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あさかぜさんは見た

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Mon

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04/12

Tue

2011

文化庁長官「当面の文化芸術活動について」

全文はこちら
(文化庁 | 文化財 | 東北地方太平洋沖地震 関連情報)

私も文化活動をしている端くれとして、何か役に立たないだろうかとあれこれ考えていた。
被災地の役に立とうと思うのなら、現地入りは必須条件だと切に考えている。
そこで何を言われようと、それが地元の人たちの心情なのだとぶたれる覚悟で入るつもりだけれど、何せ先立つものがないと入れないのも事実。
今は準備が整うまで長々と構えていくしかないというのが現状だ。

芸術とはいったい何であるのかというのを常々端くれとして考えるのだが、よく「個人的な欲求を我侭に発散させるもの」として個人の活動を捉えられがちだ。
しかしやっぱり這い上がる人っていうのは天才でもない限り「自分という主体以外のものから大きな力を取り入れて結晶化する(=簡単に言えば人を感動させられる作品を作る)」という作業は経験の中から学んでいくしかない。
失敗を何度も繰り返しながら進んでいくものだ。

叩かれてやめる程度ならその程度の覚悟しかないのだからやめたほうがいいのだが、まあとにかく、お伝えしたいことは芸術というものは日常の生活にはまったく役に立たないと思われがちで、実用的ではない目に見えない作用を及ぼすために通常は不要のものと認識されがちですが、芸術は人々の心の何かの手助けをしたり、そっとささやくような示唆を与えたりと最後の命綱のようなものであったり、心のある一領域の扉を開くための鍵であると端くれとして思うわけです。
創る立場として意図したように綱や鍵が作用しないことは確かですが、そこへ希望を込め続けることをやめてしまっては芸術は成り立たないと思い、邁進しているつもりです。
もちろん万人の感性は多々あり、必ずしも一致するものではなく反作用として劇物となる可能性もありますが、芸術というのは「祈り」をそのまま目に見える形にすることでもあるのかなと感じるところなのです。
他人はどうあるか、それは各々の芸術家の信念にも関わることなので一概にこうとは言えませんが、自然物を含める他者という存在と寄り添い続けていくのが芸術家の最後の希望と祈りにも思います。
芸術は病気を治すことはできません。
お腹をいっぱいにさせたりすることもできません。
しかし明日に繋げるための心のリレーをするためにバトンを渡すような行為だと思っております。
ひとつ、ふたつと、誰かの心の中に残っていくような作品を世界へ刻んでいけたら、芸術家としては本望でございます。
・・・ということです。

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04/12

Tue

2011

原発事故「レベル7」

INES(国際原子力事象評価尺度)というそうです。
最大値がレベル7で、これ以上は存在しない。
実際チェルノブイリは福島の事故よりもさらに深刻だったがレベル7までしかないので、福島と同じレベル7だ。
冷静に考えれば違いを細かく見れるかもしれないが、海外はそんな甘く見てはくれない。

「ああ、チェルノブイリ並の事故が日本で起こったんだ」

そう判断するに決まっている。
「レベル7=チェルノブイリと同じ=日本は死の土地になった」といった印象を受けるだろう。
福島から遠く離れた、しかも外国人に人気のある京都でさえも外国人観光客が消えているというのだから、深刻な事態だ。
きっと東電や政府は嘘をついてはいない。
発表していないことが多いだけで。

専門的なことは個人ではどうすることもできない。
餅は餅屋にお任せするほかない。
個人でできることは何か。
自由な発想でクリエイティブなことをしていくしかない。
今までの枠組みにこだわっていたら、じり貧になるしかない。
無事だった方は東北のお酒でも飲んでリラックスして明日に繋がることをしていくしかない。

私は先立つものができて東北入りできたら、無事なところを旅して日記で上げるつもり。
できるなら外国語訳して海外の人にアピールしたい。
きても大丈夫ですよ、と。

もう一ヶ月も経ったんだし、いいかげん国は情報の発信体制を一元化して海外を視野に入れた情報発信をするべき。
日本国内の混乱ばかり考えてわけのわからない情報発信をしていてはいけない。
正直被災地の人たちのことを考えるとテレビも新聞も心もとない状態で疲れた精神に届く情報は微妙な言い回しでは通じないに決まっている。
「計画的避難区域」「避難指示」「自主避難」「屋内退避」など、通常だと区別できる言葉は非常時には、ただ混乱させるだけなのに。
外から見ていると「適切な対応でもって行動を促す」のが最良の判断だと言いたいのだろうけれど、中で過ごしている人たちにとって大事なのは、はっきりとした道筋だ。
家も家族だって失っている人もいるし、帰る家はひとつしかないし、戻りたい気持ちも強い。
どこかに行くとしても、どこの避難所がすいていて物資の状況や、今後の見通しなども知らされていないのに正常な判断をせよというのが無理だと思うよ。
ここまでないがしろにされて恨むなというほうがキツイよね。

