
激安で有名で安いときは5000円ぐらいで札幌関空間片道で行けるわけですが、クレジットカード決済210円席指定210円ネットで予約制の荷物預かり1個1050円と、「サービスの値段」を一つ一つ意識させられる航空会社です。
新千歳でチェックイン時には機械にバーコードを読ませるわけですが、私はプリントアウトしたやつで一発ポンでしたが、横のおばちゃん携帯電話で読み取らせようとしていて失敗していました。
大きめじゃないと読み取れないみたい。
突然荷物が1個増えることになりましたが、カウンターでは2100円、クレジットカード払いのみ。
しかも荷物の破損状況チェックなしで免責だけ念を押すところに一瞬不安がよぎりましたよ。
横にANAのカウンターがありましたけど、打って変わって満面の笑みで迎えられました。
なんかPeachの従業員結構必死だよ。
大丈夫かね。
関西を拠点にしているらしいのですが、関空ではターミナルにはまだ着けることができません。
バスで外まで一気に出て、外というのは空港の建物内ではなく、タクシーとかバスとかが着く建物玄関口まで移動するという状態です。
なんとそこで荷物を外に置いてセルフチェックで荷物を持っていく。
これにはさすがの乗客もどよめきました。
だって似ている荷物があって誰かが間違って持っていっても保障なんてしてくれないんですから。
つまり値段といい扱いといい「荷物持ってくんな」ってことですかね。
機内持ち込みの分については無料なので、それ以外の荷物がない場合はお得かもしれませんね。
飛ばなかったとき怖いけどね。

しかしまあ暑さが和らいだとはいえ9月の京都の日中の日差しは、まだ柔らかく噛み付く程度の強さはあります。
北海道では体験しない気温ではありますが、これから冬ですし地味に頑張っていきますよ。
ひとまず当分はこれ以上腫れないように体の抵抗力をつけ、無事に歯を抜くというのが目標になりそうです。
健康って・・・いや、歯って大事ですね。
歯は大事にするんだよ。
良い子のみんな。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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