結果的に海外から褒められたのは「住民たちの結束力だけ」となったら本当にしゃれにならない。
武士の世なら切り殺されてもおかしくない事態なのだから。

p.s.
福島第1原発事故「レベル7」引き上げ 3月15~16日に大量の放射性物質放出か
(FNN)

「今回発表された数値には、海へと大量に流れ出た「汚染水」は含まれていない」
・・・って入ってないの?

これからは海洋汚染についての数値が発表されて海外から提訴されるか、水産資源がシャットアウトされるということですな。

「ヨウ素131が1.5×10の17乗ベクレル。セシウム137が1.2×10の16乗ベクレルという推定値が得られたわけでございます」

ヨウ素の半減期は8日。
セシウム137が30年。
その他にもプルトニウム、ウランはまったく発表されていない。
放射性セシウムはγ(ガンマ)線を放出しており、特に生殖器に影響を及ぼすという。
体内に蓄積することはないにしても無差別にγ線が出るため、体内摂取は非常に有毒とブルーバックスの本には書いている。

最近、科学者が扱う数的感覚について少しだけわかったことがあるのだけど、たとえば東電もそうだけど「~という可能性は否定できない」という言い方をしていた。
放射能の影響については科学者からしてみれば「数字の世界」であってそこに数%での可能性でもあったら、それを捨てきれないんじゃないだろうか。
特に確立の世界に入っていき、因果関係が100%証明できないような内容にはっきりと断言することはできないというのが本音で政府側も「ただちに~」という言葉を多用していると思われる。
政府では政府として混乱をきたさず穏便に収束させたいという目論見があったし、東電は企業として損害額を最小限に抑えたいという目論見があったし、原子力安全・保安院は自分たちの原発推進の責任は限りなく少ないという目論見がある。
3者の共通した目論見はいずれも「国民を刺激しないように情報レベルを抑える」ことだったけれど、もうそれも不可能となった。

いまだに冷やすためにジャブジャブお水かけて垂れ流しているわけだし、どうするつもりなんだろうね。

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04/12

Tue

2011

原発のメリットは何だろうとふと考えた。

経団連会長、「原発賠償は国の責任」 東電国有化論は一蹴
(産経新聞:2011.4.11 19:01)

なぜこの方はここまで原発にこだわるのだろう。
当然この人はトップだから、その下に隠れている方々がたくさんいらっしゃるのだろうけれど。

東電の株価は3月11日の終値2121円。
週明けの14日終値1621円。
昨日11日終値500円。
日経では企業価値は2兆6564億円が吹き飛んだとあり、さらに2010年9月末時点での有利子負債が7兆6211億でそのうち社債発行残高が約5兆。
この後にも当然福島など被災地への賠償金問題、現地農業、放射性物質の水を海に流したことによる海洋被害への賠償などを含めると、東電一企業ではまかなえないほどの金額になる。

これだけの金額に税金投入となると国民の誰が納得するのか。

なぜ声高に経団連の会長はこの期に及んで原発を推進するのだろう。
原発は発電コストが安く、短期的に見れば水力、そして一番金のかかる火力よりも断然金が入る。
取るお金が使用量で割り引くことはないのだから、原価は安いほうがいい。
でも、それだけの短絡的な考え方なのだろうか。

東電株の買い占めは「香港ヘッジファンド」!利益100億円
(ZAKZAK:2011.04.11)

そろそろこのような記事を見かけるにあたり、地震が起こった直後に直感していたことが現実化してきたので最近は日記を書いているが、経済に弱いと背後関係がよくわからないから困ったもの。
経団連の会長はこの手の外資とはまったく繋がりがないのだろうか。
いや、まったくないとはいえないだろう。
もはや天下り先としては東電は使えなくなった。
ならば残るメリットは何だろう。
原発を推進しなければならないメリットは彼、彼らにとってなんだろう。
金が関わっているのは間違いないのだけど、その金はどのような金なのだろう。

これから復興に徐々に入っていく。
復興には金がかかる。
当然復興に介入してくるのは日本の企業だけじゃないはず。
表向きは日本企業でも「外資」ということは充分ありうる。
私は文字しか扱えないから、文字で一生懸命がんばるつもりだが、本当に日本人が知恵を結集しなければ骨抜きにされるのではないかと思うふしもある。

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04/12

Tue

2011

北海道で、東日本大震災の義援金が入った募金箱の盗難が先月末から11日までに、札幌市を中心に11件起きていることがわかったということで、札幌市民として非常に憤りを感じていたところ、もしやと思い調べたら全国で起きている模様。

被災募金を装った詐欺などは起こって、募金盗難は起こらないだろうと考えていた自分は人間の悪を甘く見ていたのかも。

札幌での手口はセイコーマートというコンビニの募金ペットボトルを男2人女1人で来て、一人が「ヨーグルトどこですか?」と店員に聞いて案内してもらっている隙に盗んだり、レストランのレジの前で店員が少し目を話している隙に盗まれたりと手がこんでる。

盗難:募金箱盗まれる 中に「1万円」--倉敷・水島支所 /岡山
(毎日新聞:2011年3月24日)

大村のコンビニ募金箱盗難:容疑の3人を逮捕 /長崎
(毎日新聞:2011年3月28日)

東日本大震災 来迎寺門前の義援金箱盗難 京都・西京署
(産経新聞:2011.3.22 01:26)

震災募金盗んだ無職男逮捕…ほかに盗難被害も2件
(スポニチ:2011年3月31日 18:54)こちらは愛知

また2件「許せん」 義援金盗難事件
(大分合同新聞:2011年3月31日 10時03分)

義援金募金箱の盗難26件、遊ぶ金や生活費ほしさ
(読売新聞:2011年4月7日)九州、山口、沖縄の合計

店頭の震災義援金箱、盗難相次ぐ 福岡
(朝日新聞:2011年4月8日12時27分)

北海道で義援金盗難11件 被害総額8万円
(産経新聞:2011.4.11 13:08)


被災地ではガソリンを抜き取るなどの犯罪もあったがこれらの盗難事件はいずれも被災地から遠く離れた地。
義援金を盗むということは、ただの盗難とは違い、被災地のかたがたは言うに及ばず、その被災地の人たちのために多大な労力を払い日夜尽力していらっしゃる方々の善意や労力を踏みにじる行為に他ならない。
このお金の奥にある人々の思いをひとつも感じることがないというのは「どうしてそんな人間になったのかな」と悲しい気持ちを覚える。
この手の犯罪をやれるのは本物の悪党。
想像力が足りないという生ぬるい言葉では弁護できないほどだ。
古来の言葉では犬畜生にも劣るという。
お金は物じゃない。
お金はいつだって誰かの「気持ち」が込められている。
ようやく日本人がそのことを強く意識し始めているところに、それを打ち砕くような行為は万死に値する。
資本主義社会においてお金に込められた「気持ち」こそ、社会の構成物だと考えていたけれど、これからの日本人はもっとこのことを意識し、よりよい社会に移行できると私は希望を持っている。
善人だけで社会は構成されるわけではないが、この行為がどれだけの人たちの気持ちをないがしろにしていることか。
人間らしい理性が欠片でもあるのなら、考えて欲しい。

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04/11

Mon

2011

 なまず先生は漁港の手伝いをしているのに魚を食べるのが大嫌いだ。
 でも、魚を見るのは大好きだ。それにあまり仕事をしないことでも有名だ。
 なまず先生はお酒が好きで酔っ払ってはしゃぐのが大好きだ。
 でもなまず先生は太っているから暴れまわることができない。
 そうは見えてもなまず先生は力持ちで体が大きいから町の人たちの誰よりも強い。
 なまず先生はいろんな人を力仕事で助けるので、お金がなくても生活に困ったことがない。
 もちろんお酒にもあまり困ったことがない。
 周囲の人がなまず先生が酒好きだと知っているのでお酒やつまみを持ってきたりするからだ。
「先生」とは言っているものの、なまず先生は教師でもなんでもなく、誰が言い出したのかわからないけれど「なまず先生」で通っている不思議な人だ。
 鼻の下に口ひげがあるけれどなまずのようには長くはない。
 なまず先生は大きな体でお酒をたくさん飲める印象を受けるが、とても下戸だ。
 コップ二杯ほど日本酒を飲むと結構酔っ払う。
 だから大きな体に似合わずチビチビとお酒を飲む姿がかわいい。
 つい一週間前までは笑いあっていた仲間が今は半分ほどいなくなってしまった。
 高台から見る津波にやられた町並みは焦げ臭いような臭いを運んできて吐き気がこみ上げてくるようだった。
 見るだけでも心が乱れてくる。
 まだ雪がちらつくほど寒いが、夜に炎を囲みあっているだけで不安で潰れてしまいそうな気持ちも多少押さえ込むことができている。
 食料も物資も心もとなく、爆発して止まらなくなりそうな苛立ちや不安を皆必死に抑え込んでいる。
 ドラム缶に流木などを入れて燃やして暖を取る。
 この木も、もしかしたらどこかの家の建築材だったものかもしれない思い出の品だ。
 申し訳なく思いながらも燃やす。
 仲間の一人が高台に住んでいて家が津波から逃れることができた。
 皆高台から町を見下ろすだけで濁流を脳裏に浮かべて言葉を失う。
 何かを言おうものなら先に涙が出そうになってくる。
 そんな中仲間がなまず先生のためにお酒を持ってきた。
「気分じゃないかもしれないが」
 と添えながら出してきた。残りの一本らしい。
 皆無言でコップ半分ほど入れて飲みだす。なまず先生と同じようにチビリチビリやりながら、酔っ払わないようにするかのように、少しずつ少しずつチビリチビリやる。
「笑おうか」
 突然なまず先生が立ち上がって言い出す。
 ドラム缶の炎にあぶられているかのように見えるなまず先生に「いや、さすがにそれは」と言う人もいたし、何のためかわからず不振がる者がほとんどだったが「無理でも、笑おう」と今まで見たこともないような目でギリっとして見据えると、仲間も黙った。
 なまず先生が大きな声で腹から笑い出す。
 それは可笑しくて笑うのではなく、演技のような笑いだった。
 精一杯腹に力を入れて「わっはっはっは」となまず先生が笑い出すと他の仲間も真似をして無理やり笑ってみる。
 座っていると腹に力が入らないので、ドラム缶を囲んでいた仲間は皆立ち上がって笑い出す。
 すると不思議に涙も込み上げてきて、声も顔もぐしゃぐしゃになりだすものもいたが、なまず先生が「笑うんだ」と掛け声をかけると、ぐいっと顔をあげてその仲間も涙や鼻水まみれで「わっはっは」と笑った。
 周囲には刺すような視線も少しはあったけれど、なまず先生のことを知っている人がほとんどだったので責める人はいなかった。
 笑い終わった後、皆泣きながら抱きしめあった。
「ありがとう」と口々に言いながら涙も乾ききらないくしゃくしゃの顔で強く抱きしめあった。
 それまでは正直なまず先生のことはあまり好意的には見ていなかった。
 でもよくわかった。なまず先生のような存在は、皆の心に必要な人なんだと。
 寒い夜、毛布しかない中、今日は少しだけあたたかな気持ちで眠れると感じた。

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プロフィール

HN:
あさかぜ(光野朝風)
年齢:
45
性別:
男性
誕生日:
1979/06/25
自己紹介:
ひかりのあさかぜ(光野朝風)と読みますが光野(こうや)とか朝風(=はやぶさ)でもよろしゅうございます。
めんどくさがりやの自称作家。落ち着きなく感情的でガラスのハートを持っておるところでございます。大変遺憾でございます。

ブログは感情のメモ帳としても使っております。よく加筆修正します。自分でも困るほどの「皮肉屋」で「天邪鬼」。つまり「曲者」です。

2011年より声劇ギルド「ZeroKelvin」主催しております。
声でのドラマを通して様々な表現方法を模索しています。
生放送などもニコニコ動画でしておりますので、ご興味のある方はぜひこちらへ。
http://com.nicovideo.jp/community/co2011708

自己プロファイリング:
かに座の性質を大きく受け継いでいるせいか基本は「防御型」人間。自己犠牲型。他人の役に立つことに最も生きがいを覚える。進む時は必ず後退時条件、及び補給線を確保する。ゆえに博打を打つことはまずない。占星術では2つの星の影響を強く受けている。芸術、特に文筆系分野に関する影響が強い。冗談か本気かわからない発言多し。気弱ゆえに大言壮語多し。不安の裏返し。広言して自らを追い詰めてやるタイプ。

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